TOKYO BIZARRE CASE(第二話)
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彼女のことを想うと、颯太は今でも胸が締めつけられる。
たぶんこの気持ちは、大人になって年をとり、ネコと一緒に日なたぼっこをするジイサンになったとしても、なくならないだろう。
***
高一の初めての中間テストが終わった週の土曜日、颯太は友だちと三人で、京葉線の東京行きに乗った。
それは新型コロナウィルスが世界を席巻する前のことで、今は社会人や大学生になっている颯太も友だちも、かなりの間、地元に帰ることすら出来なくなるなんて想像もしていなかった頃のことだった。
ヒトシとケンは、千葉市内の同じ中学校からやってきた同級生で、まだクラスの中にとけ込めない颯太には、数少ないツルメる奴らだった。颯太はE組、二人はH組だった。
ヒトシが原宿に行きたいといい、颯太とケンは、まったくイメージのわかない「若者の街」にややビビりながらも、しぶしぶ同意した。そんなの何でもないぜ、という感じで。大概の物はネットで買えるから、わざわざ人混みになんて行かないーーというのは建前で、家でゴロゴロするばかりの颯太は、街を闊歩する陽キャたちに気後れしていたのだった。
バイトもこれから、という颯太とケンの懐は、親からもらった小遣いと、今年のお年玉の残りくらいしかなかった。ヒトシだけは、地元の小さな建設会社社長令息という立場で、颯太らよりは潤沢な資金を持っていた。
そんなわけで颯太たちは、某有名テーマパークの賑わいを横目でみつつ、クダラナイ話をしながら電車内を過ごした。マンガやゲームの話をし、そのうち、学校の教師を勝手に五段階評価をするのに夢中になった。
***
せっかくだから、という理由で颯太たちは渋谷駅から原宿まで歩くことにしたのだが、浮かれた気分は、ハチ公前口から出たとたんに、冷や水を浴びせかけられた。
都内に一時間ほどで行けるとはいえ、根本的に田舎者の颯太は、スクランブル交差点を行き交う、大量の人の流れに圧倒されまくった。
隣で外国人観光客が、器用にもぶつからない人波を撮影している。
「……おい、お前の行きたい店ってどこだよ?」
颯太がせっつくと、ヒトシは慌ててスマホで地図を見はじめた。言い出しっぺですら、完全に気後れしている。
「えーと、こっち……かな……」
颯太たちは、お互いはぐれないようにしながら、神南方面に歩きだした。
***
ヒトシの買い物は、速攻で終了した。
たぶん雑誌とかで予習してきたんだろう。なんの変哲もない(と、颯太には見える)シャツを、一枚買って、それでおしまいだった。その一枚だけでも、ユニクロの十倍はしており、颯太とケンの財布では、とても手が出なかった。
ショップのロゴの入った紙袋を誇らしげにぶら下げるヒトシを尻目に、颯太たちはセンター街まで戻って、マックでひと休みすることにした。ありがたいことに、マックの値段は全国共通だった。
颯太たちは入り口近くの席に陣取って、ガラス越しに、通りを行き交う人波を眺めた。ヒトシが色々と知ったかぶって、いま流行りの諸々について解説をまくし立てていたけど、颯太はほとんど聞いていなかった。ケンはつまらなそうな様子でシェイクをすすり、颯太はどう見ても場違いだよな、早く帰ってゲームしたいなあ、とむずむずしていた。
ケンが颯太の肩をつついた。しかたなくそっちを向くと、ケンは無言でアゴをしゃくった。
なにを言いたいのか、すぐにわかった。
同じ入り口近くに、制服姿の女の子が座っていてスマホをいじっている。クラスの女子と同じ人類とは思えない小さな顔をしていて、長い髪が綺麗に巻かれていた。びっくりするくらいの美少女だった。
いくつくらいだろう、中学生にも見えるけど、仕草や態度が大人っぽくて、颯太たちと同い年にも思える。いかにも都会の子に感じられた。
ヒトシも颯太たちに気づいて、その女の子に目をやった。
すると、女の子がふいにスマホから顔を上げた。颯太たちの気配に気づいたようだ。颯太たちはちょっとうろたえて、三人で顔を見合わせた。ちょうどそこに、店の奥からやってきた大学生くらいの男が、女の子に声をかけた。
女の子が席を立つ気配がして、颯太は何故かがっかりしながら、再びガラスに視線を戻した。
「おヤメクダサイ」
カタコトの声が響いたのは、そのちょっと後だった。
自動ドアのところで、男女がもみ合っている。
さっきの女の子はまだそこにいて、元の席に押し戻されたような格好だった。
彼女の前に、女の子をかばうように女の子が立っている。
その人は、あきらかにキリスト教の尼さんの格好で、グレーの修道服(というのか)に、ぴっちりと体を包んでいた。
彼女が睨みつけているのは、女の子に声をかけていた二十代とおぼしき男だった。モデルのようなすらりとした体型の男で、あか抜けた服装に、黒縁のメガネをして、あご髭がお洒落に整えられている。
でも、中身は格好ほど上品ではなさそうだ。
「何だよ、お前は?」
男はかったるそうに、修道服の女をねめつけた。
「コチラのヲじょうさんは、メイワクデスと、モウシテましたよ」
女の人の声は、明朗かつ柔和だった。生真面目な調子というより、どこか子どもを叱る母親のような雰囲気だ。
「関係ねえだろうが、オメエは」
いらだったように、男の声に剣呑な色が現れた。どうやらナンパを邪魔されたみたいだった。
「おい」
ケンが小声で話しかけてくる。
「あの子、外人だぞ」
なるほど、修道服の女の子は、どうも白人らしかった。すっぽりと覆われた髪の色はわからないけども、眉は黒く、すっきりとした可憐な目鼻立ちは、ビスクドールみたいだ。それに最初の印象よりも、ずっと若そうだ。たぶん、颯太たちとあまり変わらない年齢だろう。
「カンケイなくは、ゴザイマセン。ワタシたちは、みなヒトシクしゅのしもべです。しゅはモウサレマシタ、なんじのリンジンをあいせよとーー」
どうも状況がわかっているのか、お説教を始めた。まっすぐな瞳で、男を見据えている。
もっとも、その真摯なまなざしに、颯太は颯太で、場違いな感覚に貫かれていた。たとえはヘンかもしれないけど、砂漠でオアシスを発見したような、何気なく手にした本が思いのほか巻おくをあたわざるだったような、感動に近いものを覚えていたのだ。
他の客たちも、徐々に注目し始めた。
どうなっちゃうんだろ、と見守っていると、意外なことが起こった。
尼ちゃんの後ろに下がっていた制服少女が、素早く自動ドアを開けて、外に飛び出した。
タイミングを見計らっていたのだろう、男の意識が尼ちゃんにそれた、絶妙のポイントだった。
「ええええっ!!」
尼ちゃんが、慌てて振り返り、また戻って、その場でくるくる回った。
「このっ!!」
男が追っかけて飛び出す。
「だめっ!!」
尼ちゃんが、どたどたと後を追った。
店内には、ぽかん、と口を開けた客たちが残された。
「なんだったんだ?」
ヒトシがつぶやいた瞬間、颯太の心は決まった。
「わりい、先に帰るわ」
言い残すと、颯太は脱兎のごとく、それに続いた。
***
シンゴは怒りで目の前が真っ赤に染まっていた。
シンゴは他人にナメられることが、なによりキライだった。自分をナメた奴は、女だろうが、親だろうが、ぶん殴って叩きのめしてきた。
だからあのメスガキも許せねえ。
乱暴に人混みをかき分けながら、シンゴは必死に少女の制服を追った。
シンゴが声をかけたとき、少女が浮かべた眼差し、それが頭に血を上らせた。少女が一瞬にして、シンゴをーー性格や、頭の程度や、カネを持っているかーーを値踏みし、見抜いたのがわかったのだ。
そして憐れみとも侮蔑ともつかない表情。
ギリリ、と奥歯をかみしめる。
オレをナメた奴には、思い知らせてやる。
ふいに、前方の少女の姿がかき消えた。
シンゴは腕を思い切り振って、加速する。
どこかの店に入られると厄介だ。客に助けを求めれば、恰好の「楯」になるだろう。
いいだろう。だとしても、すべてけちらしてやるだけだ。
シンゴは凶暴な笑みを浮かべた。狩りは歯ごたえがあるほうがいい。
***
完全に見失っていた。
中学校のとき陸上部だった颯太は、脚には少々の自信があったが、二人にはまったく追いつけなかった。
息が上がり、スピードが落ち、やがて立ち止まる。
辺りは住宅と飲み屋が入り交じったような景色に変わっていた。喧騒が遠のいている。
センター街の奥の奥がこんな風になってるなんてちょっと意外だな、なんて考えているうちに、そんな場合じゃないことに気づいて、再び脚を動かした。
あの修道服の女の子がどうしても、心配だった。
あの瞳を見てしまったから。
性善説などという中途半端なものじゃない、世界の中にある善きものを丸ごと信じきっているような、真っ直ぐな瞳。それが危険にさらされているんじゃないかと思うと、いても立ってもいられなかった。
くぐもった悲鳴が聞こえて、颯太は慌てて止まった。耳をすます。勘をたよりに裏路地に入り込む。
二本目の路地で、それに行き当たった。
三方を住宅に囲まれた袋小路のいちばん奥に人がいる。いましも格闘の真っ最中だった。
男はさっきのヤツ。しかしそいつと対峙しているのは、制服の女の子でも尼ちゃんでもなかった。
黒いハットに、黒髪。黒い革のジャケット、黒いミニスカートに、黒いブーツ。全身黒づくめの女の子が、こちらに背を向けて、男の攻撃を右左とかわしている。
男は、獣のように呼気が乱れているが、執拗に腕を突き出すのはやめない。その手に、ギラリと凶悪なナイフのきらめき。
駆け寄ろうとした颯太は、情けなくもその場に凍りついた。
いらだたしげに男が喚き、ついに身体ごと突進して女の子にぶつかっていった。
女の子は、闘牛士のような軽やかさで、ひらり、と右に避ける。男が踏みとどまり、さらに攻撃を繰り出す。二人の位置がめまぐるしく入れ替わった。
女の子は冷静に右のローキックで進撃を止め、そのまま下におろさず、蹴り脚を大胆に開いた。
一瞬のぞいた黒いぱんつに目を奪われた自分が、本当に恥ずかしい。
「ぐえっ!!」
きれいな軌道のハイキックが、男の首筋に叩き込まれた。あっけなく男がくず折れた。
颯太はあまりの早業に、棒立ちのままだった。
脚を下ろした女の子が、ようやく構えを解いた。
ジャケットの下は、黒のビキニスタイルで、かわいいおへそが丸見えだった。ウェーブのかかった黒髪をかきあげる。整った顔が、はっきりとわかる。
その顔はーー。
赤いルージュの引かれた顔は、さっきの尼ちゃんと瓜二つだった。
女の子は、颯太に気づき、ニッと唇の端をつり上げた。
†
完全に見失っていた。というか、ここはどこ?
「むうううううう……」
マリアはほとほと弱りかねて、周囲を見渡した。細い坂道の途中だった。すでに薄暗くなりはじめていて、周りの建物に明かりがともりだしている。
それにしても、どうしてここは、こんな妙な建物ばっかりなんだろ。
のっぺりとした近代的な建物、西欧のお城風なもの、アジアの南国リゾートを意識したテラス付きのもの……。
それに、やけにべたべたとくっついて歩く男女が増えてきている気がする。司教以外の男性としゃべることのないマリアは、正直、目のやり場に困った。
「ここはーーどこでしょう?」
「円山町さね」
「にゃー!!」
ふいに肩をどやしつけられて、マリアは飛び上がった。いつの間に背後に忍び寄ったのか、にやにや笑いがそこにあった。
「バラバ!」
「やっぱり。また道に迷ってたのか? ホント方向オンチだな」
バラバは腰に手を当て、陽気に言い放つ。
「こんなホテル街で、そんなカッコウしてると、未成年のイメクラ嬢と間違われるぞ」
言ってることは一ミリも理解できなかったが、軽く子ども扱いされたのだけは何となくわかったので、マリアはむっとなって言い返した。
「どこに行ってたのよ?」
「それはこっちのセリフさね」
あきれた、という表情で、バラバの片方の眉が跳ね上がる。
「大体、変な男に勝手に突っかかっていったのは、お前さんのほうだろ」
「そうだわ!!」
自分が迷子になったわけを思い出して、マリアはにわかに焦りだした。
「あの女の子! あの子、大丈夫だったかしら?」
「あの女なら、とっくに男をまいて、自分だけさっさと逃げたよ。ま、一応、男の方は軽くシメといたけどな」
「シメたって……あなた、また普通の人に暴力をふるったの!?」
「あんなのが〈普通の人〉なら、この国の人間は、みんなピーさね」
けむったそうに答え、あ、ちょっとタンマとマリアをさえぎった。スマホに似た端末を取り出すと、わーわー騒ぐマリアを無視して、通話をはじめた。
「なに、クリス? ええ、もう来日してるわ。え、もう結果が出た? さっすが。聖庁が誇る、首席奇跡分析官殿」
クリスは、イタリア系アメリカ人の同僚だ。
「わ、クリスから? ねえ、こないだ貸した円盤返してって言って!」
相変わらずマリアは無視して、バラバはクリスの読み上げる分析結果に耳をすませる。
「そう、わかった。とりあえず次の御徴が現れるまで待機ね。了解。神の祝福を」
「……どうだった」
通話を終えたバラバに、マリアが真剣な顔で訊ねる。
「ああ、毎度おなじみ “クリス・ローランドのズバリ当てちゃう奇跡予報”さね。当分、第二種だそうだ」
「そう……」
マリアが瞳を曇らせる。
「どうした?」
「本当に、そんな恐ろしいことが起こるのかしら」
「さてね。でもこの百五十年がとこ、聖母の予言がはずれたことはないさね」
イタリア、スペイン、フランス、クロアチア、韓国……。世界各地に点在する、涙を流す聖母たち。奇跡局の分析官は、むこう一か月の範囲で、「南からの危機」を弾き出した。
「発生確率はトータル六十三%、うち、アジア太平洋地域、とりわけ極東での発生は二十五%、以降、北米大陸十八%、ヨーロッパ十%、ユーラシア中央部が二パーだって」
「二十五%って……ちょっと高くない? 〈戦乙女〉の増員はされるのかしら?」
「どこも人手不足だからねぇ」
ネオンでけぶる空を見上げて、バラバが呟く。
「南か……」