今日という日は特別な日
今日という日は
特別な日
№160
2022.09.01
神社には必ず石段があります。石段の間には踊り場がつくられています。何のために石段があるのか、そして何のために踊り場があるのか。それは、上がってきた人生の道を上から見下ろすためです。
自分が歩いてきた苦労の道を振り返るために存在するのです。
後悔するためではなく、「こんなに長い石段をよく上ってきたなあ」と、自分で自分をほめてあげるために存在するのです。
同時に、上の石段を見たときに、それは自分の戒めにもなっています。まだこれからもずっと長い間上り続けなければならない、ということです。
上り続けた結果として、その行き着く果てに「神」が存在します。
そのために、神社には必ず石段がつくられているのです。
「人生の中で最高峰にいる私」と「人生の中でもっとも未熟で生まれたての私」、それが今日ここに存在しています。
その、人生の中に二度とない特別日が二つ重なっている日が 「今日」です。それが今日も明日も、あさっても、ずっと延々と続いていくのですから、 こんなに楽しい人生が、ほかにあるでしょうか。
(小林正観『この世の悩みがゼロになる (だいわ文庫)』より抄出)
身延山久遠寺には「菩提梯(ぼだいてい)」と呼ばれる石段があります。1段1段が高く、頂上を目にできないほどの高さを誇る287段の石段です。石段を登り切った時、最初に目に飛び込んでくるのが荘厳なる大本堂。そして壮大に広がる大伽藍が私たちを迎え入れてくれます。まさに仏の世界へと誘われたかの如くであります。
石段を登り、踊り場にたどり着いた今この時が今日です。これまでの人生の歩みが、この場に立たせてくれているのです。そしてこの踊り場は、気持ちを新たに頂上を目指して1歩を踏み出す今日という時でもあります。
これまでによって培われた「今日」、そして人生の新たな1歩となる「今日」。この特別な日を大切にしていきたいと思います。
最後までお読みいただき
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