自然災害から学んだこと

金曜日、いつものようにピッキング作業をしていて、ユラユラ揺れ始めた。

『棚から離れろ』と近くにいた大将に声をかけられ一度作業の手を止めた。

以前に経験した地震とはまた別の長く大きな横揺れ、外に出た人は建物が揺れているのを笑いながら見ていた。

特に社内で放送はかからず、いやあ、すごかったねえと、揺れが収まったか収まらないかの状態で作業再開。

その数分後に3時のチャイムが鳴り、休憩時間に入った。

休憩の後、指示に従い全員が食堂に集められたが、のんきなものでほとんどが談笑していた。

先の地震についてのことであったが、詳しい状況は分かっていないようだった。
しかし、取引のあった東北の工場で棚が崩れ、部品を持って来られないため、次の日は稼働日であったが急遽休みになった。

不謹慎にもわたしは、やった! と歓喜してしまった。
他の従業員も同じだったのかもしれない。

その後も何もなかったように作業をし、定時間後に帰宅。
テレビを見てそこで初めて地震のすごさを知った。

津波がじわじわと押し寄せる映像に血の気が引いた。
さっきまでヘラヘラしながら仕事をしていた自分を恥じた。

休み明け、会社に行くと壁に結構な亀裂が入っていたが、分かっているのか気にならないのか、皆さん平然としていた。

他の職場の人に地震当日の話を聞くと、『危ないから機械から離れて!』と所属長がまわりに声掛けをしていたとのこと。
それは当然のことではないかとも思ったが、社内放送などは全くなかった。

その数年後にあった豪雨水害でも平然と作業をさせていた。
工場見学者がいたにもかかわらず、途中で引き上げることもしなかった。
見るからに危険な降り方であり、下水は逆流し、外からも水が浸入していたが、当たり前のように定時間まで働かせていた。

水が引いた後は、機械や製品が泥まみれで落とすのに時間がかかった。
しばらくは棚の下などに乾いた泥が残っていたが、それよりも生産の方がだいじであった。

泥や水で錆びた部品も生産に使わせるのだから、当然、人命よりも生産台数が優先なのだ。

会社は常に他人事で、何かあってからでないと決して動かない。
現に死亡事故があってから、やっと重い腰を動かしたのだから。

自分の身は自分で守る。

危険を感じたら、指示を待つのではなく自分から行動することがだいじなのだと改めて思った。