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¹悩みのない人は、自己防衛していることに気付いていない
良くあるボランテアの会の話題。
一人暮らしの老人に対して何かお悩みはありませんかと尋ねると、
99.9%、有りませんと返ってくるという、体験発表がある。
見守りボランテアをしている、ある町会役員は、もう来ないで欲しいという人もいると嘆く。
なぜ、この質問では、本人から悩みを聞き出すことが、できないのか、を考えてみた。
理由は、本人が、問題について解決の方法がわからないので、もう悩みたくないと諦めて、本能的に自己防衛を働かせているから。
他人に迷惑を掛けたくないという気持ちも働いているのかなぁー。
それで幸せになれるのかなぁー
実は、僕自身が、退職して無職となったとき、寂しい気持ちでありながら、悩みはありませんと答える人99.9%に嵌っていた。
僕は強い人だ、という自負も働き、弱みを吐露できなかった。
防衛本能が働くと、悩むことを止めて、結果として楽観的に暮らせる。
問題が無いと楽観的になることは、大型タンカーが、航行するのに貨物を積んでいないのと同じで、不安定になること。
自分の立ち位置を180度反転して考えてみることで理解が進むことある。
ヴィクトール・フランクルの名言に「それでも人生にイエスという」「あなたが人生に絶望しようとも人生があなたに絶望することはない」と逆転的に考える。
たとえば、フランクルは、妻を亡くして喪失感に悩む夫の相談に対して、では「逆の立場になっていたら妻はどう思ったでしょうか?」と180度反転した質問をした。すると、喪失感が和らいだと。
自分を宇宙から俯瞰して見ることができると、自分と相手の両方の立場での理解ができるようになる。これで、嫌いな人を受け入れることができるようになる。
自己防衛を放っておけないのは、楽観的に生きて「棚ぼた」を待っような生活を続けると、失望したときのショックが失意を招き、ノルアドレナリンの分泌によって健康を損なうことが起きるから。
幸福は、苦悩を背負って生きた行動の結果として届くものだから、
楽観論と幸福論は並立できない。
無職となって迎えるショックは二つ。
第一段階は、行く所がない、用事がない、社会的ポジショニングのロストショック。
第二段階は、無関心、無表情という本人の気付いていない防衛ショック。
徳川家康は、「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を往くが如し、急ぐべからず…」との名言。
名言に従えば、人生とは悩み多きもの。
楽観主義者は、自己防衛して幸福論から外れること。