生活のためだけに生きてきたら、生きるモチベーションが無くなった件。

生きているだけでお金がかかる。
屋根のある所で寝たいし、できれば静かな部屋がいい。静かな部屋で寝てるだけでもおなかが空く。
住所があれば住民税はかかるし、無職でも健康保険の支払いは免除されない。

私は一人暮らしをすることを目的に働いてきた。大学は実家からも通える距離だったが実家に居たくなさ過ぎて一人暮らしをした。地方都市なので家賃もそんなかからないし、学費は親が払ってくれたからできたことなので、恵まれたモラトリアム時代だったと思う。

でも、アルバイトをしていた時間もっと何かできたんじゃないか、という後悔がある。学生の本分である勉学であったり、そういうことじゃなくてもいいし友達を作ったり恋愛をしたりする時間に充てればよかった。
(アルバイトをしていなくても何も残らなかった可能性もあるが…考えると本当に絶望するのでそれについては考えない。)

学費を払ってもらっていながら何が自立だと可笑しい話だが、当時は一人暮らしをしている自分が誇らしいと思っていた。

就職後も安月給で一人暮らしをした。家賃や光熱費を払ったらほとんど何も残らなかった。階段しかないボロアパートの3階。文字通り働いて寝るだけの生活だが東京で一人で暮らしている「自立」した自分がアイデンティティだった。

約20年後、その頃よりは高い給料を得られるようになった。

その頃よりは家賃の高いところにも住めるようになったし値段を気にせず外食できるようにもなった。電気代も気にせずクーラーもつける。
でも一人暮らしをする、というモチベーションだけでは限界が来たようだ。

誰かのために働く。それはあると思う。世間の大多数は家族のために働いているんだろうな。

私は小さい頃から子供が欲しいと思ったことは一度もなかった。顔や体形もそうだし、性格も。自分に似た人間が生まれてくるなんて恐いと思った。
家族になりたいと言ってくれる人もいなかった。

自分以外の誰かのために働き、生きるという選択肢はなかった。
自分のためだけに生きるって幸せなことなんだろう、でも実際そうなってみると人生は長すぎる。
お金を使ってやりたいことが無ければ、労働に耐えられない。

趣味とか、なんでもお金を使って自分の人生を楽しませる必要がある。そうでもしないと労働をする意味が無くなってしまう。
私はそれをやってこなかった。若い頃は趣味に遣えるお金が無かっただけだが、それを言い訳に「生活」だけしてきた。
その結果やりたいことや楽しいことも思いつかず、何もなくなってしまった。人生終了するのが一番良い方法だと思ってしまってその考えから抜けられない。
労働する意味、とか考えてしまったら終わりである。意味なんてないのに。

緊急地震速報が鳴っただけでビクビクしてしまうほど、残念なことに生存本能は強い。それを越えられない。
じゃあ働くか、という気持ちにもなれない。貯金が尽きるまで引きこもっているうちに寿命が来てほしいがそれに賭けるには確率が低そうだ。

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