私の推し論について
最近、YOASOBIのアイドルを聞きました。
アニメの「推しの子」は見ていません。
YOASOBIの曲難しすぎますね。
でも、曲が良すぎて見ようかな。と思ってるぐらいに曲が好きです。
でも「偽ること」がアイちゃんなりの「アイ」なのがすごく好きです。
アイドル活動極めてるって感じがします。
これはあくまで2次元の話だからと思うかもしれませんが「本当を言わないこと」「ファンの求めてる姿でいること」がファンの為ってすごい。私に刺さってしまいました。
推す側
私は紛れもなく「誰かを推す側」になったことしかありません。
そして、人生でたくさんの人を推しています。
アイドルも俳優も、先輩も、先生もたくさんの人を勝手に盛り上がって、勝手に推してきました。
これはいろんな人を推してきた側の勝手な自論ですが、推す側は推している人に期待してはいけないと思っています。
推しには幸せになって欲しいー!!!!
っていうのはあります。でも、活動も、人生もこちら側(=推す側)が口を出す問題ではないって思っています。
それでも、ファンとして返答とかレスとか期待してしまうのは許してください。なくても文句は言わないので。
アイドルや俳優を推している時も意識はしていますが、先輩とか先生とか推している時は、更にしてはいけないと思ってます。
想像してください。
ある日勝手に推してきて、「その行動はあなたのためにならないならやめろ」「幸せになって欲しいから言っている」と言われる気持ちを。
アイドルのファンだとよくいますよね。
○○くんなんであの子と付き合うんだ!○□ちゃんの方がお似合い。
みたいな。
どこからどう考えてもいい迷惑じゃないですか。そういうファンにはなりたくないなって話です。
勝手に推させてもらってるので、推しが決めたことは応援したいです。
誰かがその選択をする上で「推してるだけの他人」である自分が知らないことなんて、無限大だと思っています。
近しい人でもなければ、相談相手でもない私が知る心情なんてほんの1部です。
だからこそ、いろんな情報から、その選択をした推しを信じますし、今まで推してきた自分を信じたいと思ってます。
少なくとも、推しが「自分を好きな人のために」自分の選択を狭められることがなければいいな、と思います。
そもそも私の推しなら失敗しても、周りの人に助けてもらえるし、自分で何とかする力があると思っています。私の推しなので。
(思想強いオタク)
別に裏で推しがクズでも知りません。あくまで私が推しているのは私が見えている推しなので。
表だけでも好きな人には笑ってほしいよねってだけです。推しの笑顔プライスレス理論です。(勝手に命名)
でも、その応援すらも推している側が勝手にやっていることに過ぎないと思っています。めんどくさいファンですね。
推すって押し付けだよね。
これは人それぞれだとは思いますが、少なくとも私は推すことは押し付けだと思ってます。
かっこいいも可愛いも発言が素敵も、あくまで私の目から見たイメージの押し付けです。
先ほど散々語った、推しなら解決する力があるだの助けてもらえるだのも全てイメージの押し付けです。
自分から見たかっこいい人に、または可愛い人に勝手に自分の好きなイメージを着て頂いてると思ってます。
だからこそ、推しが推されてくれている間は何かしら得があるといいなと思います。
アイドルならグッズも買いますし、ライブも行きます。できるだけテレビも見ます。
先輩や先生なら、推されている自信が欲しいとか、ネタが欲しいとかなら、いくらでも良いところとか推してる理由はいくらでも言えると思います。
ただ無責任に大好きでいて、いつでもどんなことをしても、大丈夫。素敵。大好き。すごいと言うことが与える自信もあると勝手に思っています。
推している間はネタに使いたいなら好きなだけ使ってくれれば良いと思いますし、他の人が話しにくい時に、先生や先輩と話す糸口にしてくれるなら、それは良かったと思います。
教師なら、授業は鬼のようにちゃんと聞きますし、頑張ってテストでいい点取れるように頑張ります。
(それが先生の評価に繋がると信じて)
黙ってというならこっそり推します。
こっそり推していないなら、誕生日とか女の子たちとキャッキャしながら、お祝いします。推しに貢げるチャンスです(違う)
もちろん、できる限り、立場などは加味して常識の範囲内でやりたいと思っています。
教員であれば、プレゼントをあげるかは関係性を考えます。
先輩であれば、高すぎるものは避けますし、貰っても困らなそうなものにします。
でもそれも含めて、推されている人のためではなく、推している私のためにやっているんです。
それで、推しが喜んでくれたら、もちろん1番良いと思います。
でも、推しのために行動することすら、「推しのために行動する」という推している側のエゴだと思っています。
むしろ、推されている側は反応をしなきゃいけないので、ちょっと罪悪感すら感じます。
文字にすると、私が拗れオタクだということが顕著になってきて、悲しくなってきました。
結局、好きって勝手だよね
ってことを忘れなければいいとは思っています。
私が楽しいと思って推している間は申し訳ないですが、推しには私のイメージを押しつけさせていただきます。
推しがいることで勝手に「推しのために」アレがしたい、これがしたい、ってなって私の人生が潤うので。
もちろん、迷惑にならない範囲であることは必須です。
目立つから、認知してもらえるから、と推しの活動や仕事の邪魔をして、何の意味があるのでしょうか。
推しに会えるから頑張ります!と言いつつ自分のことを頑張るのです。
守りたい。推しの笑顔。
とか言いつつ本当に守られてるのは私の人間としての生活と尊厳なのです。
いつもありがとうございます。推し様。
ちなみに今まで長々と書いてきたこれは、あくまで拗れメンヘラオタクの自論にすぎません。
でもあなたのオタク論と少しでも同じところがあったら嬉しいです。