京都と文学と私
私の母親は25歳の頃からキリスト教徒です。
宗派はプロテスタントです。
私はお経のリズムが好きですが、母は嫌いです。
日本では宗教と聞くと少々特別な含みを持つようですが、私はあまり気にしていません。
みんなそれぞれ悩みがあり、大小あれどみんなそれぞれの宗教があるように思います。
私の宗教は文学です。
いつも生き方に迷った時、私は文学に頼ります。
恋愛依存症人間という種がいて、私は正直彼らに若干の軽蔑の目を向けてきましたが、最近彼らと私が同輩なのだと気づきました。
大学の頃はトルストイの『懺悔』に助けられました。
少々危険な宗教ですが、文学が好きなのです。
現在、私は三島由紀夫の『鏡子の家』を読んでいます。
人物描写が冗長すぎて全く物語が進まず、100頁もいってないのにもう挫折しそうです。
三島由紀夫は「金閣寺」で「個人」を、「鏡子の家」で「時代」を書いたと言います。
文壇で散々な酷評を喰らい、「失敗作」という烙印を押された「鏡子の家」を期に、三島は肉体美や演劇に土俵を移していきます。
これには色んな意見があると思うのですが、私としては三島の文学観に関係があると思っています。
系譜からしても三島は「文学」に時代を変える力があると信じていたと思います。
時に時代を批判し、鳥瞰し、体現し、牽引する役割を。
後に『豊饒の海』で同様に時代に訴えかける作品を発表しますが、圧倒的にここでの人々の文学に対する見方に対する落胆が彼の生き方を変えたと思います。
電車に乗ると、みんな下を向いてスマホを触っています。
昔は興隆を極めた文学も、今や物好きの偏屈な遊びになってしまったのでしょうか。
思想は昭和に取り残され、現代人は功利主義を加速させ、生き方をどんどんミニマライズ化し、機械に近づき滅亡の一途を歩んでいるように思えてなりません。
文学、ひいては文化が必要だと思います。
年齢とともにあらゆる波が押し寄せ、自分が自分を許せなくなる時、行き場のない時、私は自分に「赦し」が必要だと感じました。
京都にいこう。と思いました。学生時代の思い出の町に。
京都の通りは永遠と横に走り、歩くと時の流れが無限のようで、それでいて人間的抵抗をしています。
夕方過ぎまで家でだらけていても、真夜中から集まれる喫茶店のような町、それが京都です。
三間以内の狭い間口と細い道幅は現代人には窮屈ですが、そこに川端康成の言うところの「日本古来の悲しみ」が広がっており、
忘れつつある我々の内なる日本人心にもポッと郷愁が広がるのではないでしょうか。
現代人がどこまで機械に近づこうとも、動物の一端である限り、心の置き場が必要です。
文化の退廃が、人類の負けだと思います。どれだけ日本人が西洋人と肩を並べたつもりでも、日本人はどこまでも日本人だと思うのです。
生きて、死ぬ。これだけの単純なこと。複雑な興奮を入れるより、自分たちらしく、生きて、死ぬ。それが美学だと思います。
内に秘めた「日本古来の美しさ」を発見し、表現したい。私はそう思います。