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出産後、女性は別の何かになる(産後の一年を、私はまた棒に振るのだろうか)

 1人目出産の時の記憶から、ある程度の予測はしていた。
出産後、私はおかしな人間になる。
別の女性になる。
似たように感じたことがある女性はいると思う。
きっと。

 ホルモンの影響か何か知らないけど、もういい加減にしてほしい。
なぜ出産でそこまで自分を失うことにならないといけないのだ。
本当、そろそろ人間、進化してくれないかな。
私、進化してくれないかな。



 2人目出産後、2週間頃に書いたものです。


 育児グッツをかなり揃えた。
1人目出産の時は、短い間しか使う機会のないものにお金をかけるのは馬鹿らしいと思い購入しなかった。
便利グッツを調べもしなかった。
それは大いに間違いであり、出産直後はお金をかける時だと今は思う。
2人目育児は、便利さで心の余裕を生み出したい。

 そう思っていたが、どれだけ便利グッツを揃えようとも、私は結局1人目出産後の時に感じたように、夫を嫌いになりかけている。安易だった。
 出産後のおかしな状態の私を回避することは、物でもお金でも解決できなかった。


 2人目の子を出産。
私の母はすでに死去。
夫の母が片道4時間かけて、助けに来てくれた。

 新たに我が家の家族になった赤ちゃんは、マイペース。ミルクを飲むのもゆっくり。
ゆっくりミルクを飲む赤ちゃんに対して、夫はイライラしているように見えた。
「イライラするんでしょ?」と聞いてみた。
「え、そうなの?」と夫母は言っていた。
「早く飲んでくれないかなーって思っちゃうよね」と夫は返事をした。
夫母ですら、気が付かなかったのだ。
だからあからさまにイライラしていたのではない。
それでも夫に対する引っ掛かりを、言葉にせずにはいられなかった。

 赤ちゃん育児、当たり前なのだが睡眠不足になる。
夫はこんなタイミングで風邪をひき、自分で一杯一杯のようだった。


 朝食後にはもう、私はぐったりしていた。
仮眠をとらせてもらった。
2階の寝室で寝ていたのだが、赤ちゃんの泣き声で目が冷めた。
1階に降りると「ベビーベッドに赤ちゃんを置くと泣いてしまう」と、困った顔をしている夫がいた。
「トントンしたり揺らしたりしながら、声をかけると泣き止むよ」と言ったが、夫は声をかける様子はない。
やっと言ったかと思えば棒読みで適当に声をかけていた。

 私は精神的なもので声をかけるといい。と言ったのではない。声をかけたらピタっと泣き止んだことが何度もあったのだ。
夫はきっと、私が精神論を言っているとでも思ったのだろう。
私が替わると赤ちゃんは眠っていった。
「さすが、母親」
褒め言葉で言ったのだろうが、私はこの台詞は好きではない。全く嬉しくない。
 母親になったから、寝かしつけが上手くいったわけではない。
言葉を発しない、表情がない生き物にあれこれ試して考えてまた試して。
母親という理由でなんでも片付けるな。
まるで責任を押し付けられた気分になってしまう。

 “夫に赤ちゃんを触ってほしくない”
と徐々に思ってくる。
赤ちゃんにイライラする夫を見ると、無性に腹立たしくなり、責め立てたくなるのだ。
 そして1人目出産後の時に夫が言った、「赤ちゃんが可愛いと思えない」発言が蘇る。
きっと夫は今も同じ気持ちが湧いているのだろう。
 だが今回は、これに対して苛つきだけで終わらせず、考えてみようと思った。

 “私が感じているほどの愛情を、夫も赤ちゃんに思って欲しい”
私は内心思ってしまっている。
しかし男性にはきっと難しい。
男性からしたら、急に湧き出てきた生物なのだ。
ましてや私も夫も、保育士さんのような子煩悩タイプではない。
保育園で騒がしく走ったり叫んだりしている沢山の子どもたちを見て、人酔いしているような感覚になる。
 夫が赤ちゃんに対してどう思うか。
それは私の知るよしもない事のはずだ。
他人に「可愛いと思え!」と言われたら、それが可愛いと思えるわけではない。
可愛くないと思ってしまったのだからしょうがない。
私と夫は別の人間なのだから、一つの対象に対してどう感じるのかなんて一緒なわけが無い。一緒である必要性もないはずだ。
 私は映画で泣けるし、何かに浸るのは得意だ。
逆に夫は映画で泣くことはないし、私が浸っていても理解できない様子だから、私は夫の前で浸るようなことはしない。
 相手の感情をどうこうすることなんてできないのに。
この感情は相手をコントロールしようとしていることと同義になってしまわないだろうか。
愛して欲しいと欲すれば愛することができるのか?そんなの人間のできることじゃない。
私はいったい夫に何を求めているのだろうか。


 産まれたての赤ちゃんに対して、私は心から可愛いと思い、愛しさが溢れ出る。
温かさも柔らかさも、匂いも。
本能的に可愛いのだ。
そんなことを考えていたからか、薬で止めたはずの母乳がまだでてくる。
 だが同時に、私にはこの生き物が重い。
しんどくなっていく。


 「産後1ヶ月は何もしないように!」
夫は産前、私にそう言っていた。
だが産後の今、夫は自分の体調不良と向き合っている。
風邪をひくことなんて、自然現象であり、どうしようもないことだと分かっている。
夫がわざと風邪をひいたわけではないことも分かっている。
頭では理解している。
しているはずなのに、“こんな時に風邪なんてひきやがって”とずっと思ってしまっているのだ。
“手術でお腹を切り出産をした私より、なんでしんどそうなんだよ”

 産後の今、夫の母が遠方から我が家に来てくれている。
3歳の娘のお世話や家事を手伝ってくれるために、2週間も仕事を休んでくれた。
それが今や夫の看病までしている。
 夫の母は、夫の母親なわけだから、心配そうにしている。
だから私も心配しているような声掛けをする。
夫の母がもしこの場に居なかったとしたら、私は心配する声掛けができていただろうか。
多分、私は自分で一杯一杯になっていき、そのうち“なんで私だけこんなに大変なんだ”という思考が生まれ、わざとらしく夫と会話をしないようにしていたかもしれない。
今は幸運にも夫母が上の子の面倒も見てくれるし、ご飯も作ってくれる。
私がお皿を下げようとしたら「動かない!動いたら殴るぞ?笑」と言ってくれて、私は座椅子に座りゆっくりさせてもらっている。

 でもふと、1週間後には夫母が帰ってしまうことを意識し始めた。

 夫母がお風呂に入っている間、私と娘と赤ちゃんの3人になった。
赤ちゃんがぐずり始めたから抱っこしていた。
3歳の娘が私に「赤ちゃん、ねんねだよ」と何度も言ってくる。
赤ちゃんをベビーベッドに置け。と言っているのだ。
赤ちゃんとの生活が始まってまだ3日目。
いくら物わかりの良い娘であっても、嫉妬心が生まれるのは当然のことだ。
それでも、娘に対して少しの苛立ちが生まれる。
同時に、娘が可哀想でならない。
そう思ったのに、私は赤ちゃんを寝室に運んだ。
お風呂から上がった夫母がドライヤーをかけているのに気づき、私は娘に「すぐ戻るから1階で待っててね」と言い、2階の寝室に上がった。
娘は、ついてきた。
娘は色々と声をかけてきたが、私は適当に返事をした。
「1階のバアバのところに行ってて」と言うと、娘は名残惜しそうな顔をして1階に降りていった。
罪悪感の波がきた。

 1階からは夫母と娘が遊んでいる声が聞こえてきた。
私は赤ちゃんを抱っこしてゆらゆらトントンしている。
夫は体調不良で隣の寝室ですでに寝ている。

 ああ、なんで私は今、娘が嫉妬しているのに気がついていたのに、赤ちゃんを優先させるような行動をとってしまったのだろう。
罪悪感なのだろうか。悲しくてしょうがなかった。

 赤ちゃんを寝かしつけ、荷物をとりに1階に戻る。
荷物を持ち、娘に「おやすみ」と言い頭を撫でるが、娘はいつものように笑ってはくれなかった。
目も合わせてくれなかった。
親の罪悪感を消すために消費されてたまるか。と言われている気がした。

 2階の赤ちゃん寝室に戻ると、赤ちゃんはまた泣き始めていた。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と言いながらトントンする。
私に言っているのだ。
涙が溢れ出てくる。どんどんと出る。
 退院して初めてだった。私と娘と赤ちゃんの3人になったのは。
たかが20分程度だ。その程度で私の心は荒々しく揺れてしまった。
来週には夫母は帰ってしまう。
夫は仕事に行く。
不安が一気に押し寄せる。
 実際に、夫母が帰った後、どうやって寝かしつけをしたらいいのか。娘を保育園にどうやって送り迎えをしたらいいのか。首の座らない赤ちゃんを連れて行くしかないのか。
夫は1ヶ月は私に動くな。と言っていたが、私が動かないために何をしてくれたのだろう?何を考えてくれたのだろう?夫母にヘルプをしたことぐらいではないだろうか…。仕事の調整する努力はしてくれたのだろうか…。
ああ、どんどん他人頼りの他責思考に陥っていく。
じゃあ、私は何をしたのだ?
私は、私ができる最大のことを考え行動しているのか?
自分の感じた感情を言葉にして伝えたのか?
 私の心の奥底に居続ける「私ばっかり、私ばっかり」。これを排除するか、こいつを扱えるようになるか、こいつと折り合いをつけていくか。とりあえず、なんとかしないといけない。
まずは、認めるんだ。
私はどうしようもなく情けなく、「私ばっかり頑張っている!」と声を高々とあげて言いたいと思っているんだ。
これを認めず、恥ずかしくて隠したいという感情が魂胆となり、悪い渦となっている気がする。


 3年前、1人目の娘が生まれてからの1年間、5回は離婚または別居婚を考えた。
なぜ夜勤ありの長時間労働当たり前な人と結婚したのだろうか。ご飯を食べて寝るだけのための家じゃないか。
一緒に住まなければ、期待しないし、頼ろうとしないでいられるのに。
 なにより、赤ちゃんの娘を可愛がらない夫が許せなかった。娘を触ろうとしない。子育ては分からないからお願い。その代わり家事はやるから。と言われている気がして。そのうち夫に対して、「いらないなあ」と思ってくる。
 ホルモンのせいにしてもいいのか、産後の私は私ではなかった。何か、おかしなことになってた。おかしいと自覚していても、コントロールができなかった。自分がどんな人間で、どうやって社会で生きていたのか思い出せない。別の人間になったのでは?と思うほどに。産前の元の自分にどうやったら戻るのか分からなかった。息苦しく、常に何かに苛立っていた。



 2人目出産後の今、ふりだしに戻った。
またこのおかしな自分と1年過ごさなければならないのだろうか。

 それとも、今回は何か違う答えを出すことはできないだろうか。

 一人夜中に色々考えだしてしまい、頭の中で収集がつかなくなる。
睡眠不足からどんどんネガティブの沼に足をとられる。
寝なくてはと思うのだが、頭がうるさくて眠れない。

 こういう時、文字にする。note記事にする。
真っ暗な部屋、赤ちゃんが寝ている横でパソコンを開いた。



 ここまで書いてみて、少し頭の整理がついた。
自分の頭の中を覗く。
ああ、これらはただの愚痴だ。愚痴を並べているだけだ。
解決策?そんなのないよ。
ただの中身のない愚痴達だから。
自分がしんどい理由を一生懸命になって探し回ってる。
そして一番身近な夫の粗を探し回り、“夫が悪い”という結果に結びつけようと必死になっている。
夫への依存だ。
私が心底嫌う、依存だ。
自分の心の余裕の無さから生まれた攻撃的な矛先を、どこに向けようか探しているだけだ。



 翌朝になった。
夫はもう仕事に行っていた。
夫母が3歳の娘の朝ご飯を食べさせてくれていた。
 「かーちゃん、おはよう!」足にしがみついてきた。
私はすぐに赤ちゃんをベビーベッドにおき、娘とハグをした。
こうやって娘に許してもらえるのも今だけだ。
すぐに娘は大人になる。
なんでも簡単に許してもらえるなんて思っていてはいけない。
私は親としてこれから何度だって間違えるのだろう。


 どれだけの愛情をかけているつもりでも、積もり積もって、何か間違いがきっかけとなり、絶縁を迫られることだってあるんだ。
間違えないなんて無理だ。でも間違いに気が付き、認め、謝ることができるか。そこが線引となる。
 娘に見限られず、寂しい老後を過ごさないためにできることはなんだろうか。常に自分を疑い、間違いを見つけられる私でなければならない。


 娘が保育園に行き、夫母と私と赤ちゃんの静かな空間に変わった。
赤ちゃんが寝ている時、夫母と沢山話しをした。
兄が亡くなったこと、父への拒絶、子育ての話。
深い話しを沢山した。
 その流れで、夫の幼少期や思春期の出来事を聞いた。昨夜あれだけ悪口を書いていたのに、不思議と自然に夫の良いところを口に出していた。
 沢山話した後に、赤ちゃんを夫母にお願いして仮眠をとった。スタエフ(音声配信)で人の話を聞いているうちに、いつの間にか寝ていた。


かなり深く眠り、頭がスッキリしていた。


 昨夜、私は何に泣いていたのだったっけ。
夫に対して怒りや悲しみの感情が、全くなくなったのだ。消えていた。
 夜に夫が帰宅した。自然と笑ってる。
娘が剣のおもちゃを私に渡してきて、「パパにぐさっ!」と言っている。
夫に攻撃しろ。という意味だ。
娘と私で、夫を追いかけ回した。
私は終始笑顔だった。


 夫母と会話をしていくうちに、昨夜の淀みが消えていった。
スタエフ(音声配信)で人の話しを聞いていると、出産前の普段の自分に戻っていっていくような感覚があった。
 出産前の予測通り、出産後の自分は人の形はしているものの、別の何かになっている。
他人と会話していくうちに、今の私は自分を客観視できていないことに気がつけた。
 子ども以外と話す機会が少ない今、スタエフで他人の考えを集中して聞くことは、私にとっては人と会話するのと同義。まではいかずとも、近しいのかもしれない。
 もしかしたら私の場合は、できる限り早々に仕事に出た方がいいのかもしれない。
家から出る時間、子どもと距離を取る時間が必要だ。
 家の中に閉じこもり子どもとだけの会話は、私にとって内側に、悪い方向に、思考が入っていってしまう。
 便利グッツもいいが、人の存在に勝るものはない。
一人ではないってだけで、世界がまるで違って見える。
それはそれで、またおかしな話しだ。
私は一人が大好きなはず。
なのに今は誰かと会話を交わしたり、話しを聞くことが産前の自分を取り戻すきっかけになっている。

 出産後に、どれだけ振り回されなければならないのだろう。
自分が自分ではない。
自分をコントロールできない。
本当に苛立つ。
私は私なのに。誰かにコントロールでもされているようだ。
早く元の私に戻りたい。
ん?と、いうことは、私は産前の元の私に満足していたってことになるな。
これは、新たな発見だ!
看護師の仕事はバイト程度の中途半端、料理嫌い、一人時間がないと爆発する、育児下手くそ。そんな私のはずなのに、今はそれに戻りたいと思っている。
産後おかしな時期が終わったあとの私は自己肯定感爆上げだな!


 さてさて、今回の1年は、どんな1年にできるだろうか。








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