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弾き語りたい
弾き語りたい。
それはかねてからの願望だった。
私の母から贈られたキーボードのみの電子ピアノは、今現在進行形で習っている娘にとっても、私にとっても救世主だった。
あくまで自分が楽しむために、好きな楽曲を鍵盤楽器で奏でながら歌う。
子どもたちが寝た後に夜な夜なボリュームをしぼってささやくように弾き語ってみたり、好きなイントロを繰り返しては曲のよさを噛み締めてみたり。
ピアノを習っていた頃は、先生の言われるがままに課題をこなし、矢継ぎ早に用意される発表会や進級試験に向けた演奏ばかりで、次第に熱は冷めていった。
クラシックの中でももちろん好きになれた曲もあったが、なんとなく堅苦しさや先生や親の叱責の声がつきまとい、自分の中で楽しいものではなくなってしまった。
ピアノから離れて、クラシック以外の音楽も自由に聴けるようになると、弾き語りの音楽に惹かれていった。
たとえば、ビリー・ジョエル。
ピアノ・マン(1973)、素顔のままで(1977)、オネスティ(1979)などの時代を超えたメロディーに、強く胸を打たれた。
先月1月24日には東京で一夜限りの来日公演が行われたそうだが、駆けつけられた方が本当にうらやましい。
スティービーワンダー。
イズント・シー・ラヴリー(1976)、オーバー・ジョイド(1985)など、幼い頃からCMなどで耳にする機会も多く、知らず知らず多くの楽曲に触れていた。
アリシア・キース。
フォーリン(2001)、イフ・アイ・エイント・ガット・ユー(2003)、ノー・ワン(2007)などこちらももう名曲だらけ。ど素人が弾き語るのも申し訳なくなるほどだが、あくまで趣味の範囲で家の敷地からは一歩もでないので許してほしい。
ヴァネッサ・カールトン。
サウザンド・マイルズ(2002)のヒットが、もう20年以上前だなんて。学生時代が遠くなるわけだ。
昼下がりにサウザンド・マイルズを気持ちよく弾き語っていると、娘に「なんの曲?」と聞かれたので、原曲PVをスマートフォンでみせた。イントロのきらめくフレーズにしばし聴き入っていたが、やがて「ねぇ…どうしてピアノが街中をうごいているの」と身も蓋もない素直な感想を述べていた。
いや、わかるよ。当時の私もはじめてPVをみた時には、あちこち旅するピアノとセクシーヴァネッサの姿にしばらく曲が入ってこなかったもの。
子育てが落ち着いて、自分のために使える時間がもう少し増えてきたら弾き語りたいリストを携帯のメモに作っていた。
子どもが赤ちゃんのうちは睡眠時間の確保が最優先だったし、なんだかんだで老後の趣味にするのもありかなと先延ばしにしていたのだが、ある時ある人の動画をみていてもたってもいられなくなった。
その人物の名は、藤井風。
彼は自身のYouTubeチャンネルで、数々のカバーを披露していた。最初は演奏のみだった彼が、テイラースイフトのある曲から歌うようになり、どんどん演出にもこだわっていった。
ディスティニーズ・チャイルドのセイ・マイ・ネームのカバーでは、間奏に幻想即興曲を入れ込んでいて、その自由さに思わず声が出た。
音楽ってなんて自由なんだ。
私も好きなように弾き語ったっていいんだ。
楽しそうな彼をみて、弾き語りたい気持ちがむくむく膨らんでいくのを感じていた。
予定のない日曜の昼間にリビングで弾き語る。
聞きつけた子どもたちがいそいそと家にあるハーモニカやタンバリンなどで参加してくる。
このめちゃくちゃな即興演奏がとても楽しい。
これが、今の我が家の音楽だ。