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決断
約10年前、私は時間があれば、神戸元町駅近くにある、大丸デパートの屋上に行って、涙にくれていた。
今回、その頃の私と、同じ状況に置かれている方を応援したいという思いで、ブログを綴る事を決断した。
そして、毎週2回神戸の駅ピアノで直感で気になった流行りの曲や、お気に入りのオリジナル曲を演奏して回っている。今は演奏活動をする事に凄くハマってきてしまっている。
ここで私の自己紹介をしておく。
広島県三原市出身、来年度40歳と言う年齢にマジック1を点灯させている、兵庫県で暮らしているADHD(発達障害の一部で注意欠陥多動性障害)の音楽好きなメンズだ。
学生時代から、何故か周りから浮いてしまっていた。
芸術系の大学を卒業後、作業療法士の資格を取るため、医療系の専門学校に進学。
めでたく2回目の留年が決まった時、
私は
「学校を辞めて、家を出よう!」
と決断した。
周りからは
「頑張れよ!笑」
と言われたり
従姉妹からは
「あなたの両親の気持ち考えたことある? 私からしたら、そばにいてあげることが親孝行だし、親と離れて暮らす事が独り立ちじゃない! 自分のことを自分でする事が独り立ちなんだよ!」
と説教をされたりした。
周りからしたら、そう思うのも当然だ。
恐らく
「専門学校を辞めて、言う事がコロコロ変わる奴が何言うとん?」
と言う目で見られていたんだろう。
そんな中、私は関西に出てきた。
1番初めについた仕事は、2ヶ月でクビになり、その次のアルバイト先では、同い年の店長や5個下の先輩から叱られていた。
そんな時、私を支えてくれたのが神戸の街だった。
あるバイトが休みの日、神戸の大丸の屋上で空を見て、亡くなった祖父を思い浮かべていた。
私は亡くなる直前の祖父に呼ばれ、
「お前の人生は、恐らくしんどい事が沢山待っとる! でも辛抱していけよ!」
と言われた事を思い出した。
それから事あるごとに、大丸の屋上で祖父に語りかける事が日課になった。
そして
「あの日、家を出る時、『何があっても少々の事では帰らない』って決めたからには、覚悟を決めて頑張ろう」
と言う結論が出た。
しかし、その後も色々つまずく事が続いた。
・同じ事を何回も聞いて、周りに怒られる。
・提出期限が遅れる。
仕事で上記の様なミスを連発していたある日
「何かがおかしいぞ?」
と思って、近所の心療内科を受診した。
そこで、発達障害の一種であるADHD(注意欠如多動症)と診断を受けた。
検査結果に意外な事が書かれてあった。
「芸術系の事を仕事にしたらいいかも」
同じタイミングで、受けていた職業適性検査の結果にも同じ様な事が書かれてあった。
「お? これって音楽をまたやりなさいって事なんかなぁ。これまで自分の満足感を得る為だけにやってきたけど、これからは人の為にやるのもありだよなあ」
苦しい時に自分を支えてくれた、神戸の街に何か恩返しが出来ないかと考えた時、地下鉄の各駅にストリートピアノがある事を知った。
「これやん! 小さい頃やってたピアノで神戸の街に恩返しをしよう!」
と決断のがピアノを弾き始めたきっかけである。
このブログが、現在、何かで躓いている方のヒントになったら幸いです😃