誰かの目線

なんか、最近色々自分で「やりたいこと」をやって、それを形にするようになりました。

上から「この資料をこんな形で作って」と言われてた時には気づけなかったんです。

熱量と時間をかけるほど、熱中すればするほど、自分の好きな形で作って良いほど、「自分の伝えたいこと」が前面に出てしまう。


今までなんで気づかなかったのか

本当の意味で1から、真面目に、真剣に作ったことがあまりなかったからです。

以前作ったものと同じ感じで、求められたものを形にするだけ。
そんなものがすごく多くて、全部分かりやすくてどんなことがしたいかも分かりやすかった。

いや、この形は仕事としてはおそらく大正解です。わかりやすい仕事。作って欲しい書式も決まっている。

でも最近「自分の好きなように」、「好きな形で」、何かを伝えるものを作ることが増えました。

増えたって言ってもまだ2つですが(笑)

もしかしたら今までも作ったことはあるけれども誰かの模倣だったのか、そこまでの熱量はなかったのかもしれません。

無難な形で、なんとなく伝わるように。
もしくは成績などの評価が関わっていたのかもしれません。

ただ、自分の好きなもの。絶対作らなきゃ行けないわけじゃないけど、やってみたい。
その気持ちが増えれば増えるほど、「自分がこうしたい!」「これを伝えたい!」が増えてしまいます。


でも何かを作るってことは

何かを作るってことは、その先に必ず人がいるのです。
「それを伝えるべき誰か」「それをみてくれる誰か」です。

このNoteもこれを見てくれるあなたがいます。

レポートとかだと、この文章は読みやすいかなぁ、教授はどう取るかな?
この目線から入りました。

でも、「自分で決めていいよ」って言われて、伝えたいことだった時に「どうせやるならこれやりたい!」「アレもやりたい!」「これも伝えたい!!」と自分の好きなことを優先してしまっていました。

天秤も「これとこれならどっちを優先すべきか」はあくまでも自分基準でした。自分が伝わるか、自分が好きか。

でも自分が伝えたいことがあるからこそ、誰かの目線って意識しなきゃいけないらしいです。難しい…。

なんでこの考えに至ったか

今誰かに伝えるべき資料を2つつくっています。

その資料は双方「自分の価値観」「伝えたいこと」を誰かに伝える資料です。

これがまた難しい。

自分の伝えたいことは何なのか、そして、それをあくまで「誰かの目線」で見た時に伝わりやすくしなくてはいけません。

「これを見る人ってこんな人だよね?あなた達がそうだった時にこの資料見てわかる?」

「今、好きなことを入れてると思うんですけど、これを見る人にどう捉えて欲しいかも考えた方が良い」

これは2つの資料それぞれに違う方から言われたことです。言われていること同じです。


私に足りていないものは「見る人の目線」ってことです。

でもこれが議論が長引けば長引くほど、自分の価値観を考えれば考えるほど、色も形も自分らしくなっていくんです。
とても悪い意味でも。

どうしても、自分に伝わりやすくなっていくんです。
本当にやりたいのは「誰かに伝える」ことのはずなのに。


でも楽しい

これがもし興味ないことなら、「疲れた」「つまらない」「まぁこんな感じでいいや」ってなってたと思うんです。

私の周りには程々の出来でも「すごい」「頑張った」って褒めてくれる人がいます。

つい甘えそうになります。
でも、褒めてくれる人がいるから、どうせならえ、すご。って思わせたいと思ってしまいます。

逆に頑張ったら「よく頑張ったじゃん」「意外とやるじゃん」って言ってくれる人もいます。

その一言がめっちゃ嬉しくてつい頑張ってしまう!!!

その人たちのこと、なんだかんだ言って好きなんだろうなって思います(笑)

もちろん、誰かに褒められるから、何か言われるからやっているわけではないのですが、少なくとも頑張れる一因にその人たちの存在がいるなぁと思います。

誰かの存在って偉大だなぁ。


なれるといいな

私は今までもしかしたら、見る方でいることも多かったのかもしれません。

自分もやるまでは見る側だったので、見る側な視点、取り入れたいな

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