40歳が見えてきて気づいた本当に欲しかったもの。(アラフォー女の半生)
22歳で大手企業に新卒で就職した。
決して優秀ではなかったが、粘り強く15年勤めた。
私は末っ子長女。小さいときから親に褒められることが大好きだった。反して、人から叱られることが大の苦手だった。そのため兄の背中をよく見て、先輩の背中をよく見て、どんなことをしたら叱られなくてすむかよく観察した。
自分で言うのもおかしな話だが、優等生だと思われがちだった。
でも本当の自分はそうではない。
楽なことが好きだ。
家では一日中ゴロゴロしていたい。
仕事はしたくない。さぼりたい。
営業の帰り道、何度だって喫茶店に寄り道した。
お金はそんなになくても十分だ。
それなのにいつからか本当の自分がわからなくなった。
本当はリーダーなんて向いてない。
なのにリーダーに何度も立候補した。
高いジュエリーなどそんなに欲しくない。
なのにボーナスが入ればカルティエに寄った。
お酒があんまり好きじゃない。
なのに飲み会でノリのいい女のフリをした。
カジュアルで着心地の良い服がすきだ。
なのに綺麗めな丸の内OLのような服を着た。
本当は結婚して子供を産んで家庭が欲しかった。
なのに、今の時代は独身でもいいよねと笑った。
自分の心が喜ばない選択をひとつ、ひとつと重ねるたびに、これまで自分が築いてきた心のお城の壁が少しずつ剥がれていったのだと思う。
3日前、私の非常識な行動により2人の大切な人が私から離れていった。
産まれて初めて丸4日、何も喉を通らなくなった。
絶望の闇だった。
社会人になって15年一人暮らしをしていた。
インフルもコロナも風邪も交通事故もどんなときも1人で乗り越えた。そんな私だったが、このまま意識が朦朧として弾みに命の炎を消してしまうような恐怖さに震え、思わず親に連絡した。
すぐにこられる距離ではないが、初めての娘からのSOSに驚いた両親は車で3時間かけてとんできた。これまで一人暮らしの家に両親を招くこともなかった。
母親が私の顔を見ると泣き出し
「生きててよかった。よくお母さんに電話してくれたね。がんばったね。もうがんばらなくていいよ。仕事もやめていいよ。ひとりじゃないよ、お願いだからお母さんのことひとりにしないでね。」と声をかけてくれた。
2年前に大病した父も近くのコインパーキングに車を停め、隣のコンビニで大量の食糧を持ってきてくれた。
少し過去を振り返ってみる。
両親ともにそれなりの職業だったが兄弟が成人後にADHDであることがわかった。
それなら私が仕事も家庭のことも頑張らねば、と休みの日には兄弟の病院に付き添った。
23才で子宮内膜症を煩い、妊娠しづらい身体だと言われた。
そんな私でも28才で最愛の彼と出会った。
付き合って1年が経ち結婚しようと言ってくれたが、兄弟のことや私の病気のことを相手の親御さんに指摘され、婚約破棄となった。
そんな積み重ねから私の心はもう限界だった。
自分の心の声に蓋をして生きてきた。
こんまりさんが言う「ときめき」が理解できなかった。
今実家の寝室に寝たままこれを綴っている。
これからは自分のために生きたい。
自分が幸せに思うことをやりたい。
自分に正直に生きたい。
まだ間に合う、そう信じて明日退職届を出すことにした。
未来はきっと明るい。