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自由主義憲法 〔草案と義解〕 単行本(ソフトカバー) – 2024/5/21
倉山 満 (著), 浜田 聡 (その他)
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ベストセラー1位 - カテゴリ 憲法
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気鋭の憲政史家・憲法学者による新しい憲法論!

「憲法」とは、文章として書かれた「憲法典」のみならず、国の国家体制――歴史・文化・伝統そのものである。
条文に囚われた“護憲か改憲か”の対立ではなく、世界各国の憲法と比較してそこから学び、日本という国が国際法に則り、国際平和に貢献するため、歴史をふまえた本質的な憲法論議をめざす。
国民の自由を護るための「自由主義憲法草案」を提示する!

を娯楽本として買った。
この本なら最後まで読めると。

倉山満氏がいつも言う。
書いてあることよりも書いてないことが大事だ。
その通りだと思う。
どうでもいいことはいくらでも書ける。
書けないことはいっぱいある。
でも書けないことが大事なこと。

2022年息子は結婚式をあげた。
5月25日は息子の子の顔を見に行く日。
なんてすごい日なんだろう。

私の腎臓が10年前から悪くなった。
internetで調べた。
腹膜透析、血液透析、腎移植をやられた松尾裕子様が第二日赤で治療を受けておられる闘病記をprint outした。
他にも大変な思いと時間をかけて命をつないでおられる御方が日本に35万人おられることを知った。
この命はいかに大切なものなのか、命を失う段になってやっとわかってきた。
私は花粉症で40年近くザジデンを飲み続けた。
腎臓が悪くなったのはそのせいではないかと妻に言われた。
ああそうかと思って、5月23日からザジデンの服用を止めた。
私も命を長らえることに必死になっている。
健康を維持することがいかに大切なことか。

7年前、娘に孫が産まれた。
孫が産まれるということは娘がそこまで持っていくことができたということ。
娘には毒親と言われていた。
卒業と同時に親の縄縛から逃れた。
私の許可を得て、すぐに結婚した。
そして、子供を産んだ。
それは娘が自立したということ。
孫が健やかに育っている。
孫が楽しそうにしているのを見る。
私たち爺婆の幸福なひとときである。
私たち爺婆が正しかったことを孫はすべて証明してくれている。
孫には私がどうやって生きてきたか見てほしい。
いくらか参考にしてほしい。
そして、幸せになってほしい。
孫が幸せになって、自立していくのを見るのが爺婆の一番の楽しみ。

孫は小学校2年生。
私は小学校1年生のとき2回転校をした。
孫を見ながら、私が小学校1年生のとき何が起こったかを追体験した。
爺婆の立場でどうであったかよく理解した。
そして、こんなことが私を被害者として田舎で起こった。
https://gigazine.net/news/20240112-children-biggest-perpetrators-sexual-abuse/
医学生になって一年目小学校中学校の同窓会へ呼ばれて行った。
行くといきなり「お前は目茶苦茶だった」と言われる。
以来いつも馬鹿にされている。
3人の弟にも馬鹿にされている。
それが彼らの快楽であるかのようだ。

私が精神科へ行ったのは、自分で自分の精神を治したかったから。
他の医者では治せないということはわかっていた。
他の医者に治してもらうのを他力本願という。
だから自分で自分を治そうと思った。
自分で自分を治すための手がかりを得たかった。
普通の医者は精一杯恵まれた世界で親に育てられている。
受験勉強をして進学校へ行き医学部に受かる。
そういう世界にいながら、医学部在学中に分裂病になる人は100人に一人。
愛媛大学の精神科教授が最初の講義でにこにこして言われたことは「100人に1人」というお話。
入学1年の時、2カ月もしないうちに同級生の姿を見なくなった。
どうしていなくなったか聞いたが誰も教えてくれない。
大学1年のとき、2年の野球部の人がなくなった。
脳腫瘍だった。
葬式に行った。
農家だった。
もう一人の女学生がいた。
その人は大学5年のとき講義にこれなくなった。
その隣には男子学生が隣にいて一緒に講義を受けていた。
その人も見なくなった。
私を避けていたから見なくなっただけかもしれない。
だいたい、医学生になった時点から私は同級生に軽んじられていた。

いや小学1年生の時から一人前として相手にされてこなかった。
小学1年生のときからいじめの対象だった。
私は彼らにとって異質な医学生だった。
愛媛大学にきている奴らは愛光学園とか進学校からきているのが何十人といる。
女学生なんて4-6年の間に一度も喋ったことがない人がほとんどだった。
ちょっと喋ってもそれ以降は相手にしないのが女子医学生の流儀だった。

これでは医者になっても医者として食っていけなくなると思い、卒業したらすぐに結婚した。
結婚していることで自分は精神的に強くなれると思った。
人間は結婚することで二人の背中が合わさって胴体が一つになる。
夜も昼も走り続けることができるようになる。
えらくなったら手足を空に向ける。
地面を走るのはもう一人の人間。
結婚は私が生きていく戦略だった。
私たち夫婦二人に生活保護を受けさせてやろうと思う医者はいなくなるだろうと予想した。
生活保護にはならなかった。
しかし、医者になっても2人の悪い医者の奸計に引っかかった。
医者の中にも人格障害が3人いる。
医者だから人格障害者がいないということにはならない。私を陥れて自分の力を確かめる。自分の力を皆に見せて自分が人格障害者であることを隠す。

だから、人格障害者はむしろ精神科医となって、生きていく。
それを一番良く知っているのはそいつとそいつの家族である。
家族が一番迷惑を受けているから、家族に聞いてみるがいい。

時は何年か経つ。
教授の個人的な紹介で県立病院を辞めることができた。
教授の紹介で単科の精神病院2つに勤務した。
一つは常勤で、もう一つはパートで。
2つの精神病院で4年ちょっとを勤めた。
その後、一つは辞め、もう一つで今も勤めている。

そこの院長は立派だった。
人を正しく見られた。
「医者なんて死体を扱う者、高級じゃない」と言っておられた。

そこの病院の常勤になって、1年4カ月たった。
老健の施設長がなくなった。
予定されていた医者が来年の4月からならと言ってすぐには施設長にならなかった。
それで、急遽私が施設長をやることになった。
院長はその後、特養もつくられた。
もともとあった病院も新築された。
その後、心労が重なり、今は亡くなってしまっている。
そこを最初に紹介してくださったのは今もお世話になっている教授である。
冷たいお墓のなかにいる私に蝋燭を灯してくださる御方である。

多くの精神科の医者は精神病の世界を知らない。
知らないから「自分で自分を治した」経験がない。
自分が病気に苦しんで、そこから這い上がれず人生を終わるのが精神科医に定められたcourse。
徳洲会病院に勤めていたという看護師が言った。
「病気になっている人は親を恨んでいる。
それは常人にはわからない」と院長が教えてくれたと、母を徳洲会病院で手術をしてもらって精神病院への帰りの車の中で付き添ってくれた看護師が私に語った。
なぜそんな話を私にしてくれたかわからないが、多分、私を見て、私を理解できないということが言いたかったのだろう。

母は自分の息子が医者になったことで自慢話として精神病院入院中、老健入所中に看護師とか患者とか入所者とかに身の上話と私のことをしゃべりまくったのだろう。
老健の入所者は少しはわかるからにやにやして私の顔を見る。
病院に入院中の者はそんなことはわからないからそんなことはしなかった。
母が自慢話でそんなこと人に言ったって誰も理解できない。自慢したいのはわかるが、迷惑なことをしおってと私は本当に迷惑だった。

私は母をこのままにしておいてはいけないと思ったから、医者になっただけなのだから。
母に対して私は恨みいっぱいだった。
祖母は私の父ちゅう太郎の不始末を孫に隠すために、母を恨むようにと私を仕向けた。
息子ちゅう太郎の不始末の責任を祖父母は私に隠した。
毎朝、私のいる前で、祖父は祖母に「どうしてあんな奴が産まれたんやろうえ」という話を、何回もして見せた。
祖母はお前の母ちゃんはお前らを捨てて出て行ったんだぞと何度も私に言った。
祖母は私が結婚してから「本当は父ちゃんが悪かったんだぞ」と白状している。
私は最初から祖母の言葉にいくらか疑いを持ったが、しっかりと母を恨むということはしていた。
母は当時小学1年生の私、5歳3歳の弟を父方の祖父母に3人、0歳児を子供のいない他人に預けた。
母の兄ともう一人の兄弟が談判に祖父母のところに来たのを覚えている。
母はこうして父の実家を出ていった。

大学を5年かかって卒業した。
就職はなかった。
それならば医学部へと勉強した。
かわいそうだからと、大学の寮生は1年半寮に住まわせてくれた。
その後、母の住む住宅に押しかけて、そこに住んだ。
そこで母にいろいろ話を聞いた。
3年間母は実家で泣き続けたと母は言った。
泣き続けた後、これではいけないと気づき、江南の紡績工場で住み込みで働くようになって私たちにお金を送った。
その後、関市の養護学校に勤務した。
母はボイラーマンになれと言った。
父、ちゅう太郎はお前が医学部行ったらへそでお茶を沸かしてやると言った。
半年後には医学部に合格。

私の娘に子供ができた。
孫を母に見せた。
その後、母が死んだ。
母の死後何年かたって、当時母は大変だったんだ、と私は母を理解した。

私が小学校1年の秋、大阪にいたとき、突然ちゅう太郎はお金を一円も入れなくなった。
ちゅう太郎が金を入れなかったのは高校3年まで続いた。

時は進む。
私を理解できる者など誰もいない。
妻だって、こんな人だろうとあたりをつけて結婚しただけ。
妻の従兄弟であり、結婚を勧めてくれた仲人でもあった人に「結婚して大変苦労した」と妻はぐちを言った。
「そんな失礼なこと言っちゃ駄目だ」と思ったが何も言わなかった。
妻にも本当の私の心なんてなかなか理解できない。
最近は私がすごい人だ、結婚してくじにあたったということを理解したと私は思っている。

医者になってから精神病になる医者もいる。
何人もいる。
そうなったら、自分で自分を治さないといけない。
誰もが自分を治そうと精神科医になる。
自分で自分を治すことができる者はほとんどいない。
自分で自分を治すことができない者は同業者に丸投げして治してもらうしかなくなる。
しかし、その同業者、この場合、教授とか、助教授とかになるが、それも治療者として怪しい。
無能であることを精神科医や医学生に証明してしまう。

投薬をするだけで治療は終わる。

精神病になる者がいるから、医師法には精神病の医者は医業をしてはならないとわざわざと書いてある。
わざわざと書いてあるということは、精神病になっても医業をやっている者がいるということである。

私なんかはお前は精神病だと言われて、医者を辞めさせられるんではないか、辞めさせられたらどうやって家族を養っていけばいいのかという恐怖で65歳まで本気で悩んでいた。

私は抗精神薬は今まで1回しか飲んだことはない。
医局の女医がなくなって葬式があった日。
そのとき、私はヒルナミン5mgを試しに飲んだ。
そしたら体が動かなくなった。
布団の中で眼は覚めているが、体が動かない。
精神科の薬を飲んだのは一回限りだった。
それほど精神科の薬は嫌いだったのである。

薬飲んで精神を治したなんて言うが、それはうそだろう。
本人の周りの環境は全く変わっていないのに、本人の考えも全く変わっていないのに治ったというのはうそだろう。
それは治ったとはいわない。
薬の力で脳の活動を抑えているだけである。
薬がなかったらまた脳の活動は元に戻る。
そしたら何もかも元に戻る。
そういうのは治ったとは言わない。

私は自分で自分を治すために精神科医になった。
自身のどうしても解決できなかったぐねぐねと曲がりに曲がった気持ちを変えたかった。
素直で単純な感情の持ち主になりたかった。
Sullivanが言う通り。
「同じ者が同じ者を治す」
自分自身を治してきた道を分裂病者に示すことで分裂病者を病から救い出すことができる。
自分自身が経験したことがない困難、そこから立ち上がったこともない者がどうやってその人をその困難から救い出すことができるのか。
Helen Swick Perryが「Sullivanの生涯」みすず書房、中井久夫訳で出している。
そこだったと思うが、
「Sullivanが入院していた精神病院のカルテを必死になって捜したが、Sullivanについてはみつからなかった。」という記述がある。
多分、Sullivanは精神病院に入院していたことがあるのだろう。
論文を読んでいても、「うん、ここは怪しい」と思いつつ読み進む。
多分、Sullivanは緊張病を通って、分裂病破瓜型になることから逃れることができた。
その後、医者になった。
William Alanson White博士を知った。
多くの分裂病者を治療した。
治療成績が良かったので、勤務していた病院経営者から注目を集め、多くの仕事を任せられた。
分裂病だった人がよくなり、そういう人も病院の職員として雇って治療にあたらせた。
アメリカの精神科医から注目を集めた。
多くの論文を出した。
開業した。

5月25日、9:30関へ墓参りに行った。
お墓が2つある。
一つは妻の両親のもの、もう一つは私の母のもの。
お墓を花で飾り、蝋燭と線香に火をつけて、妻がお経をあげる。
これを毎月やっている。
ご住職がお墓におられてお墓の掃除をやっておられた。
声をかけていただいた。
私はお祈りするときは「いい医者になれますように」である。
いつもそうだった。

当時、抗精神薬はなかった。
Sullivanは薬なしで分裂病を治療した。
(これは児童部の担当教官であった助手に教えられた。
当時の助教授は変に暖かった。
私が不祥事を起こした後なのに。
私に温かいなんてこれはおかしい、と思った。
入局1年目の児童部の夏合宿に参加した。
このとき助教授は論文発表で
児童外来で通った患者のその後の追跡調査を発表された。
助教授は
「治療後の調査に応じてくれるということは関係がうまくいっているからだ」と最後に付け加えられた。
その言葉の意味の重さが当時わからなかった。
治療後に患者の協力が得られるということは、精神科医が感謝されているからだということである。
その事実は精神科医の優秀さを証明するすべてなのである。
岐阜大学の教授として望まれて転任されていかれた先生です。
しまった、児童部へいけばよかったと今は思う。)
Sullivanは患者には高い治療費を請求した。
(これは当時の教授が「Sullivanは悪い奴だ。
患者に高い治療費を請求していた。」と教授室で言われた。
だから、私は知っている。)
Sullivanはそれでかろうじて飯を食っていった。

私にも転機は現れた。
環境の転機ではない。
私の脳内の認識が変わった。
65歳の時、孫が産まれたことで自分のやろうとしていたことの大方は実現したことを知った。
子育ての頃、子供だけは一人前に食っていけるようにとそれだけを目標に生きた。

読者にはSullivanの言っていることを理解してほしい。
私はSullivanの言っていることがわかるから最後まで読むのだが。

私には就職の斡旋はしないと、教授に教えていいた抱いた。。
医局とはその程度のもの。
医局なんてそれ程度のものでいい。
精神科の医者としてはそれはもう最高に鍛えられる。

Sullivanは私が入局後2カ月でみすず書房中井久夫訳で出会った人である。
それ以来、私が一生を生きていくために必要な病者治療のヒントをSullivanは与えてくれた。
だから体が弱ってきても、すべてのものに興味を失っても、Sullivanだけは私の心をとらえて放さない。

今はGoogle翻訳がある。
Google翻訳がうまく訳してくれる。
Google翻訳でも意味がわからないときもある。
そんなときは苦労して自分で訳す。
苦労して自分で訳すのはまた楽しい。
ああでもない、こうでもないと考える。
最近はschizophrenia as a human process、its conservative and malignant featuresを再度訳した。
今まで訳す度に違った訳になってしまっていた。
Freud、Jungとか、その他いろんな研究者が出てくる難しい論文である。
それぞれの研究者に対して皮肉が書いてある。
今回、それを訳しているうちにSullivanのいうsentimentの本当の意味がわかった。
この言葉の意味するものは分裂病の非常に大事な要素である。

Sullivanの翻訳は文字を専門用語に代えるだけでは意味は通じない。
「his disease」を「彼の病気」と訳しても通じない。
「彼は病気した。」、「その病気は」と一つの単語diseaseを二つの文にして訳さないと通じない。

外来やると治療者の心はすさむ。
外来とは我が身を削って患者に奉仕するところ。
外来は主に開業医がやっている。
開業医をやっていると大阪のように患者に恨まれて殺される。
刃物を持ち込まれけがをさせられる。
患者が少ないと医院はつぶれる。
まじめにやっていると心はずたずたに切り刻まれていく。

いろいろと本を買っているが読むことがない。
興味の範囲が狭まってきている。
でも自分が30年前訳していたものをもう一度訳し直しておきたい。
昔はrandomhouse-小学館の分厚い辞書を使って訳していた。
昔は自分自身訳してもほんとうはどういうことなのかわからない部分があった。
わからないところがあっても無理に訳していた。

ほとんどの精神科医は育ちがよすぎて理解できない。
だからSullivanは読まない。
ほとんどの精神科医は精神病になって死んでいくか、人生の最大の目的である金儲けして老衰して死んでいく。
患者から最も遠いところにいて精神をみるのが精神科医。
患者を治す能力はない。
「自分で自分を治す」ことをしたことがないから。
患者に比べて恵まれすぎている家庭環境で生きてきてかろうじて医者になった者ばかりだからだ。

症例を読むと、Sullivanの力量がひしひしと伝わってくる。
読者は直接病気にかかって困っている人もいるだろう。
そういう読者はむしろSullivanが理解できる。
Sullivanのことばの中に病気の人のこころを励ますヒントを見つけることができる。
そんなヒントを見つけてほしい。

5年間続けてSullivanを訳した。
原文と訳をパソコンに入れて、左右に分けて、それを見ながら訳した。
peculiarity of thought in schizophrenia
では患者の書いたこと、言ったことの記録が長々と記されている。
これをgoogle翻訳にかけて、それをcopy & pasteする。
その訳と原文をCDに焼いて保管していたことを思い出した。
6月1日、それを探して見つけ出した。
その訳を読む。
5年かけて訳した訳もなかなかよくできている。
最新の訳と並べて読むと理解がより深まることに気づいた。
昔入れた原文が手元にある。
原文を新たにgoogle翻訳にかける。
これで原文をいちいちパソコンに打つ手間は必要なくなった。
google翻訳は超優秀。
原文を入れれば超高速で翻訳してくれる。

Harry Stack Sullivan
1892-1949

次の著作物の出典、順番は

みすず書房、「サリヴァンの生涯」、第2巻
中井久夫、今川正樹訳
巻末の、
H. S. サリヴァン著作総目録

を参考にした。

Psychiatric Interview
The Interpersonal Theory of Psychiatry
Clinical Studies in Psychiatry

は、
SullivanがWashington医学校などで講義をしたときに録音したtape recorderを
U. S. A.のNorton社が編集、出版したものと思われる。
これらのものは、Sullivanの手だけによって、生前に出版されたものではない。
したがって、著作権はまだ何十年か生きており、
原文とそれらの訳は載せることはできない。

実に、Sullivanの著作群のうちの圧巻は実にこの1冊目と2冊目です。

Sullivanは、学校で講義をする中で、自分自身の考えを、より伝達可能な
ものにしていったと思う。

原文については、Sullivanが生前に論文として出した作品だけを転載した。

また、
岩崎学術出版社の
サリヴァンのケースセミナー
A Harry Stack Sullivan Case Seminar by Robert G. Kvarnes
Treatment of a young male schizophrenic

があります。

Sullivanの業績を以下に記します。

1892-2-21生まれる

1924(32歳)

Schizophrenia: Its conservative and malignant features
@American Journal of Psychiatry@, 81:77-91
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病:その保存的な特徴と悪性の特徴

1925(33歳)

The oral complex
@Psychoanalytic Review@, 12:30-38

口観念複合体

Peculiarity of thought in schizophrenia
@American Journal of Psychiatry@, 82:21-86
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病の中にある思考が持つ奇妙さ

1926(34歳)

Erogenous maturation
@Psychoanalytic Review@, 13:1-15

性的満足を与える成熟

Regression: A consideration of reversive mental processes
@State Hospital Quarterly@, 11:208-219, 387-394, 651-668

退行:逆行的な精神的過程を考察すること

The importance of a stuy of symbols in psychiatry
@Psyche@ (London), 7:81-93

精神医学で記号を研究することの重要性

1927(35歳)

Affective experience in earyl schizophrenia
@American Journal of Psychiatry@, 83:467-483

早期分裂病の中にある感情経験

The onset of schizophrenia
@American Journal of Psychiatry@, 84:105-134
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病の始まり

The common field of research and clinical psychiatry
Psychiatric Quarterly, 1:276-291
Schizophrenia as a Human Processに再録。

研究と、臨床的精神医学が持つ共通分野

1928(36歳)

Tentative criteria of malignancy in schizophrenia
@American Journal of Psychiatry@, 84:759-787
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病の中にある悪性度についての試験的な基準

1929(37歳)

Research in schizophrenia
@American Journal of Psychiatry@, 86:553-567
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病研究

1930(38歳)

Archaic sexual culture and schizophrenia
N. Haire編 @Proceedings of the Third International Conference
for Sexual Reform@ (第3回性改革国際会議議事録).
London, September 8-14, 1929. London: Kegan Paul, Trench, Trubner
& C., pp. 495-501.
Schizophrenia as a Human Processに再録。

古めかしい性愛文化と分裂病

Schizophrenic individuals as a source of data
for comparative investigation of personality
@Proceedings Second Colloquium on Personality Investigation@
(with the American Psychiatric Association Commitee on
Relations of Psychiatry and the Social Science Research Council),
Baltimore, Md.: The Johns Hopkins Press, 206 pages
(Sullivanはすべてに出席。彼の発言はpp. 43-154に点在)
Schizophrenia as a Human Processに再録。
無削除のreprintはXerox University Microfilms. Ann Arbor, Mich. 48106より
入手可能。
#OP51674と依頼のこと

人格を比較研究するためのデータの源としての分裂病者

The Totality of Organism and Situation
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

状況と統一体が持つ統合性

The Growth of Personality
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

人格が成長すること

Dynamisms of Difficulty
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

困難が持つ力学

The Chronology of Difficulty
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

困難が持つ年代学

The Juvenile Era
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

小児期時代

Preadolescence
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

前思春期

Male Adolescence
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

男の思春期

Notes on Female Adolescence
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

女の思春期についての大要

Sleep, Dreams, and Schizophrenia
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

睡眠、夢、そして、分裂病

Types and Typical Situations
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

型と典型的な状況

The Study of Personality
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

人格の研究

The Working of Welfare
Farewell Lectures. Sheppard & Enoch Pratt Hospital.
私家版で流布
@Personal Psychopathology@に再録。

福祉の仕事

1931(39歳)

The relation of onset to outcome in schizophrenia
@Schizophrenia@ (Dementia Praecox),
@Proceedings, Association for Research in Nervous and Mental Disease@,
Dec. 27-28, 1929. New York: Williams and Wilkins. 10: 111-118所収.
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病の中にある、結果に対して、始まりが持つ関係

Environmental factors in etiology and course under treatment of schizophrenia
@Medical Journal and Record@. 133: 19-22.
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病の治療下での病因と過程の中にある環境因子

Socio-psychiatric research
@American Journal of Psychiatry@, 87: 977-991
Schizophrenia as a Human Processに再録。

社交精神医学的研究

The training of the of the psychiatrist.
Ⅳ.Training of he general medical student in psychiatry
@American Journal of Psychiatry@, 1: 371-379

精神科医の訓練

The modified psychoanalytic treatment of schizophrenia
@American Journal of Psychiatry@, 88: 519-540
Schizophrenia as a Human Processに再録。

分裂病についての、軽減のために部分修正された精神分析的治療

1933(41歳)

Mental disorders
@Encyclopaedia of the Social Sciences@, 10: 313-319.
Schizophrenia as a Human Processに再録。

精神障害

1934(42歳)

Psychiatry
@Encyclopaedia of the Social Sciences@, 12: 573-580.
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

精神医学

1935(43歳)

Psychiatric training as a prerequisite to psychoanalytic practice
@American Journal of Psychiatry@, 91: 1117-1126.
Schizophrenia as a Human Processに再録。

精神分析的実践をする前提条件としての精神医学的訓練

1937(45歳)

A note on the implications of psychiatry, the study of interpersonal relations, for investigations in the social sciences
@American Journal of Sociology@, 42: 848-861
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

精神医学は、人間間の関係についての研究である。
社会科学の中での調査に対して、精神医学は密接な関係を持つ。
そのことについての大要

1938(46歳)

Psychiatry:
Introduction to the study of interpersonal relations
@Psychiatry@, 1: 121-134.
P. Mullahy編 @A Study of Interpersonal Relations@.
New York: Hermitage (1949). pp. 98-121
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

精神医学:
人間間の関係についての研究への紹介

Antisemitism
An editorial. @Psychiatry@, 1: 593-598.
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

反ユダヤ主義

1939(47歳)

Intuition, reason, and faith
An editorial. @Psychiatry@, 2: 129-132.
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

直観、理性、(証拠、根拠に基づかない)自信

A note on formulating the relationship of the individual and the group
@American Journal of Sociology@, 44: 932-937
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

個人と群れが持つ関係がある。
その関係について、系統的論述をすることについての大要

1940(48歳)

FOREWORD
Conceptions of Modern Psychiatry
The First William Alanson White Memorial Lectures, @Psychiatry@, 3: 1-117;
Washington, D. C.: William Alanson White Psychiatric Foundation, vii+147 pages.

序文

Lecture 1
Conceptions of Modern Psychiatry

講義1

Lecture 2
Conceptions of Modern Psychiatry

講義2

Lecture 3
Conceptions of Modern Psychiatry

講義3

Lecture 4
Conceptions of Modern Psychiatry

講義4

Lecture 5
Conceptions of Modern Psychiatry

講義5

Discussion of the case of Warren Wall.
A psychiatric gloss on a sociological study.
In: E. F. Frazier編 @Studies of Negro Youth: Negro Youth at the Crossways.@
Washington, D. C.: American Council on Education, pp. 228-234.
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

Warren Wallの症例についての議論

Propaganda and censorship
@Psychiatry@, 3: 628-632.
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

(個人、団体、運動、制度、国民などの弁護、又は、誹謗の目的で)
流布された情報(propaganda)と検閲(制度)

Editorial Notes:
ENDOCRINONEUROPSYCHIATRY

編集者の覚え書き
内分泌神経精神医学

MEMORANDUM FROM THE WILLIAM ALANSON WHITE PSYCHIATRIC FOUNDATION
ON THE UTILIZATION OF PSYCHIATRY IN THE PROMOTION OF NATIONAL SECURITY

@Psychiatry@, 3: 483-492.

国の安全を促進する中で精神医学を利用することについて、
William Alanson White精神医学財団からの覚え書き

Southern Psychiatric Association

Report of its Committee on

Psychiatry and the National Defense

@Psychiatry@, 3: 619-624.

南部精神医学会

精神医学と国防の委員会報告

A minimum psychhiatric inspection of registrants
@Psychiatry@, 3: 625-627.
登録者に対する最少の精神医学的検査

1941(49歳)

Psychiatry and the national defense
@Psychiatry@, 4: 201-217.
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

精神医学と国防

Memorandum on a psychiatric reconnaissance
C. S. Johnson編 Growing Up in a Black Belt.
Washington, D. C.: American Council on Education, pp. 328-333所収。
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

精神医学的調査についての(特に将来に予定したことの)覚え書き

A Seminar on Practical Psychiatric Diagnosis (for Selective Service System Psychiatrists)
@Psychiatry@, 4:265-283.
実際的な精神医学的診断についての研究会

1942(50歳)

Completing our mobilization(著作権の関係でださない)
An editorial. @Psychiatry@, 5: 435-442.
一部、The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

もとの原文を取り寄せる予定。

我々の動員を完了して

A YEAR OF SELECTIVE-SERVICE PSYCHIATRY
Mental Hygiene.26:7-15

選抜徴兵の精神医学の一年

1943(51歳)

Psychiatry and Morale
F. J. Sladen編@Psychiatry and the War.
Springfield, III. and Baltimore, Md.:
Charles C. Thomas. pp. 327-340
1941
Psychiatric aspects of morale
@American Journal of Sociology@,
47: 277-301.
A. Stanton and S. Perry編
@Personality and Political Crisis@
Glencoe, III: The Free Press (1951)に再録。
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

精神医学と志気

1947(55歳)

Therapeutic Investigations in Schizophrenia

分裂病の中にある治療的な調査

MENTAL-HEALTH POTENTIALITIES OF THE WORLD HEALTH ORGANIZATION

世界保健機構が持つ精神健康の潜在能力

Remobilization for enduring peace and social progress
@Psychiatry@, 10: 239-252
部分的に、The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに再録。

永続的な平和と社会的な進歩のための動員

1948(56歳)

The meaning of anxiety in psychiatry and in life
@Psychiatry@, 11: 1-13
The Fusion of Psychiatry and Social Scienceに改訂再録。

人生の中にある、そして、精神医学の中にある、不安の意味

1949-1-15逝去

The study of psychiatry
1948 orienting lectures. @Psychiatry@, 12: 325-337
精神医学の研究

1950

Multidisciplined coordination of interpersonal data
S. Stansfield Sargent and Marian W. Smith編@Culture and Personality@, New York: Viking Fund(現在はWenner-Gren Foundation for Anthropological Research), pp.175-194

人間間のデータについての、(共通目標を達成するために)いくつかの専門分野を結集した共同作業

以上

4月11日、m3に13日の外来の4.5時間のspotの仕事を紹介を依頼した。12日1627断りの通知がきた。「大学に聞き合わせをしたのだろう。それで、不採用となったのだ。」と妻は言った。ちょっとshockだった。でもよく寝て13日1557には立ち直 っていた。
35年前の医局での申し合わせが今も生きていることを確認した。


そこは医師個人の外来に秘書がついてカルテを書いているところだった。こいつは使えるかどうか、秘書が3.5時間もついていて医者を観察すればわかる。秘書も専門家。秘書は医者を監視する役目をしている。雇用者に報告する仕事を与えられている。こいつ、どれくらい病気かも正確にわかる。どれくらい無能かもわかる。

❸これで、患者にどれくらい喜ばれ、役にたっている医者であるかも経営者側は第3者の目からも客観的に見ることができる。せめて試用期間を設けてから断れば、「あなたがこういうところが悪かったから、採用不可にした」と経営者側も細工できる。


こちら側も「こういうことが悪かったから採用不可になったんだな」と何年かたってわかることもある。一生わからないこともある。一生わからなくっても、こちらとしても勉強になる。試用期間も設けず、いきなり採用不可。経営者と大学医局は何を恐れているのか。


実はいきなり採用不可にして、私をひるませることが目的。その恫喝は72の爺には利かない。
人間は60になると一度死ぬ。その後、生き返る。65で初孫が産まれた。そのとき、私は35年間自分が正しいことをしてきたことを知った。


不採用になったとき、「私の扱いは35年前と何も変わっていない」と今さらのように思った。一流だと思った開業医のそこの精神科外来も大学精神科も医者は、今だに私にこういう扱いをする。患者の利益も何も思っちゃいない。医者同士が自分自身が楽して食っていくために自分たちを護るために汲々としている。
彼らはいったい何を恐れているのだろうか。


面識のある精神科医のうちで3人、研修中の4年以内に死んでいる。
2人は死因は私は知らされていない。
一人は車の中で死んでいた。
まわりには薬の入っていたプラスチックが多数散らばっていたという。

精神科医は何もしなくってもいいもんにーと楽な道を選ぶ。
精神科医は、内科医としても、外科医としても勤まらない。
手先が不器用だから。
だから、人は精神科医になる。
しかし、1年もしないうちに落とし穴に落ちたことに気づく。
技術研鑽とかして、陛下の心臓の手術を任された順天堂大学の天野教授とか、Nobel賞をとられた山中教授とか、大村智教授とか、そういう道に進むこともない。
何の有効な知識も得ることなく、歳だけとっていく。
それが精神科医。
そして、死神が、ひたひたと足音をたててやってきているのに気づく歳に近づく。
精神科医は歳とるだけで開業もしてないと、一家の糊口のために働かなくなくてはならなっていく。
私がそうです。
精神科医が天寿全うするためには単科の精神病院に雇っていただいてかろうじて生きていくことになる。
それでも雇ってもらえる医者はまだいい。

spy familyのホージャは精神科医の教授だが、それは偽装するための外向けの顔。
精神科医が格好がいいのは漫画の中だけ。


2回の高校の同窓会で小学校の校長までやった同級生に2回もしつこく聞かれた。
「精神科医やってて自分がおかしくならないか」って。「お前のような奴がやって、お前が最初におかしくならないか」って言外に聞かれた。
その観察力は鋭い。
しかし、彼は一つの事実を見逃している。
「いや、ならない」と連れションしながら答えた。


今から思うとそいつが校長やって退官するまでに、精神病になっていく同僚を何度も見ているから出たことばなのだろう。
医者も看護師ももし患者に共感を持つようなことがあれば、自身も病むようになる。
だから、医者も看護師も休養をとらなければならない。
精神科医も看護師も休養をとって自分で自分を治さなければならない。
自分で自分を治す方法を知らない医者は、精神病の世界に入っていくばかり。
ほとんどの精神科医は患者に少しでも共感するようなことがあってはならない。
それを上級医師に教えられた。
だから、精神病患者はただただ冷たくあしらわなければならない。
診察室で、「おい、お前は私に近づくな。」ってね。
自身を治せない者は患者を治すこともできない。
当然だよね。
それが無能精神科医が自分自身が病気になることを予防する唯一の方法である。


患者が近づくと疫病神がきたかのように多くの無能精神科医は徹底的に患者に冷たくあしらう。
そうすることで、医者は自身の発病を予防する。
県立病院の慢性期病棟の看護師長はそういうところをよく見ていた。
鋭い。


研修医でそこで働いていたとき、その看護長は「ooは嫌がらずに毎日病棟に来る。他の医者はこない」と褒めてくれた。


医者をよく観察されていた、ものごとを正しく観察されていた看護長だった。
そういう御方が看護総長になっておられれば、あの県立病院も世に貢献しただろうに。
あれは事実である。
「同じ者が同じ者を治す」、
この一言がSullivanのすべてである。
Sullivanは何も難しいことは言っていない。
若い時に実施訓練ともなる精神病になるかもしれないほどの目にあわないと、人はSullivanを理解できない。
ただpaper testで偏差値がいいというだけでは理解不能である。
Sullivanに至るまでが、その人の困難な道を辿ってきた経験を必要とする。
育った環境がよくって頭がいいだけで医師になった精神科医には理解できない。
ひどい目にあったこともない精神科医はこのことを一生理解できない。
精神科医は自分が何を言っているのか訳もわからず外来で患者に何かを喋っても、喋るだけでは駄目。
医者も患者も黄金のときを失うだけ。
医者は自業自得だからそれもいい。
でも患者は自らを治すための黄金の時間を失う。
外科に黄金の時間ってある。
地震で建物の下敷きになって72時間は黄金の時間である。
この時間に助けてもらえなかったらほとんどの人は死ぬ。
精神科にもこれがある。
患者になってしまうと一生精神病院ということになる。
精神病院が嫌で自殺を選ぶ人もいるだろう。
だから、私のような、実際に病者を助けることができる者を見いだして大切にしなければならない。
しかし、実際はそうではない。
こちらもそれをどうこう言わなかった。
黙っていた。

今までに2人、私を見いだして主治医になって欲しいと頼まれたことがあった。
私には当時余力がなかったので断った。
家族と自分を守るために精一杯だった。

入局時、教授も言っていた。「私は精神科医だと言えば精神科医。(「精神科医で通る。そんなぼろい科だ」というのが言外の意味だと私は受け取った)」。
ところが、どっこい。
精神科医にはSullivanのように自ら成長するという仕事が残されている。


医者どもよ心してそれをよく知れ。
30年前、県立病院で看護師の頂点を極めた女性の看護総長がいた。
彼女は准看護学校を卒業して、そこまで上り詰めた。
その看護総長が「医者どもが、医者どもが」と口癖のように言っている。


私と同年齢の上級医師がそこにいて、それを聞かされるのが苦痛だとそう顔に書いてあった。
「医者どもが。医者どもが」と聞かされることをその上級医師は喜んではいなかった。
嫌がっていた。
この歳になって、看護総長の気持ちがよくわかった。
私も看護総長と同じ心境である。
「医者どもが、医者どもが」と私も言う。

私の生い立ち


2回目の転校をした後のある冬の朝、授業が始まる前は、運動場でラグビーボールを蹴ってゴールに入れるゲームを地区ごとにチームを組んで他のチームを相手にやっていた。
私は教室の中にいた。
同年の学童に「こちらに来るように」と言われそれに応じた。


私と同じ隣保班に所属する3年生の2人の学童と、隣保班の隣の地区に住むもう1人の学童、家のすぐ隣に住む小学校1年のまたいとこ、その他近所の同地区の5人くらいの学童に教室の外の小学校玄関の脇に行った。皆楽しそうにニタニタしていた。


一番たちの悪い3年生に不機嫌な顔をして「お前、羽抜けって知っているか。」と聞かれた。
村八分のことである。
他の奴らはニタニタしていた。
「運動場へ来ないとそうなるぞ」とそいつに脅された。


以後、運動場へ出て遊ぶようにしたが、相手にされなかった。
それがいじめの始まりだった。
羽抜けの扱いはこの歳になっても続いている。
私を守ってくれる父もいなかった。
父、祖父、叔父はただただ悪い見本だった。


こうして、私は何回も有毒な生ワクチンをうたれてきた。
私は困難にあっても精神障害にはならない。
小学校1年よりいじめにあってきたが、それを乗り越えてきたからだ。


一つ大学を卒業して、就職できなかった。
ならば、医学部へ行こうと2年宅浪した。
運良く医学部に受かった。
医学部出てすぐに私は結婚した。
2人のこどもが生まれた。
父、叔父、祖父の3人が私にしてきたようなことをこどもにだけしてはいけない、ただそれだけを目標に生きてきた。


自由にものを考えることができるようになったのは最後まで生きていた叔父が2023年になくなってから。
叔父はこの世で最大の恐怖だった。
小学校1年生と27歳の青年の体力差で奴に脅されていた。


27歳の男が小学校1年生に本気で飛び掛かってきたら、小学校1年生は殺される。
奴はそれを知っていて私を怖がらせた。
今から思うと卑怯で小心な男だった。
叔父や祖父は私が小学校一年のときから何か言うと、「口答えするな」ということばを返した。
さもなければ暴力を受けるという底無しの恐怖があった。


叔父は当時27歳位で結核病棟から出てきた病み上がり。
祖父は結婚後牛乳配達の経験しかしてない。
子供の育て方を知らない。
4人のこどもを甘やかし尽くした祖母(これは仕方ない)。
暴力で脅すいつも機嫌の悪い27歳位の叔父、そいつにはいつも尊敬を強要された。


私はそいつが喋ってくるので、そいつが機嫌を損ねないように、小学校の私は気をつかい、にこにこと道化を演じた。
小学校1年の冬以来、祖父と叔父には反論すると「口答えするな」といつも言論封殺された。
そいつと同じ屋根の下に私たち3人の兄弟は何年か住むことになった。


この叔父は本当に最凶最悪男だった。
小学校1年生以来、暴力を振るうと脅かし続けてきた恐怖男は2023年に急にいなくなった。
今やこの世は桜も咲き乱れ、天国になった。


急に私は自由にものを言えるからだになった。
手塚治虫のどろろでは、化け物が死ぬと化け物に奪われていた手足、目、耳が一つづつからだに戻ってくる。
ベベン
百鬼丸のこころは私のこころ。




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