小須戸縞をめぐる物語
小須戸地域の伝統織物である小須戸縞。
かつての新潟の田んぼは沼地のようで、地図にない湖などとも呼ばれていました。
そうした田んぼでの農作業にあたり、ヒル除けとなる藍染めを基本にした木綿縞が農作業着の生地として重宝され、盛んに生産されていました。小須戸の他、周辺では亀田縞、加茂縞、葛塚縞などの木綿縞が作られていたようです。
しかし小須戸縞は、織機の供出や化学繊維の普及の影響を受け、戦後に商業生産が途絶え、今ではその存在すらあまり知られていません。
かつては200戸以上の機屋が集積し、小須戸織物同業組合も設立されていました。織機の部品を扱う職人や大工、燃料を扱う商店なども含め、町は関連する産業でにぎわったそうです。しかし今では、地域にはそうした歴史を伝えるいくつかの遺構もあるものの、町からも、住んでいる人の記憶からも、機業で栄えた物語は失われつつある状況です。
私自身は、これまでに小須戸地域で行ってきた活動の中で度々小須戸縞に関する企画を実施してきました。また、小須戸ARTプロジェクトでも、アーティストが制作のモチーフとして小須戸縞を使用することがありました。
今回は、そんな小須戸縞について、紹介したいと思います。
小須戸の機業の歴史
はじめに小須戸地域の機業の歴史について、小須戸町史をもとに簡単にまとめておきます。
小須戸における機業の起こり
小須戸は江戸時代から織物の生産が盛んでした。享和元年(1801年)に竹石留吉という人物が、地機を用いて作ったのが、小須戸の機業の始まりといわれています。これは、周辺の新津絹業の文化9年(1812年)、村松綿業の天保12年(1841年)と比べるとやや早いですが、当時の農村構造や在郷町の変動を反映した、農村工業の開始を告げるものといえるでしょう。
機業の発展と小須戸縞の普及
弘化3年(1846年)に、仙之助という人が、大和機に改良を加えた中機を発明しました。「小須戸縞」はこの中機を用いて作られ、「小須戸縞」を使った夜具縞・納戸無地・縞木綿などは、とても丈夫で評判を呼びました。明治から大正にかけては、外国産の安い織物の普及や、小須戸大火で多くの機織り機が焼けた影響もありましたが、小須戸縞の生産額は増加していき、小須戸織物同業組合の設立の動きからも、機業が地域経済の中心となっていたことが伺えます。
小須戸縞生産の衰退
日本国内は、大正12年(1923年)の関東大震災以降、慢性的な不況となりました。小須戸縞の生産もこの影響を受けて停滞し、大正期に200戸を超えた機業戸数が、昭和5年には40戸を割ったといいます。また、第2次世界大戦中の金属供出で機織り機も供出対象となったことや、戦後の繊維産業の衰退もあり、現在までに小須戸縞の生産は途絶えてしまいました。
小須戸縞の評判(大正12年 新潟県染織求評会講評速記より)
かつて全国各地へ流通したといわれる小須戸縞。各地での小須戸縞の評判はどうだったのでしょうか。大正12年の「新潟県染織求評会講評速記」より、各地の反物仕入れ担当者等からの評価を引用して紹介いたします。
東北北海道方面及び県内 郡山 橋本商店 橋本廣吉氏
小須戸のものは結構ですが二十八號( 号)、十四號、十三號のネルヂは平凡であります。夜具地も小須戸物は定評がありますから申し上げません。細糸の三〇のものが良い、柄行に少し注意して下さいもっと奇麗に作り澤山織つて戴きたい。夜具地は十九號、十七號、十八號が結構であります。
東京関東方面 三越呉服店 岩崎眞吉氏
小須戸、亀田のものもそれぞれ見るべきものがあります、小須戸の木綿縞は尤も東京方面へ賣れる可能性を持つております、しかし税務官署の納税証紙を織物の表に捺することは商品の価値を損するものでありますから遠州、伊勢崎縞の如く織端に捺印することに改める様に望みます。
東京関東方面 西脇商店 橋本爲五郎氏
小須戸、亀田の木綿白縞は伊勢、遠州等の製品が都會でも相富に賣れ行くを見ましても充分東京で賣れる自信があります、然し越後物は固いと云ふ點( 点) から賣れませんが、柄等に注意して相富此方面の擴張に力を注がれたいと思ひます。柄行については三越さんから御注意の通りであります。
小須戸、亀田の夜具地も大体地風が宜しいが柄が東京向きではありません、青梅其他夜具地産地の柄を研究して作れば相富に見込みのある品物の様に思はれます、紺縞は大体夏物、冬物とも地太いため東京方面には面白くないと思ひます、遠州方面を研究して地風、柄を工夫して作れば相富賣れぬ事はないと思います。
名古屋北陸方面 名古屋 松坂屋伊藤呉服店 若山忠太郎氏
小須戸、亀田の白地、夜具地共に一般に良好である、白地は柄は至極宜しい、色縞も面白いと思ひます、夜具地は柄、地風共に良しい、白絣は晒が汚いから充分の漂白を希望致します、又織色類は大体に於て缺點( 欠点) はありません、多産を望む。
大体、加茂、小須戸、亀田も我々の地方へ販売せんとせらるるならば、太物計りではなく細糸遣のものの御研究を願ひたい、白地なれば十三四貫、紺地なれば十四五貫までが適富かと思へます、相富産額さへあれば充分の取引も出来るものと思はれます、御發賁を望みます。
こうして見ると、三越や松坂屋など、大きな百貨店のバイヤーも注目していたことがわかります。
ただ、糸が太めで東京向きではない、夜具地は模様が東京向きではないという評価もあったようです。農作業着として丈夫さが評判になった一方で、厚手の生地は都会向きではない、ということでしょうか。
最後の職人・長井さんと小須戸縞
戦後に商業生産が途絶えた小須戸縞ですが、平成になって復元されます。
復元したのは、長井利夫さん。元々小須戸縞を織っていた機屋だった戦後に自宅の工場で工業製品に用いられるガラス繊維の生地等を織っていたそうですが、仕事を廃業したのちに、かつて自宅の工場で織っていた小須戸縞の復元に取り組んだのでした。
そんな長井さんを、小須戸縞最後の職人と呼ぶ人もいました。
長井さんは、町屋ギャラリー薩摩屋の企画委員や、まち歩きのガイド等としても元気に活動されていました。そうした繋がりもあり、2012年度に、町屋ギャラリー薩摩屋で「小須戸縞展」を開催することになったのです。
戦前に織られた貴重な生地や、長井さんが平成になってから復元した生地、工場に残されていた史料類も併せて展示する機会でした。小須戸縞展に合わせて開催した、長井さんの講演の様子がYoutubeにアップされていますので、こちらに紹介しておきます。
また2015年には、長井さんにご協力いただき、工場内の見学を含めたまち歩きの企画を実施、多くの方に小須戸縞生産の現場を見学いただくことができました。
最初は汚い工場だから人に見せたくない、とおっしゃっていた長井さんでしたが、多くの方が興味深そうに見学されている様子を見て、小須戸縞や地域の歴史に関するお話が止まりません。サービスで織機を動かしてくれることもありました。
工場見学とまち歩きは2015年、2016年と開催したほか、必要に応じて小須戸ARTプロジェクトの参加アーティストの方々を案内させてもらい、大変お世話になりました。
当時の工場の様子のYoutubeに映像がありますので、合わせて紹介しておきます。興味をお持ちの方はご覧ください。
さて、残念ながら、長井さんの工場は今では解体されています。
長井さんがコロナ禍に体調を崩して入院し、退院後も施設に入居することになったのです。そして、老朽化した工場をご家族で管理することが難しくなったため、苦渋の決断で解体することにされたそうです。
そして昨年10月、長井さんの訃報が届きました。
現存する小須戸縞関係の史料
長井さんの工場に残されていた多くの史料は、その後新潟市歴史博物館みなとぴあに寄贈されています。
豊田織機1台のほか、各種道具類、染色見本や帳面なども、博物館の史料として保存されることになりました。
この他、2024年1、2月には、新潟県立歴史博物館で開催された企画展「越後の木綿いまむかし」の中で、小須戸縞の関係資料が展示されました。
このように博物館で史料が収蔵・展示されると、地域に当たり前にあった産業が時代の流れで衰退し、その記録が地域の歴史を伝える文化財になっていく、その流れを身近に感じたものです。
ただ、文化財として価値付けされ、大事に保存されることは嬉しいことではありますが、本来は産業として残っていく、伝わっていくことを望みたいと思ってしまう、それができなかった寂しさも、同時に感じてしまうのです。
小須戸縞に限らず、産業構造や生活様式が変化する中で、伝統的な産業をどうやって維持・継続していくのかは、とても難しい問題です。
手織りで生産される小須戸縞
少し寂しい流れになってしまいましたが、商業生産が途絶えたとは言え、今でも小須戸縞の生産は続いています。
長井さんが福祉事業所「ほほえみほのか」の利用者さんに織り方を伝え、手織りの織機で少量ずつ織られているのです。
以下、あきは区役所だよりから引用します。
手織りは機械織りと比べて柔らかく、また、縞のパターンも3パターンのみということですが、地域の産業の歴史がこうして続いていることは、とても喜ばしいことですね。
小須戸縞をめぐる物語
ここまで、小須戸縞について簡単に紹介してきました。
物語と言いつつ、概要の説明程度の端折りっぷりでしたが、いかがでしたか。
なお、小須戸ARTプロジェクト2023では、参加アーティストの大川友希さんが小須戸縞に関するリサーチを行いました。そのレポートをプロジェクトのウェブサイトで公開していますので、よろしければご確認ください。
小須戸縞をめぐる物語のこれからは…。
また今後も機会があれば、投稿したいと思います。
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