外国人居留地

長崎の出島は江戸時代のオランダ商館が有った幕府直轄地。幕末、明治になり江戸の築地、横浜、神戸などに出現。
生活文化の違い、安全面から一般庶民と時間、空間の境目があった。

元々日本は小さな村社会の共同生活で成り立っていた農村社会。藩の中、檀家や氏子と地域で人口、戸籍の管理をして季節のイベントで互いに助け合う土壌があって、というよりそうしなければ生きてこれなかった。
お殿様のランクも人が一年間に食べるお米の量、100万人の領民なら、100万人が年間食べるお米、100万石と言った。

今、外国人居留地もなくなり、一人が食べるお米の量でも測れない人口が外国との交換でしか食べて生きていけない社会に変わった。また噂や人の気分発言で変わる世界の交換為替の貨幣の時代。新しいルールと交換レートを作り変えなければ、ならないと感じているのは私だけではないだろう。

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