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ワーママ迷走時代突入。迷い子の一角としてインタビューを受けた。

「ワーママ」
子育てをしながら働いている女性を指す言葉。
 数十年前までの日本では、結婚・出産した女性は仕事を辞め、専業主婦になるのが当たり前の風潮だった。
その後国が女性の社会進出を掲げ始め、出産後も仕事を継続する女性の層が増えていった。
 しかし働きながら一人で家事・子育てをしている女性がまだ多い状況で、不安や不満の膿が加速させてしまうのだろうか、「自分は何者なのだろうか」といった思考に陥り迷走してしまう女性が一定数いる気がする。
因みに私は迷い子に陥った経験がある一角だ。
自分としては抜け出せた気でいるが、実は抜け出せていない可能性だってある。


 数ヶ月前、インタビューを受けてほしいとメッセージがきた。
その時は正直、なぜ私に?と疑念を感じた。
(ワーママトラップかと疑った)

 メッセージをくれた方はIT企業の会社員をしながら、編集やライティングの講座を受講されている、30歳を目前にしている方だった。
 私も看護師をしながら、中村淳彦さんの「悪魔の傾聴ライティング講座」に入っているため、お互い文章について学び中の身。
 なんだか親近感が湧いたのと、他のライティング講座を受けている人と話をしてみたいという気持ちも湧き、インタビューを受けることにした。


 しかし冷静に考えると、私はワーママと呼ぶに値するか微妙なラインだ。
第一子が11ヶ月の時に仕事復帰をしたのだが、時短勤務後2ヶ月経ったらフルタイムに戻ると予定していたのに、1ヶ月で音を上げてしまい、現在は高校生のアルバイト程度の時間数の勤務。そろそろ余裕出てきたし時間数増やそうかと考えている矢先に二人目妊娠。現在第二子の育休中だ。

 こんな状態の私は、ワーママなのか?
そう思うとインタビューが心配になってきた。
もしかしたらインタビュアーの人は、仕事と育児に熱く燃え上がるタイプかもしれない。
「そういう人からしたら、私の緩い発言に苛つかれるのでは?」と思い、断るべきかと悩んでいたらインタビュー当日を迎えた。

 早速、ビビりの私はインタビュー直前に「自分は意識高い系の逆ですが大丈夫ですか?」と恐る恐る聞いた。
そしたら彼女は「思ったことそのまま言ってくれれば大丈夫です。本心ならなんでもOKです」と言ってくれて、心底ホッとした。



 インタビューを受けてみて、やはり私は話す事が苦手と再認識した。
きっと文字起こしが大変だったと思う。
 でもそんな私だったが、楽しかった。
彼女からの質問は、私が1人黙々と記事を書いている時には絶対に出てこなかった疑問点ばかりだった。
 質問に答えながら、ああ、私はこう考えていたのか。と思考が整っていく。新たな自分が追加されていく。
しかしそれは嫌な感じではなく、清々しい気持ちだった。やはり、人は自分のことを話すのが好きな生き物で、私もその生物の一人だと実感した。(なので毒親育ちの方は是非とも私からインタビューを受けて欲しい)

 インタビューが終わった後に、少し雑談をさせてもらった。
ライティング講座といえど、様々な形式や先生がいるらしい。
同じ弟子期間を過ごしている者同士、やっぱり楽しかった。
お互い、頑張りましょうって、やっぱりいい。

 もし、もしもの話だ。お互い今の初心者から何年も精進し続けることができたとして、5年後とかに「あの時インタビュー、やりましたね!いや〜我ら初心者のペーペーでしたね、あの時。笑」的な会話をする未来があったら、もの凄くいいなあ。 



↑はインタビュー中の「30万円」を支払うまでの経過を記事にしたものです(笑)


ノンフィクションライターの中村淳彦さんファンの方々に、誤解を招かないために…

 まず、これだけは言っておきたい。
ノンフィクションライターであり、私が受講している「悪魔の傾聴ライティング講座」の先生でもある中村淳彦さんが私は好きである。

 インタビュー記事の中に、「中村さんに泣かされたことがある」といった私の台詞がある。
 それは歴然たる事実だ。でも、だからといっても先生が嫌いでも鬼監督と思っているわけでもない。

 「俺からしたら看護師してる人の神経分からないけどね」と言われたり、私が書く怨念こもった自己開示記事を見て「死なないように」と3回ぐらい言われたが、全くもって嫌いではない。
むしろ好きだ。

 私は祖母を長年、心の中で老害と罵っているくせに看護師を続けている。
"人生の先輩の高齢者を尊敬しましょう"という風潮に同調しているフリをしてきた。
だが腹の中では、「誰か、頭いい人さん、老害(=老人じゃないですよ)だけが消える薬を開発して雨と共にこの空に降らせてください」なんて考えていた人間だ。
 そんな時、大声で老害について語っている人がいた。中村先生だ。

 先生にインタビューをして頂けた経験があるのだが、その中で私が「年齢を重ねたからってイコール偉いわけじゃないですし…」と言葉を漏らしてしまったのだが、「そりゃそうだよ。当たり前じゃん」と先生は即答した。
 先生の中では当たり前の価値観を、私は禁句だと思っていたものだから驚いた。こういうふうに年を重ねている人が存在していることを知らなかった。

 私は本質が好きだ。いや、好きと言うより気をつけている。
生きていて、目をそむけたい事は山程ある。でも目をそむけても苦しい。そんなことは皆分かっている。
内心気がついているにも関わらず、目をそむけ続ける。
「自分を騙し洗脳していた方が楽なのではないか」と思っていたのかもしれない。
私は多分それだったのだが、先生は講義の中で「自分に制限をかけない。自分に嘘をつかない」を耳タコぐらい受講生に伝えた。
 普段の生活の中で、嘘も方便もお世辞もなく生きていくのは難しい。
でも、記事を書いているこの時だけは、嘘はつかない。つかなくていい。
記事を書いている時は、現実世界から一旦離れられるような感覚なのかもしれない。
嘘をつかなくていいという事は、楽というか、気持ちの良いものだった。


 先生の嫌がる顔が浮かぶのだが、私は中村淳彦先生の弟子だ。
 私は自称ライター。5年後もライターと自称できているか分からないが、私がライターを名乗っているうちは、心の中で師匠と呼ばせて頂く。(たまに口に出してしまうかもしれませんが)
 私も人に教える行為は好きではないし、年下の同僚に一方的に好かれた時は数歩も心が遠ざかってしまったことがあるし、師匠呼ばわりされるなんて心苦しさしか生まれない質(たち)だから、嫌がる気持ちは痛い程わかる。
痛い程分かってても、変える気はない。
本当に、本気で嫌がる顔をしていそう。

 でも師匠は「悪魔の傾聴」という自身が書かれた書籍の最後に、「しかし、やっぱり悪魔の傾聴を一番に使ってほしいのは、現役のライターでや編集者、その道を志している人たちです」と書かれていますよね。
こんなこと言われたら、志ざそうか考えはじめていた人間からしたら惚れ込みますよ。
こんなこと本の最後に言われたら鳥肌立ちますよ。「やろう」と、即決しますよ。
つまり、あなたが、たぶらかしたということですね。うん。
 「後進育成に寄与できれば、筆者の実践と経験を言語化して本として残した意義があったというものです」とも書いていましたね。
後進育成。師匠宣言ですね。うん。
どれだけ嫌がろうとも、もう始めちゃったのですから。勝手に師匠の近くで目を光らせマネして吸収させて頂く所存です。
(私みたいなネガティブ面倒くさい弟子は運気が下がるから近づかないで欲しいときっと思われているかと存じます。申し訳ない。とは思っております。でも他の受講生に運気が上がる上流が山程いるので±0ですね)






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