ハロルド・ピンターの難しさその2
前回に引き続きハロルド・ピンターを上演した際痛感した、ピンター戯曲の難しさのお話です。
2回目は英語で書かれているという点です。
(ここから先は決して、ピンターを翻訳し、日本に紹介してくださった翻訳家の皆様を批判するものではなく、あくまで私の主観によるものですのでご了承ください。)
まず、ピンター氏がノーベル文学賞を受賞した理由を、日本語版のWikipediaで参照します。
「劇作によって、日常の対話の中に潜在する危機を晒し出し、抑圧された密室に突破口を開いたこと」
そして原文はこちら(ノーベル文学賞の公式サイト)
「who in his plays uncovers the precipice under everyday prattle and forces entry into oppression's closed rooms.」
prattle をネイティブ的な意味合いでどう捉えるのかはわかりませんが、辞書を引くと「おしゃべり」と出てきます。
しかも、〔幼児が〕片言でしゃべる、〔大人が〕ベラベラとつまらないおしゃべりをする。
という記述があるので、対話というニュアンスではなく、ピンター戯曲の本質は日常的なおしゃべりということが言えそうです。(それも無駄話と言えるくらい)
つまり、ピンターの会話は舞台的な回しではなく日常的なおしゃべりを用いた台詞になります。
それでは、口語体の無駄話的なニュアンスでの翻訳が可能か?
これはピンター戯曲の最も難しいところです。
一番わかりやすい例が、ピンター戯曲の原文で多用されるFワード、Cワード(あえて伏せて書いてます。)
NTLの「誰もいない国」のアフタートークにてイアン・マッケラン氏が「この戯曲が初演のときFワードCワードは猥雑すぎてカットされたと聞きましたが、それは間違いです。私は初演の際、確かにこれらの台詞を聞きました。当時、劇場でそんな言葉を聞いたことがなかったので驚いたことを覚えています。」(記憶が曖昧なので的なことを言っていました)
このFワードとCワードの翻訳というのはなかなか日本語に翻訳する際苦労する言葉です。
文法的には「クソ!」的なワードで大丈夫かと思うかもしれませんが、これもまた難しい。
「ちくしょう!」や「クソ!」よりもより何か言ってはいけないんだけど、ふとした時に出てしまう猥雑な言葉。
それは英語圏に住む人たちが日常的に感じる言葉の感覚なので、やはり僕たち日本人にはなかなか伝わらないピンター戯曲の難しさだったりします。(英語圏の友達曰くFワードは日本人が思っているほど、言っちゃいけないワードではないけどパブリックな場では使っちゃいけないし、人にじゃなくて自分に言うみたいなマナーはあるよ!となかなか難しいことを言われました。)
やはりピンターは英語圏のお芝居なので、この微妙なニュアンスの翻訳はかなり日本語にしにくいニュアンスなのかもしれません。
次回、聖書の感覚がないと難しい、ハロルド・ピンター
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