町屋ラボ -小須戸の町屋の研究所-
小須戸の町屋の研究所、町屋ラボ。
2018年に古く傷んだ1軒の空き家を借用し、「町屋ラボ」と勝手に名付け、アーティストと地域住民とでDIYでリノベーション。「小須戸ARTプロジェクト2018」の一環で公開しました。
以降もDIYを続けながら、ゆるゆるとアートやまちづくり的な活動で活用しています。
そんな町屋ラボに興味を持っていただいた方に、自己紹介も兼ねて
小須戸ってどこ?
町屋って何?
町屋ラボってどんな建物?
と言うお話を。
小須戸のこと
町屋ラボが建つ新潟市秋葉区小須戸の本町通り沿いは、旧小須戸町の中心商店街です。(旧小須戸町は2005年に新潟市に合併して消滅。)
日本最長の河川・信濃川の河口から上流約20㎞に位置する地域には、古くから自然堤防上に集落が形成され、鎮守の諏訪神社の建立は鎌倉時代に遡るとも伝わります。
江戸時代に新発田藩により町立てされ新発田藩小須戸組の庄屋が設置、そして長岡藩の外湊・新潟湊と城下町である長岡を結ぶ河川舟運(長岡舟道)の指定河岸となり、年貢米の集積や配送を中心とした地域物流の拠点「在郷町」として繁栄します。
明治になると信濃川に巨大な外輪の付いた蒸気船(川蒸気)が就航しましたが、1897(明治30)年の鉄道開通や自動車の登場、大河津分水完成による水量の減少など、様々な要因が絡み、川蒸気は昭和の初めに姿を消しました。
その後1901(明治34)年には、小須戸大火と呼ばれる大火災で町の8割の建物が焼失したと伝わります。現在まで残る小須戸の町屋の多くは、この小須戸大火後に再建されたものと考えられます。
かつての水運の要衝も、交通手段の変化とそれに伴う時代の流れに取り残され、(積極的な保全活動によるわけではなく)大規模な開発が進まなかった結果として、往時を偲ばせる町屋の町並みが、比較的良好な状態で残されることになりました。
町屋のこと
建築的な特徴
町屋とは一般に商人や職人の伝統的な住居のことを言います。さらに細かく言えば、下記の3つの建築的な特徴を満たす、主に戦前に建てられた建物のことを、このnoteでは町屋と呼ぶことにします。
接道:前面道路に接して建物が建っている
接隣:隣の建物と接して建物が建っている
奥行きのある敷地:間口が狭く奥行きの深い敷地に建っている
町屋は全国各地の町場に建てられましたが、特に戦災を受けなかった地方には、現在も町屋が残っています。そしてその外観はもちろん、部屋の構成のような間取りにも地域性が見られるのです。
棟向きによる町並みの違い
町屋の外観は棟向きによって「妻入り」と「平入り」に大別されます。
小須戸の町屋は「妻入り」が中心であり、三角屋根が連続するリズムのある町並みとなっています。
一方の「平入り」は京都の町家の他、新潟県内では村上や佐渡、高田等で確認できます。平入りの町屋が連なる町並みは、軒先が揃い、すっきりとした町並みとなります。
町屋と町家の表記の違い
漢字の表記として「町家」と「町屋」が使われますが、意味はどちらも同じです。京都では「町家」が使われるのに対し、それに対して京都以外の地域では「町屋」が使われることが多いようです。
町屋ラボのこと
建物のこと
町屋ラボは、小須戸橋のたもと、小須戸本町通りの東側にあります。空き家になる前はクリーニングの取り次ぎを、さらにその前には桶を作っていたそうで、屋号は「桶屋」でした。
道路に面した1階には6畳の板の間、奥に8畳の和室、続いて中庭、さらに奥には6畳の和室。最奥に水回りがまとまったコンパクトな建物です。道路に面して雁木があり、手前の二部屋には二階があります。
このnoteのこと
町屋ラボが整備・公開された理由には、地域のまちづくりや文化政策(文化施設の活用、国際芸術祭の開催)など、多くの要素が関わっています。
その記録は、地域で町並み保全や町屋の活用に興味を持ったり、アートでまちづくりをしたいと考えている方にとって役立つかもしれません。
そして、建物は現在も整備中です。活用方法も試行錯誤中です。まだまだ完成形ではありません。DIYでの整備の過程や活用方法に興味がある方もいらっしゃるかもしれません。
そんなことを思いつつ、このnoteには、下記のような情報を投稿していきます。よろしければお付き合いください。
小須戸地域に関すること
小須戸ARTプロジェクトのこと
DIYでの建物の修繕や改修のこと
町屋でフリマのこと
歴史的な建物や町並みを活用したまちづくりのこと
アートを活用したまちづくりに関すること
なお、町屋ラボや小須戸ARTプロジェクトについては下記webサイトでも情報をご覧いただけます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?