ばらばら家族
誰しも、いつだってひとりだ。
生まれ育った家庭にいても、
どんなに気の合う仲間と出会えても、
好きなひととの時間を重ねても、
自分でつくった家族の中にいても、
孤独というのはつきまとう。
方向性はシェアできたとしても、
どうしたって別の個体なのだ。
決してネガティブな意味ではない。
とても肯定的な「ばらばら」なのだ。
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世界はひとつじゃない
ああ もとより ばらばらなまま
ぼくらは ひとつになれない
そのまま どこかにいこう
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星野源さんの「ばらばら」という楽曲の一節だ。
ばらばらだから、
独立した個体たちが
日々を営んでいけるのだ。
一緒にいることを選んでも、はなれても、
重なっても、距離を保ってもいい。
同じじゃないから、
相手を知ろうとするし
こちらも伝える努力をする。
たとえ、わかり合えないまま終わっても
なんらおかしくはない。
努力や熱意だけで他人は動かせないし、
受け取る側のタイミングだってある。
同じじゃないという前提があるから、
どんな間柄であれ、慢心しない。
これもあくまで、一個人の見解だ。
ばらばら、ちぐはぐ、つぎはぎ。
どれも近頃の我が家を象徴する言葉に思える。
文字通り離れて暮らすひともいれば、
自分のお腹から出てきてたはずだが
自分とまるで違うひとたち、
出てくる順番とたまたま引いた遺伝子で
こうも様子の違うひとたち。
血縁関係のないひととたまたま出会い、
寝食生計を共にするようになって久しいが、
未だにわからないことだらけだ。
時折ほころびを直しつつ、
騙し騙しやってきたつもりだった。
明後日の方向を見て歩みを続けるうちに、
ずいぶん遠く離れたところに来たらしい。
世界はひとつじゃない。
家族もまた、ひとつじゃない。
嘆くでも、笑い飛ばすでもなく、
目の前のちぐはぐなきょうだいを見守りつつ
つぎはぎだらけの人生も肯定していきたい。
ばらばらだから、みんな生きていけるのだ。