
【メキシコ🇲🇽】標高2240m!メキシコシティマラソン
「メキシコ」と聞いて何を思い出すだろうか
テキーラ、タコス、カンクン、マヤのピラミッド、マリアッチ、麻薬戦争、治安の悪さ、WBC準決勝での日本との死闘、、
いずれも正解である。
しかし1つだけ重要なものが抜けている。
そう、泣く子も黙る「メキシコシティマラソン」である。

筆者は2020年8月から2022年5月まで首都メキシコシティに駐在していた。当初はコロナ禍真っ只中であったが非常に充実した2年弱であった。しかし当初はまだまだソーシャルディスタンス全盛期であり、マラソン大会という雰囲気でもなかった。
その後、徐々に緩和されるにつれ各地のレースも少し再開され、メキシコ国内の様々なレースに出た。これらもいずれは書いておきたいが、今回は国内随一のBIGレースであるメキシコシティマラソン(日本でいう東京マラソン)について筆をとりたい。
その前にメキシコという国について簡単に触れておく。
あまり知られていないが、メキシコの首都メキシコシティは標高2200m超えだ。
普通に生活するだけでも最初は結構しんどい。生きてるだけで高地トレーニングだ。
よく年中が常夏の熱帯気候と思われがちだが、全然そんなことはない。一年を通してカラッとしており、気候も15-20度前後と非常に過ごしやすい。その意味で日本のような四季はない。
食事も日本で馴染みのあるタコス以外にも多種多様であり、おそらく読者の皆さんが思う100倍奥深い。
実はメキシコ料理は日本の和食よりも先にユネスコ無形文化遺産に登録されているのだ。
これは余談だが、メキシコのコカコーラは「世界で1番美味しい」と評判であり、本場のアメリカ人もこぞって箱買いしている。
どうやら人工甘味料でなく、サトウキビを使って甘さを出しているのが秘訣のようだ。

もちろん観光にも事欠くことなく、世界的にも有名なビーチリゾート、カンクンをはじめ、マヤ遺跡のピラミッド、映画「リメンバーミー」の舞台ともなったカラフルな街グアナファト、テキーラ発祥の地テキーラ村、先住民文化が色濃く残るオアハカ、絶景の大渓谷を山岳列車でいくチワワ鉄道の旅など本当に観光資源のバーゲンセールだ。
このあたり語り始めると時間がいくらあっても足りないので割愛したい。



ちなみにチワワ鉄道に乗ってララムリ族に会いに行った話はこちらから↓↓
話は逸れたが、メキシコシティマラソンに戻りたい。
通常であればメキシコシティマラソンは8月末(日本と異なりそんなに暑くない)の開催であるが、コロナ禍ということもあり、筆者の滞在中は11月の開催となった。
開催してくれるだけありがたい。
これは出るしかない…
ポチり…
・・・・
「エントリー完了!」
そんな経緯で2021年11月、念願のメキシコシティマラソンに出ることになったのだ。
日本の場合、マラソン大会の締め切りは半年前くらいのパターンが大半だろう。準備の関係もあるのだと思うが、正直そんな先の予定なんて読めないし早過ぎだろう。
しかし!ここはラテンの国メキシコである
みんなノリで生きている
大規模なマラソン大会も数日前まで申し込みを受け付けている。
しかもエントリー費も日本円で3000円ほどでありお財布にも優しい。
マラソン1本走るのに2万円近いエントリー費をとる我が国とは大違いである。
その上
なんと大抵のレースで当日にゼッケンナンバーなくてもコースを走ることも可能なのである!
これには驚いた
もちろんそのような輩には完走メダルや参加賞はなく、給水やエイドも控えるよう呼び掛けられている。
しかしゴール後には「ゼッケン無し」ランナー専用の出口も用意されているのだ!
これは賛否両論あると思うが、ランニングそのものを楽しもうとする意味では良い取り組みだと思う
日本のマラソン大会は、(これは国民性もあるのだと思うが)どうも真面目すぎるというか運営がカチッとしすぎているきらいがある。
そしてランナー側も真面目だから記録狙いの人々が多すぎるのではないか。明らかに日本の市民ランナーのレベルは群を抜いて高いと思う。
メキシコでサブ3でもしようもんなら相当上位である。私レベルでも地方の野良レースなら入賞できるくらいだ。
日本でももう少し、ゆるく、音楽を爆音で掛けながらお祭りのよう感じにしても良いのかなと思う
そして海外マラソンではお馴染みのエキスポも楽しい。
コースはこんな感じである

結構アップダウンがあり、オリンピックスタジアム(1964年の東京五輪の次1968年はメキシコシティ五輪であった)からスタートし、市内の主要どこを走り、ソカロというメキシコシティの旧市街のランドマークであるソカロ(日本でいう皇居的な)がゴールだ
今回の参加者は1万人以上のマンモス大会である。
・・・・・・
そして迎えたレース当日
スタート時刻も早いので4時ごろに起きてUberでオリンピックスタジアムまで向かう

ブロック毎にスタート時刻も分かれているが結構みんな適当である
筆者は普通に遅刻(笑)し、想定より遅いブロックでスタートした
もちろん最初からずっと単独走
序盤は下り基調であり、道幅も広く相当走りやすい。給水の頻度もいい感じである
筆者の当時の自己ベストはコロナ前にスペイン時代に出した3:15
コロナ禍で思うように走れない期間が続いたが、なんとかそのレベルまで戻してきた。
今回はサブ3は難しいだろうが、3時間1桁(3:10切りからシュガーカットと言われているらしい)を目指してトレーニングを積んでいた。
大丈夫、これだけ高地でトレーニングしたのだから日本にいる時よりも心肺機能は鍛えられているに違いない
・・・・
ん、ちょっと待てよ
高地トレーニングは一定の期間高地で練習をし、その後低地に戻るから身体が軽く感じるわけであり、同じ高地のレースに出るのならば意味なくね?!?!と走りながら気づいた。
初歩的なミスである
アメリカで働いて日本の2倍の給料をもらっても現地の生活費が2倍ならば結局同じである。
しかしそんなことを考えても時遅しなのでいくしかない
メキシコシティのいつもの見慣れた街並みを見ながら走ると楽しい気分になる
東京マラソンで東京のど真ん中を走れる感覚に似ている
この一年ですっかりメキシコナイズなれてしまっているようだ
日差しは強いが、気温もちょうど良く走りやすい
淡々と4:20-25/kmのペースで刻む。マラソンは前半は無心で行かねばならない。
何よりも沿道の応援がすごい
さすがラテンのである
沿道から袋詰めしたコーラを渡してくる人や、飴やスナック菓子を渡そうとしてくる人、様々である。気持ちだけで十分である。
衣装もアステカの衣装を着て走る人など本当に自由だ


ハーフまでも順調だ。
20-25キロも減速することなく快調に進む
しかし、わかってはいたが距離走が足りていないのが祟ってか30キロ手前くらいで一気に呼吸も足も苦しくなる
そりゃこんな高地でこのペースで30キロ以上の距離を走った経験はないのだから当然だ
マラソンのいいところの1つは、ゴールが決まっている分、ゆっくりでも一歩ずつ足を進めれば確実にゴールまでの残りの距離が減ることだ
でもそれは単なる綺麗事である。言うは易しである。
現実はそんなに甘くない
苦しい
辛い
脚が痛い
身体の節々が痛い
やめたい
明日仕事行きたくない
ありとあらゆるネガティブな言葉や感情が、寄せては返す波のように次から次へと頭の中を駆け巡る。
よくマラソン界隈で言われているものにこのような言葉がある
"Pain is inevitable, but Suffering is optional"
(痛みは避けられないが、それを苦しいと考えるかは自分次第だ)
客観的な痛みはどうしようもないが、それを苦しいと捉えるかどうかは主観であり、自分次第ということだ。
…なるほど?
は?何言ってんだこいつ?!?!
こっちは本当に苦しいんだよ!誰が何と言おうと客観的にも苦しいんだよ!!!いい加減にしてくれ!
……とその場で叫びたかったが、日本人のレピュテーションにも関わるのでグッと堪えて心の中で叫ぶに留めた。
それにしても次の1キロが遠い…
普段なら1キロなんてアップにもならない何でもない距離なのに、この日に限っては果てしなく遠い。
本当に距離表示は合っているのだろうか?その辺のメキシコ人が恣意的にずらしたのではないだろうか?
人は疲れていると性格が悪くなるのである。
何気ないコップ一杯の水が砂漠のど真ん中ではダイヤモンドよりも価値のあるものと感じるように人間がある事象を捉える基準は極めて曖昧で主観的だ。
富士山頂上で食べるカップ麺が、ミシュラン三つ星のフレンチフルコースよりも美味しく感じるのはそういうことだ。
そう、何が言いたいかというとこの日の「1キロ」は、それくらい自分とって長く、辛く、そして忘れられない「1キロ」であった。
……
こんなポエマー的なことを呟いてもゴールまでの距離は減らない。
……
そしてついに35キロ地点
ここで衝撃的な事実に気づいてしまった
なんと通りに面している自宅の前を通るのだ。
神は見ていた。ちょうど良い願ってもないタイミングだ。
・・帰りたい
もういいではないか、異国の地で35キロも走ったのだから十分である。家の鍵もポケットに入っている。
そのまま家のシャワーを浴びてキンキンに冷えた冷蔵庫のビールでも飲もうではないか。今日は自分を褒めてあげよう。うんうん。
人間の脳というのは便利なもので、このような状況下ではリタイアするための言い訳や正当化の理由が泉から湧き出る水のように次から次へと生じるのである。
そして、おもむろにポケットの中にある自宅の鍵に手をかけようとした次の瞬間…
沿道からメキシコのおばちゃんの大歓声がふと耳に入る。
この大声援の中で耳に直接届くのだから相当な音量である。これくらい自己主張しないと競争の激しいメキシコのおばちゃん界では生き残れないのだろう。
アニモ!アニモ!アニモ!
(ÁNIMO =スペイン語で「頑張れ」)
嗚呼、全くの赤の他人の自分な対してこんなに精一杯応援してくれている。
なんてありがたいんだ、、
しかし、よく見るとこのおばちゃん、右手にポテチ、左手にコーラを持っているではないか。
昔、遊戯王カードで似たようなやつあったなと思いを馳せる。

そして両手が塞がった状態でそのメキシコおばあちゃんは続けるのだ。
SI SE PUEDE!!!!
SI SE PUEDE!!!!
SI SE PUEDE!!!!!
(シ!セ!プエデ!)
英語で言うYES YOU CAN !!(君ならできる!)という意味である。
平常時ならば、いやーありがたいなあで何事もなく通り過ぎて終わるだろう
しかしそのときは心も身体も限界に来ていたのだ。
いやいやいやいやいやいやいや
いやいやいやいやいやいやいや
こっちは本当に心から苦しいのにポテチとコーラ持ちながら「あなたならできる!」とかそんな無責任なこと言わないでもらえます??????じゃああなたも今から一緒に走ります???
・・・・・
そう言おうかと思ったが、これも日本人のレピュテーションに関わるのでグッと堪えた。偉い。
人間、限界に近づくと他者の善意も素直に受け取れず、曲解してしまうようだ。今後気をつけたい。
これはこれで興味深い心情の変化であった
何よりもそんなことを考えていたら、どこかしらメラメラとしてきた。
辛くてもゴールまで力を振り絞って走ることにした。ポテチコーラおばちゃんに感謝だ

いずれにせよどこの誰かも知らない人に元気を分けてくれるんだから応援はありがたいものだ。
そして時は来た。
42キロの表示が見えた。


最後の旧市街の石畳のビクトリーロードを抜け、感無量のゴール
記録は3:13:14(net)
PBが出た。この標高とコースに鑑みれば上出来である。日本ならばサブ3に肉薄できたのではと思う。
何よりも完走できたことが1番嬉しい
メダルもメキシコっぽくてカッコいい

どうやらこのかわいいメダルたち、2019~2024年まで6つ集めるとメキシコのシンボルを集めたような一つの絵になるのだ。すごい!
全部集めたいが毎年出ることは不可能なのであきらめる。

そんなこんなで私の記念すべきメキシコシティマラソンは終わった。
いろんな意味で忘れられないレースとなった。
そしてしっかり「完走」した後に浴びるシャワー、その後に飲むキンキンに冷えたビールは筆舌に尽くしがたいほど「最高」であった。
そう、その最高さも全て自分の心の持ちよう、つまり「主観」でしかないのだけれども。