王朝美人夫婦喧嘩考 前編
なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは
いかにひさしき ものとかはしる
(現代語訳)
あなたが私の家に来てくださらないことを、
嘆きながら、ひとりで夜をすごす私にとって、夜が明けるのがどれほど長いか、
あなたはご存じなのでしょうか❓
わからないのでしょうね❗️
どんな戦いもどちらかが勝たなければならない。負けるための戦いなどあり得ない。
夫婦戦いである夫婦喧嘩はこれにあてはまらない気がします。
この話は彼女は夫婦喧嘩の勝者かもしれません。
しかし夫婦喧嘩に勝てば勝つほど、旦那様は遠ざかってしまいました。夫婦関係改善を目的にするのなら、彼女は敗北者かもしれない。
その彼女とは百人一首の右大将道綱の母と呼ばれている女性です。
当時、女性に名前がないことが多い。なので、息子 藤原道綱のお母さんということしか伝わっていない。
ここでは道綱ママと呼ぶことにします。
旦那様は藤原兼家❗️平安時代きっての権力者です。後の超権力者になる藤原道長のお父さんです❗️
道綱ママは平安時代切手の美人です。
美人の上に、頭が良いときています。
「蜻蛉日記」の作者でもあります。
そんな道綱ママに藤原兼家がラブレターを送ります。
権力者藤原師輔の子からラブレターが来たので、周りが騒いでいました。
でも彼女は騒いでおらず、逆に「なんて字がきたない人なの❗️」と言ったそうです。こだわるのそこ⁉️って感じです。
兼家は太っ腹で、スケールの大きい男でしたので、字などあまり気にしていない人です。
女性は才女で超美人!
男性は太っ腹でスケールが大きい男。
まだこの時の兼家は位が低い。
道綱ママのほうが優越感があります。
このことが彼女を苦しめることになります。
ちなみに、藤原兼家は時姫という本妻がいます。
時姫も名家の娘ではありませんが、藤原道長のママです。
この二人の結婚生活が始まります。
新婚時は兼家や道綱ママはラブラブでした。
道綱ママも兼家の太っ腹さが逆に可愛く思ったのかも。
道綱ママが身籠り、道綱誕生の頃から、急によりつかなくなる。
「仕事で戻れない」「付き合いがあってね」
道綱ママが兼家の留守中に部屋を調べるとなんと、他の女性との手紙が沢山出てきました。男らしく豪胆な人なので、まあモテたのでしょう!
「やっぱりー!浮気してたのね」
更に何事もないように道綱ママの所に戻ってきているので、
「よくもヌケヌケと、無神経ね」
道綱ママは兼家に歌を送ります。
うたがはし ほかにわたせる ふみみれば
ここやとだえに ならむとすらむ
現代語訳
疑わしいことね、他の女へ出すつもりの
お手紙を見ると、もう私のところへ
来る必要があるのかしら⁉️
兼家「えっ⁉️バレてる?」
別の日は兼家が出掛けると後をつけさせた。
案の定、街の小道の家に入って行ったとのことです。
まだ別の日は兼家は夜に道綱ママを訪れたが、なかなか入れてくれなかった。
「ちょっと、頭でも冷やしてなさい」
しばらくして、そろそろ家に入れてあげようとしたが、なんと兼家は帰ったとのこと。自分の家とは別の方向へ。
「なんで待てないの?くやしーい!」
なげきつつ ひとりねるよの あくるまは
いかにひさしき ものとかはしる
(泣きながら私一人で寝る夜が、明けるまで
どんなに長いか、あなた様にはわかりますか?)
兼家の返歌
ぎにやげに ふゆのよならぬ まきのとも
おそくあくるは わびしかりけ
(本当に冬の夜はなかなか夜が明けなくものですが、冬でもないのに真木の戸をなかなかあけてくれないのも侘しいものだよ)
道綱ママ「よくもしゃあしゃあと!しらじらしい!」
続きは次回で。
◯登場人物(結婚当時、天暦八年(954年))
・藤原道綱の母(ふじわらのみちつなのはは)
19歳
・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)
26歳 従五位下右兵衛佐(うひょうえすけ)