不甲斐ない過去を乗り越えて
高校3年間目標にしていた全国大会に出ることができず、高校3年の夏に部活を引退した。
もう、フェンシングはしない。
あんなに辛い練習もしたのに、結果をだすことができず、不甲斐ない自分にあきれた。
それから、30年。
地元でフェンシングのクラブを立ち上げたと新聞の記事が目に留まった。
ただでさえ選手が少ない競技。
私になにかできることがあるかもしれない。
見学のつもりが、道具を借りて練習試合をしてみると、思ったよりも動けている。
そんな勘違いから、50歳で再出発をしたフェンシング。
少し動くと息があがる。高校時代に味わった不甲斐ない自分と向き合うのもいやだ。私は選手を支えるために再開したというスタンスは変えないでおこうと強く意識していた。
年下のコーチから、「ベテランフェンシングに出てみたらどうですか」と声をかけられた。
試合には出る気は全くないので、「出ない、出ない」と断る。
「フェンシングで世界大会を目指しましょうよ、サポートしますから」と。
断ったもののずっと頭の片隅で気になっていた。
クラブの選手達には、結果に関係なくチャレンジしようと話しているのに、自分はどうなんだろうと、何度も考えた。
「ベテランフェンシング大会」は、全国から選手が集まる大会。
大会ルールに沿って、道具を確認すると、使っているマスク(面)も大会の規格に合っていなかった。
大会に出るなら新たに購入しなければならない。
迷っていたら、なんとクラブに新しいマスクが保管されていた。
しかも、財布にはマスクを変えるだけのお金も入っている。
「これはもう出るしかない」と腹を括り、その場でマスクを購入し、大会に参加することを決断した。
全国のフェンシングをしている同年代はどんな感じか様子を見に行くと、大義名分を振りかざし、高校時代の様に惨敗する姿は見せたくないので、帯同するというコーチを振り払い、ひとり参戦した。
全国から集まる同世代たち。
試合は、あっという間に終わり、全国のベテラン選手達には歯が立たず、何とか1勝して終了した。
試合終了後、悔しいよりも「大会に出た」という満足感でいっぱいだった。
年齢を重ねるとたくさんのことを経験してきているので、緊張感や挑戦という場面も少なくなっている。
大会に参戦するまでは、負けるのは悔しいし、恥ずかしい。
自分の実力に向き合いたくなかった。
終わってみると、「こんな遠くまで、わざわざフェンシングのためだけに来てるなんて、自分の人生って面白い」「興味のあることは、自分がすると決めたらできるんだ」と。
年齢や環境やまわりの目を気にしない。
自分の気持ちに正直にいつまでもいたい。