見えないところに目を向ける
見えない所に
目を向ける
No.185
2023.09.16
月が隠れると、人びとは月が沈んだといい、月が現れると、人びとは月が出たという。けれども月は常に住して出没することがない。仏もそのように、常に住して生滅しないのであるが、ただ人びとを教えるために消滅を示す。
人びとは月が満ちるとか、月が欠けるとかいうけれども、月は常に満ちており、増すこともなく減ることもない。仏もまたそのように、常に住して消滅しないのであるが、ただ人びとの見るところに従って消滅があるだけである。
月はまたすべての上に現れる。町にも、村にも、山にも、川にも、池の中にも、かめの中にも、葉末の露にも現れる。人が行くこと百千里であっても、月は常にその人に従う。
月そのものに変わりはないが、月を見る人によって月は異なる。仏もまたそのように、世の人びとに従って、限りない姿を示すが、仏は永遠に存在して変わることがない。
『大般涅槃経』
(『さとりの知恵を読む 仏教聖典副読本』仏教伝道協会)
お釈迦様が入滅される(亡くなられる)時のお言葉です。
お釈迦様は、この世から姿形は見えなくなるが、その本質は常に存在しているのだ、と教えられ、お釈迦様の教えは経典として遺され、私たちを導いて下さっています。
月が常に満ちているように、夜空一面に輝く星たちだって、日中にも存在しています。しかしその姿は確認できません。
同様に、私たちは人の一部分しか見えていません。
私たちは、その見えた部分だけで人を判断しがちです。見えていない部分には目を向けません。だからこそ、せめて目にした欠点だけで人を判断することは避けたいものです。
9月29日(金)は、中秋の名月です。
美しい月を眺めながら、見えない所に目を向けることの大切さを再認識していきたいと思います。
最後までお読みいただき
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