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2022/7/25 市場のリアルを垣間見る

金曜日に訪れた鮨兼の店主・日向寺良幸(ひゅうがじよしゆき)さんに,8:30から始まる朝の沼ノ内港のセリへと連れて行ってもらった。良幸さんにとってはなんて事のない日常の一コマだと思うが,私にとっては全くの未知の体験で,本当にワクワクして向かった。

車で見せてもらったセリに使う紙 三桁の数字が買った人の番号になる

沼ノ内港までの道中,道路を走りながらあそこはこーだったんだで〜と色々教えていただいた。ここは俺が生まれたところだ(私の耳には,「こごはおれの生まれだどころだ」と聞こえている)とか,ここを津波がきて危ないからって木が植えられてなんも見えね,とか。いわきに住んでおられる方に震災当時のお話を聞くのは今日が初めて。じっと耳を傾けた。あの当時も生活があり,また今もここで生活がある。歴史の資料には載りにくい,でも確かにある毎日の生活。このリアリティは住んでみないとわからない。

港の建物に入るとガヤガヤとおじさんたちの声と水のバシャバシャする音が響く
これはホウボウ,これはカレイなど一つずつ教えていただく

この締めている氷入りのケースからセリにかけるときの青いカゴに移す時,床に水と氷がダーっと流れてくる。それもちょっと楽しい。そして道が狭いときは,水が張られているケースの片隅に魚に触れなければ足を入れてもいいのだ。それも楽しい。事前に携帯で長靴持ってきなと言ってくださり,またここでは氷の上歩くと危ないから気をつけなと気遣ってくれる良幸さん。本当に優しい方。

請求書にはどの船が釣ったどの魚がいくらなのか書かれている

カランカランカラ〜〜ンと鐘が鳴り響く。セリが始まる合図だ。

緑の紙の四角枠にkgでいくら出すか書き裏返してカゴに入れる。青いかごは船ごとに分けられている

セリにも色々な人間関係があるようだった。あれは高くなるど~,あっちのカゴは1匹だで(訛りは正確でない部分もあるがお許しいただきたい),みたいな意見交換が行われる。

一定時間経つと全ての紙が裏返され最も値段の高い紙だけが残り,誰が買うのか決定される

活魚と鮮魚の違いをご存知だろうか。私は知らなかった。活魚=生きている魚,鮮魚=死んでいる魚である。

「ほうぼう 3.4(kg)! 千と九十(円)! よんにーにー(番)!」(写真は別の魚)
重さ,金額,購入者番号の控が終わると自分が持ち帰る容器に入れる

以上が一連の流れである。良幸さんは私を仲の良い仲買人の方のところへ連れて行って紹介してくださった。みなさん優しくてもっと中入ってみていいんだよ,と声をかけてくれた。漁港によってセリの雰囲気や文化も違うそうで,この沼ノ内港でのセリの後,小名浜の港でまたセリに参加される方もいらっしゃるとのこと。魚が陸に上がってから私たち消費者が来るまでにまた多くの方が関わっていることのリアリティがうまえ,「いただきます」と手を合わせるときに目に浮かぶ人たちが増えた気分だ。

港をでてすぐ車の中で良幸さんがおっしゃった「みんな仲間だから。」という言葉が重い。きっと色々な積み重ねの上でおっしゃっていることと思うが,私にはその一つ一つの積み重ねの部分は想像することができず,そうですよねというありきたりな返答しかできなかった。

震災でどこの港も大きな打撃を受けた。そしてその後,東北の太平洋側の一つ一つの港や市場で選択を迫られたことだろう。毎日の,考えもしなかったこと。立て直すのか,人は戻るのか,買い手はいるのか。震災が来なければ考える必要のなかったことを短い期間で,いろんな人間関係がある中でそれぞれの組合が中心になって考えたことだろう。

さて,話は戻り,次は魚の仕込み。お寿司にする前に悪くならないよう下処理を行う。これまで仕込みという言葉は聞いたことがあったが,今日そのリアリティを知ることができた。血や内蔵が苦手な方はご注意を。

まず鱗をはぐ
エラの部分を二箇所切り離す
「どの魚も捌き方はほとんど一緒」とのこと
内臓を早く取らないとダメにしてしまう
少し残った血や内臓を水で流しながら掻き出す。量が多い時はたわしで擦る
幅のある出刃包丁。アラとして使う魚は頭と尾の手前部分を残しておく

仕込みの後,デザートにアイスをいただいた。奥様も仕込みの時間に副菜を何品も作られている。飲食店で働かれるリアリティも今日初めて垣間見ることができた。

釣りも体験できれば,海で泳ぐ魚→セリにかけられる魚→スーパーで売られる魚/飲食店で食べられる魚の流れをコンプリートできる。楽しみである。


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