不安を書き出し自分なり対策を考えてみた
・小中の幼なじみ、高校の同級生、先輩後輩、先生に順風満帆な進路を歩めていない、すなわち落第者の自分を見られる事に恥辱を感じ、前に踏み出す勇気が湧かない。
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まだ人生の勝敗は決まっていないという事を噛み締める。私的にはやっと自分の気持ちに正直になって、自分の人生を歩む決意をした訳だ。
今までは自分自身に嘘をつき社会や他人が求める自分を演じ、自己主張できない役柄故、自己存在の希薄化(自己主張できる他人といれば尚更つまり相対的に、より強烈に)が浮き彫りになって、ずっと頭上には“俺は何者なんだ?何者にもなれないのか?”と脅迫的に自己存在を追い求めるようになる。
そして、“何者でもない私”すなわち希薄化を否定できなかった姿、極致、自己存在の無価値に日夜ビクビクし、傍目からは決して分からぬ神経衰弱を患って生きてきた。
その思考の呪縛からやっと逃れて、自分の歩を進めた。
自己主張できる兆しが見えてきた。
自己主張ができるという事は、未曾有の他人の輪に入っても、“自分はこういう人間だ”と揺るぎない証明の前に、先の悩みは解消され他人の前でたじろぐ心配も多少は無くなりそうだ。
その刹那的に劣等感が顔を覗かせ振り回されそうになっても、二度と同じ過ちを繰り返すまいとする反省と成長が、自分の歩に説得力を増し、その陰惨な影を払い除けれるはずである。
具体的な対処としては、先の精神論の元、自分に恥じる必要はない。
私的には微弱ではあるが成長したのである。
それを実感しているから……
どうぞ笑うなりなんなりして下さい。
群れるのが当たり前で気を使って連絡してくれるのだが、申し訳ないが、私は個人でやっていきます。
私とあなた達の間にはどうも越えられぬ白線があります。
私はあなた達を理解するよりかは、ネット上でも良い、私と同じ悩みを抱えた人に寄り添って生きていきます。
ですから、憐憫の眼差しを向けるのは構いませんが、私は一人ではないのでそこまで心配なさらないで下さい。
というより何て言葉を交わしたら良いか今は分からないのです。
まぁ、言葉足らずの私に非があるのですが、無用の心配もかけるのも何ですから不器用なりに自分の事を伝えたいと思います。
“会えば軽く挨拶します”
“そしてこのnoteの存在を教えます”
このルールに従う、ルーティン化すればもう迷う事はないでしょう。
今は冷めててごめん、自分の人生を歩み出した俺はもう迷いたくない。
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