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TOKYO BIZARRE CASE(第十八話)

α
 そのニュースは、翌朝の報道番組でも大きく取り上げられた。深夜、都内数ヶ所で原因不明の爆発事故ーーあるいは事件ーーが起こった。
 最初の爆発は午前二時十三分。荒川区の民家で起きた。ドーンという凄まじい衝撃音と共に、民家の庭にあった巨大な板壁に亀裂が走った。
 そのわずか数分後、今度は北区の工場で同様の爆発。最後が約三十分後の午前二時五十分で、場所は港区のとあるビルの壁が無残にも破壊された。
 幸いにも死傷者は出ていない。これら離れて起きた三つの爆発は、夜が開ける頃には一連の事件と推定された。三つの現場には共通点が存在したのだ。いずれの現場も、ガス管などは通っておらず、引火性の危険物を扱っているところもない。つまり事故とは考えづらい。では何者かによる犯行か。この仮説を後押しするのが、浮かび上がってきた三者の有力な共通点だった。
 荒川区の望月美佐枝。北区の伴野和良。港区の牧場智子。
 この三人はともに、渋谷の宗教法人「鳳の会」に出入りしていた。平たく言えば三人は新興宗教団体の信者だったのだ。さらに、日が昇り次第始められた事情聴取と周囲への聞き込みにより、新たな情報がもたらされた。
 調べによれば、爆破されたのはすべて同じ、気味の悪い看板ーー彼らの言葉を借りるとーー〈聖壁〉であることが分かったのだ。
 ごく平凡な主婦の望月美佐子の家は、庭に巨大な張りぼての板壁が。小さな工場主の伴野は、工場の塀を無理やり伸ばして。自社ビルを構える輸入品会社社長の牧場智子は、持ちビルの壁一面に、それは描かれていた。
 この事実が判明した時点で、警察内部の見方は二つに分かれた。ひとつは、事件は「鳳の会」に恨みを持つ者の犯行という見方だ。
 「鳳の会」は教団各拠点の周辺住民や、家族を教団から取り戻そうとする被害者の会、元信者らとトラブルが絶えなかった。さらに、教祖・御厨天鳳が、教団のウェブサイト上で非難した他団体との対立も深刻化していたという。つまり、「鳳の会」を狙う動機を持つ者は非常に多いと考えられた。
 ただこの説の唯一の問題点は、何故、教団の拠点ではなく「信者の自宅」を狙ったのかという点だ。しかし宗教的なシンボルがあったとすれば、余人には計り知れない理由があるのかもしれない。
 一方、犯行は「教団自身」が起こしたという主張もあがった。教団の広報誌には、「公安のスパイが教団を無実の罪に陥れるために暗躍している」などという記事が載せられているし、今度の事件に関しても、ウェブ上でいち早く、「米国による破壊工作」を仄めかしている。
 要するに、今度の事件は教団首脳部が、信者へ対して、いわばアリバイ工作として起こした自作自演ではないかというのが意見の主旨だ。
 また、同じ教団内部犯行説でも、別の観点から異説を唱える人間もいる。動機を教団の内部抗争に見るこの説は、いち信者が狙われたという事実に目を瞑れば、それなりに説得力がある。しかし、三者三様、いずれにしても決定力に欠け、方針を決めかねているのが実状だった。
 警視庁は教祖・御厨天鳳に対して事情聴取をするべく、動き出した。

Ψ
「ったく頭にくる!」
 そう言って、友成水城は、焼酎のウコン茶割を飲み乾した。
〈身体を労っているんだか、痛めつけているんだか分からない飲み物だな〉と、和泉はぼんやりとそんなことを考えた。
 いつもは酒の味がわからなくなるから、とロック以外はかたくなに口にしない水城だが、どうやら昨夜痛飲してヒドイ目にあったらしい。だったら今日は呑まなければよさそうなものだが、それとこれとは話が別なのだそうだ。
 恵比寿にある、朝まで開いている小さな居酒屋だった。場所柄、小洒落た店が多い中、水城のお気に入りは、昔ながらの風情漂う赤提灯だ。
 金曜の夜、二十三時。水城は早くもおかわりを頼んでいる。普段からのポーカーフェイスに加え、幾ら呑んでもちっとも顔に出ないので、本当に酔ったり、怒ったりしているのか和泉にも分からなくなる。
 ぼさぼさの肩までの髪にギンとフレームの端が張った眼鏡、私服なのに白衣じみた上着。絵に描いたような研究者の格好なのに野暮ったく見えないのは、街ですれ違ったら十人中十人が振り返るほどの美貌のせいだろう。
「あんのアンポンタン、何にも話聞いちゃいないし」
 水城がアンポンタン呼ばわりしたのは、課長の喜多見だ。保身のときだけフットワークのよい、上には弱く下には強い典型的な小役人タイプだ。
 話題は、今世間を騒がせている同時爆破事件だった。本日の捜査会議で、水城は科学捜査研究所の立場から発表を行った。いずれの現場からも、爆弾等の痕跡は一切発見できなかった。すなわちこの爆発は、状況を見る限りテロとは断定できない、それどころか、あらゆる爆発物が発見できなかったという見解を出したのだった。
 ところが喜多見はこれを鼻であしらった。あれだけの爆発があったのだ。火薬であれガスであれ、何かが残っていなければ道理に合わない。それを見つけられないということは、科捜研の能力に問題があるのではないか。
 憤慨した水城が鑑識の初歩から綿々と説いて、科研が水も漏らさぬ検証を行ったことを説明しても効果はなかった。
 結局、科捜研は面目を潰した格好で会議は終了したのだった。だが喜多見の嘲弄も、遅々として進まぬ捜査の苛立ちを科捜研の責任に転嫁しただけなのは明白だった。綿密な聞き込みや、教団幹部への事情聴取にもかかわらず、教団内外を問わず犯人らしき人物にいっかな行き当たっていなかった。
「確かに有り得ない話ではあるけど。例の目撃者の証言も腑に落ちないし」
 水城はねぎまを、わしわし口に放り込みながら言った。健啖というのだろうか、見ていて実に気持ちのよい食べっぷりだ。
 だがその表情は険しい。それというのも、くだんの目撃証言が、なんとも不可解なものだからだろう。
 確かにそのとおりだった。ウーロン茶を飲みながら和泉は、水城に聞かされた証言内容を反芻した。

***
 事件発生から丸一日たって、たまたま現場に居合わせたという学生が現れた。すわ犯人の目撃証言か、と捜査員たちは勢い込んだが、その内容は混乱にいっそうの拍車を掛けるだけであった。
 立花護と津島克巳のふたりの学生が通りかかったのは、時系列にして三件目の現場、牧場智子の会社の外壁の側だった。
 友人宅での飲み会の帰りーー本人たちの弁によればすっかり酔いは醒めていたーー帰る方向が同じな立花と津島は、自転車の二人乗りで夜道を走らせていた。
 自転車をこぎながら立花は、ふと最近よく目につく「壁」を見てみようと思い立った。
 いつも駅へ通う際、視界の片隅に映るその壁が気になっていたのだ。そこで荷台に座っている津島を誘って、問題の壁へと回り道をすることになった。
 マキバビルは、幹線道路に面した五階建ての鉄筋建築で、例の壁画は、正面玄関から見て右側の窓のない壁面に描かれている。
 自転車をすぐ側に止めた二人は、隣りのビルとの隙間に入り込み壁画を見上げた。
 弱い街灯の明りで細部は判別できなかったが、それは今まで見たこともないしろものだった。
 足下からはるか頭上まで、びっしりと何かが描かれていた。のたうつ蛇とでも表現すればよいのだろうか、所々鮮やかな色を散らして、力強い筆致の黒い描線がコンクリートの壁面を埋め尽くしているのだ。
(ーー何だこりゃあ)
 肌が泡立つのを感じて隣りを見ると、津島もまた青褪めた顔で立花を見返してきた。
「何か気持ちわりいな」
「ああ……」
 どちらからともなくそんな会話を交わしたにもかかわらず、立花は再び壁に目を遣った。何故かはわからないが、それから注意を引き剥がすことが出来なかったのだという。
 最初、異変に気がついたのは津島のほうだった。
「おい、あれ」
 上擦った声で津島が指した。突き出された指の先を立花は追う。
 それは初め、陽炎のように見えた。
 上方の壁面がユラユラと揺らめいている。いやいや、夜中に陽炎のはずはない、と思い直す間もなく、その揺らめきが二人の方へーーつまり地面に向かってーー押し寄せてきた。
 立花は息を呑んだ。違う。断じて陽炎などではない。間近に迫ったそれの正体がわかると、二人は慄然とした。
 空気が揺れているのではない。
 壁自体が波打っているのだ。
 壁画のちょうど真ん中辺りから同心円を描いて、波紋が生まれている。まるで湖岸に立って水面を眺めているかのように、二人のもとへうねるさざ波が打ち寄せてくる。
 しかも、さざ波の波頭は、次第に、だが確実に、高くなっていく。あたかもそれは静かな湖面を割って、何かが飛び出してくる予兆のようだった。
「な、なんだよこれ」
 津島が情けない声を上げて後ずさった。恐怖が伝染したのか、立花もまた慌てふためいて、逃げ出した。
 しかし、自転車に戻りかけた二人は、そこで目にしたものに、さらに驚愕した。
 ビルだ、と思った。
 実際、見上げた影は、脇の雑居ビルと同じくらいの高さだった。
 ただし、そのビルは幹線道路をゆっくりと動いていた。
 GОООN!
 GОООN!
 GОООN!
 ビルが踏み出すたびに、地響きが鳴る。側面から左右二本ずつ、にょっきりと突きでている物体がそれに合わせて前後に振られた。間違いなくそれは四本の腕だった。ただしゴリラみたいに、アンバランスに長く地面に着きそうだ。
 同世代の二人は、その印象を、異なる言い回しで表現した。
 《怪獣。》
 《巨大ロボット。》
 彼らがそれぞれ真っ先に浮かんだのは、そのフレーズだったそうだ。
 その怪獣だか巨大ロボットだかが、のっしのっしと近づいてきた。二人の前まで来ると、脚を踏ん張って二本の〈右腕〉を振りかぶった。
「いっけぇぇぇっ!!」
 張り上げられた声で初めて、巨体の左肩に小さな人影が乗っていたことに二人は気づいた。女の人ーーに見えたという。
 
《GWoooooooooooooooN!!!!!》
 
 巨大な咆哮が空気を震わせ、信じられないようなダブルの右ストレートが、壁に叩き立てられた。

《ぅぅぅぅぅぅぅぅるるるるるるるうるっるるるるるるるるっる!!》

見えない衝撃波でふき飛ばされた二人が地面に倒れた刹那、大地を揺るがして、途轍もない大音響が辺りに響き渡ったのだった……。

***
「でもさ、その人たち、かなり酔っ払ってたんでしょ」
 水城は、疑わしそうにグラスを見つめた。
「そう、それは間違いなかったんだけど……」
 和泉は答える。到底、まともとは思えない証言。当然のことながら、捜査本部は疑って掛かった。狂言の可能性、あるいはアルコールによる幻覚。
 だが、思わぬ方面から学生達の証言が補強されることとなった。
「ホームレス?」
「うん、現場近くの公園を根城にしている人がいて……」
 職務質問で引っ掛かった、刀根康浩(自称五十三歳)は、同日同刻、同じビルの前を通りかかったと話した。ご多分に漏れず刀根もまた安酒を一杯きこしめしていた。が、幾ら酔っ払い同士だからといって、両者がまったく同じ幻覚を見たというのは、不可解に過ぎるだろう。刀根もまた、〈波打つ壁〉と〈巨人〉を見たと証言したのだったーー。
「ふうむ……」
 まったく変わらない表情のまま、水城は手を止めた。
 そうして物思いに沈んでいる水城は、同性でも引き込まれてしまいそうなくらい美しく、近寄りがたいような空気さえまとっている。右手のスルメイカさえなければ。
「ところでさ、和泉ーー」
 水城がふいに呟く。
「ん?」
「私に話があったんじゃないの?」
 さすがに鋭い。実は、水城につき合って欲しいところがあったのだ。彼女におかわりの冷酒を頼みながら、和泉は訊いたのだった。
「ねえーー今週末はヒマ?」

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