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屈折②ラッパーと暗闇
ファミマのラッパー
就職には苦労した。出版社など毎年1人とるか、取らないかという企業にばかり応募した。文字に関わる仕事につきたいと漫然と思い応募した。別に会社でやりたいことも将来の展望もなく。苦労した挙句、どうにかして社会に自分を捩じ込む方法はないかと四苦八苦し、勉強でアドバンテージ取れるならいいかという理由で公務員を受け、就職した。
よく就活に失敗する奴は”就職がゴールになっている”というが、そんな感じだった。
公務員を辞めてから働いていた会社は電車を降りて15分ほど徒歩で歩いた場所にあった。
同じ道、同じ時間、毎日通勤していると必然とそこの通りの人間と言葉は交わさないが、顔見知りになる。
夏でも冬でもハンドカバー、日傘をし、絶対に皮膚を太陽にさらさない女性、似ているだけなのか双子なのかわからないがいつも100mほど離れて歩いているギャル二人。
そんな内の一人に、内翻足(両足の奇形)の男がいた。
毎日、Tシャツの重ね着にゆるい迷彩柄のカーゴパンツでラッパーみたいな格好をしたその男は、どうやら私の通勤の道中のマンションに住んでいるらしい。
筋肉を鍛えないといけないのであろうか、つま先を立てて、足をもがれた昆虫のような異形な体を成してまで毎朝ファミリーマートまで歩いてきていた。彼が歩く先には、早朝のサラリーマンが作る、異物の一つ許さない澱みない歩行の波に、異なる波紋が生まれた。
その男を見る度、私は三島由紀夫の『金閣寺』に出てくる、内翻足の柏木を想起した。我々健常者(この言い方は嫌いだが)は障碍者を見るとき、少しの哀れみと何か心に申し訳なさを感じるものではないだろうか。しかし柏木は障害を持っているが故の真面目さと同時に、そんな健常者の傲慢を嘲笑うかのような下劣さを持っており、障害を寧ろ武器として利用していた。
「女かい? ふん。俺にはこのごろ、内翻足の男を好きになる女が、カンでちゃんとわかるようになった。女にはそういう種類があるんだよ。……(後略)」
新卒で入った会社から今まで私は職場では非常に寡黙である。もともと口すくなな性格ではあるが、もう一つ正直な理由を加えると他人から見た自分と自己認識との絶望的なズレに恐れを抱いている。いわゆる「恥ずかしがり屋」なのだが、恥ずかしがり屋とはそんなに可愛いものではない。
私の心の中の穿った見方、周囲を鳥瞰し、組織を、部署を、隣のおっさんを、身勝手な自己解釈で評価して、時には冷笑してしまっている傲慢な自分を暴露してしまうのではないかという恐怖が口を強張らせるのだ。
「勇気」とは自意識を超越する行為である。もっとも下劣な精神を持つ自分が社会の中に健常な形で紛れていて、目を背けたくなるような嫌らしい形をしたファミマのラッパーはその姿を露わにし、自意識とか、そんなちっぽけな概念を通り越したところにいる。
そしてそんな姿を見て勇気をもらっている自分がいる。恥ずかしいやつだ。
自分はなぜこんなに自分の意識にこだわっているのだろう。
暗闇
この会社で働く傍ら、私は私生活を捨ててプログラミングの勉強に精を出していた。ここから暗黒期が始まる。残業がなければ会社を18:00過ぎに退社し、空腹対策におにぎり一つ、二つを口にし足早に最早常連となったカフェに向かい、3時間勉強。休日は10時間ぐらい。
それをかれこれ9ヶ月ほど続けた。
素人ながら作品を二つほど完成させ、就職活動に入る。
早く親を安心させたい、そういう思いが強くあった。
書類選考では100ぐらい送ったかも知れない。リモートワークの休憩時間にカジュアル面談をしたり、初めて真面目に就職活動をした。
エンジニアを企業でざっくり分けると自社開発、SIer、SESと別れる。
自社開発は自分で作りたいものを作って売るってイメージで、Slerは仕事を他から受けて受託開発をしている会社、SESはエンジニアを貸し出してる会社。
目標は自社開発、次点でSler、SESはあまり良くないイメージ。
大体こんな感じの認識だったが、企業によるし、ぶっちゃけ人間関係による。しかしSESは受けたところの殆どが募集内容と仕事内容が違う。
具体的に言うと、「受託開発エンジニア募集」なのに実態はSESだったりが多い。
また多くは「未経験でも安心!研修を3-6ヶ月しますよ」と都合の良い謳い文句を語りながら、その研修期間中はヘルプデスクや、酷いところは電気屋に立たされるらしい。それで研修は土日などを使って自主学習、研修期間が終わって(課題をクリア)したら、ようやく正社員になり、そこから派遣されるが、そこもガチャガチャ引くようなものだ。
SESは受かっても行く気がしない。まともなSESも中にはあったのだが、技術者派遣で事業をやっている会社のもとで働こうと思えなかった。理念もへったくりもないだろう。
自社開発やSES以外の会社は書類で弾かれることが殆どだった。まあそんなものらしいのであまり気にしなかったが、就職活動をやっているうちに何かふと糸が切れてしまい、やめてしまった。
というか、エンジニア向けの転職サイトで自分が勉強した言語を扱ってる企業で微経験でも通用しそうな企業はほぼ全部受けた。北海道から福岡まで。
しかし、フロントエンドのエンジニアを目指していたのだが、よく考えたらUIや見た目はどうでもいい派だった。ただプログラミングは好きだった。技術力も素人ながらうまくやっていること、「このまま努力すればいいでしょう」と自走力や論理的思考力の方は技術担当の方から太鼓判を押してもらうことも何度かあった。その時はやはり嬉しかった。
だけど、何を目指してやっていたのか忘れてしまった。SES会社のような本音と建前がある企業にも、それを見分けるために神経を擦り減らすのにも、もううんざりしていた。
この時が人生で一番辛かった。藁にもすがる思いで努力したのに、すがる藁の実態はなかった。自分なりに一生懸命進路を探し、模索してきたつもりだ。人一倍考えたつもりだったが、社会が求めることには無頓着だった。
目の前が真っ暗だった。
SNSやYoutubeなども私の精神をすり減らした。
極力承認欲求の化け物みたいなものは見ないようにしているが、間の広告や宣伝、批判コメント、また小銭稼ぎで大々的なサムネイルで視聴者を釣っているYoutuberを見ると世の中が全て金儲け中心に回っている気がして、こんな無機質な世の中で生きていけないなと思った。コロナ禍の芸能人が自ら命を落としてしまったのもわかる気がした。それに輪をかけるように周りの友人たちが結婚したりするのを知って、一人だけ停滞している自分が情けなく、悲しかった。