夢の話

ちょっとnoteサボってしまいました。ごめんなさい。
「できるだけ毎日書く」ぐらいの気持ちなので許してください!

それはそうと、今日とても久々に夢を見ました。

なんか夢ってモヤモヤする終わりとか落ちていくとか多くて「楽しかったー!」みたいな終わりがあまりない気がします。

今日見た夢の内容

家(実家)を出ていくと、なぜか中学の友人と高校の友人がいました。しかもめっちゃ仲良かったわけではない2人。

「おはよー、車で送ってくー?」
(なぜか同じ学校に行く前提)

鍵をくるくる回す私
ツッコミどころとしてはなぜ、高校とかなのに車の運転できるのか。

「えっ、いいの?お願いします!」

答えるクラスメイト。
クラスメイトレベルの友達の命背負うなよ。

そして和やかに談笑しながら車は進んでいく。
でも突然、道が3本ぐらいに別れてて、なぜか巨人がいる道とかあったり、試練がある道が現れる。

「あのー、私15分までに行かないと、吹奏楽部の練習に間に合わないんだけど大丈夫そう?今日は絶対行かないとなんだけど…」

突然告げられる時間制限。
(なぜ、車だと時間がかかるのかはよくわからない)

「えっ、まぁ、多分大丈夫だと思う!急ぐね!!」

なぜか自信ないのに曖昧な回答で誤魔化す夢の中の私。
断れ?仲良くないんだろ??

結局間に合わなくて学校で謝って、ブチ切れられる。

それに対してその「ごめん。マジごめん」って言いながら、
「いや、私も悪かったけど、乗ったのそっちじゃん。てか送っていったのにそんなブチギレなくていいやん」
って心の中でキレる私。

妙にリアルで時々夢なのが今考えるととても面白いです。


その夢の意味は?

自己自身に対する罪悪感や自己批判か、周りの人々からのプレッシャーに対する不安や恐怖の表れらしいです。

クラスメイトに責められるのは過去に学校生活や人間関係に関するトラウマや不安が影響してる可能性があるらしいです。

え?なんで知ってるかって?
Chat GPTが教えてくれました(笑)

どちらもありそうで怖い。
自己批判も周りを見てしまうのもなんとなくあるなぁ、と。そこを刺してくるChat GPTって何者?!

でも、自己批判的な考えからくるものなのか、周りの人のプレッシャーから来るものなのか知りたいです。

そんな私はChat GPTに聞きました。
「自己批判なのか、周りの人々からのプレッシャーなのか判断する質問をしてください」  

3問質問してくれて、答えた結果は
「周りの人々からの批判的な態度に対して感じる無力感や、やりきれなさが強かったようです。」

え?めっちゃすごくない?
夢診断ツールとか作れそうなレベルですね。


実際に感じているのか

どうなのでしょうか。
少なくとも私の中では、今の環境は「人生の休憩」にいると思っています。

目立つ批判的な態度の人は多くありません。
心の中では思ってる人もいるのでしょうが、表立って批判してくる人はあまりいません。

ただ、表立ってはいないというか、今は声が強くないだけで、常に自分を否定する人がいることについては考えています。

今は好きでも今後関わりで嫌いになる人とかね。

もちろん、そうならないように動きたいとは思っています。

どちらかと言うと
「私が好きな人たちからの期待に応えられない可能性が高くて怖い」
「でも、私が好きな人たちの期待に応えられるなら応えたい」
と言った感情の方が強いです。

なんで人生の休憩をしているはずなのに、こんなこと思っているのでしょうか(笑)
全然休憩じゃないですね。

でも、自分のために人生を生きるのって怖くないですか?
そう思うのって私だけですか?


どういうこと?


自分のために人生を生きること。
みなさんは、当たり前のことに聞こえますか?
実際できていますか?

私は自分のために人生を生きるのが怖いです。

なんで怖いんでしょうか。
生きる理由が欲しいから、ですかね。

おそらく、正確に言うなら、目に見えて実績にできる生きる理由がほしいからです。

自分のために生きるって「誰かのために生きる」ことよりすごく難しいと思っています。

それは「誰か」と言う明確な判断基準がいなかて、自分の中の判断基準が変化するから。
そしてその裁量も自分にあるからです。

人は自分に甘いとはよく言ったもので、「自分のために生きる」と自分に対して裁量が甘くなってしまいます。後の自分がやるのだから、後悔するのはもちろん自分です。

でも、後悔するのが自分だからこそ、諦めもつきやすいですし、何かを言い訳にしやすいです。
やめても誰も怒ってくれません。

評価するのも自分です。その評価は誰かの目にも映りませんし、その評価は自己評価に過ぎません。

一方、誰かの評価ってとても自分が受け取りやすいものです。

貰うことで自分のテンションも上がりますし、単純に嬉しいです。
期待を裏切ったら叱ってくれる人も、期待に応えたら、褒めてくれる人も沢山います。

私はきっと自分で自分を叱ることに疲れただけかもしれませんが。

でも、自分を甘やかす可能性がある限り自分を信じることが怖いのです。
他人の評価の方が正当だと思っています。


結局

自分を信じきれてないだけです。

それすらも自分に対する言い訳に過ぎないのかもしれません。

誰かを「信用」と言う言葉で、私の管理を押し付けてるだけなのかもしれません。

いつか、本当に自分を信じられる日がくるまで、少しずつ少しづつ、自分に信用と責任が置けるように考えて行けたらいいなと思います。

ノートもその一貫にできたら嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!