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雇われのしがない小児科医①

僕は、クリニックの雇われのしがない小児科医だ。
雇われは総じてしがないので、しがないは蛇足かもしれない。

去年までは大学や総合病院の小児科で働いていたが、今年からはクリニックで働いている。

思い返せば、中学生のときには、医者を目指していた。「こどもの未来を救う!」と意気込んで、「小児科医になるんだ!」と熱く家族や友達に語っていたのを思い出す。

きっかけがあった訳ではなく、冴えない学生生活を送り、中二病でもあったのだと思うが、未来あるこどもを助ければ、自分の人生も何か意味があるのではないかと、他者に自分の意味を託していたのだと思う。

金銭的には余裕がある家ではなかったが、公立中学から、高校は私立の進学校へ学費を出してもらい、地元の旧帝大医学部へ進学した。
あまり世間を理解してなかったので、受験勉強がそこそこ出来る自分は世間的なエリートだとおごっていた部分もあったなと思う。

大学では、すぐにバイトや部活も辞めてしまい、ただ黙々と医学の勉強をしていた。このときも小児科医になるんだ!という思いはあった。

入学すると、同級生はみんな医学の勉強はつまらないとサークルや部活に熱心だった。一方、自分は医学の勉強をつまらない学生生活の免罪符にしていた。親には勉強が忙しいのだと…。

暇あれば、勉強していたおかげで、特に試験に落ちることもなく、成績は常にトップレベルだった。CBTや校内試験など、だいたい学年1位か2位だった。

途中、意識高い系(系であり、意識が高いわけではない)となり、USMLEの勉強もしていたが、アメリカでカオナシ状態になる自分が容易に想像出来て、断念した。

生産性があることが出来ないままに、国家試験が終わり、医者になっていた。元々ずっと勉強していたので、特に国家試験用の勉強はしなかった。

初期研修のマッチングは、面接が苦手だったので、試験重視の病院を狙い、そこそこ人気の市中病院にマッチした。

初期研修のときは、朝6時過ぎから日付が変わるまで働く日も多く、そこそこハイパーにしていたと思う。
研修医同士は結構ギスギスしている病院だった。
また男女比が偏り、女子が男子の2倍以上だった。
僕は、早く仕事が終わる日は、数少ない男子の同期とご飯に行っていた。学生生活よりは、幾分ましだった。

2年目の選択はほぼ小児科を選択した。その日々はかなり楽しかった。点滴を取ったり、ワクチンを打ったりと初歩的なことばっかりだったが、患児が治っていく姿にやりがいを感じた。

小児科しか考えていなかったし、僕の地域では自大学が幅を利かせていたので、そのまま入局した。
これは悪手だったと思う。

僕の小児科医局は、内部ではかなり評判が良くなかった。小児科志望は医局に入らず、他のこども病院で専攻医をする傾向があった。

そんな中、僕は色々と考えた結果、入局をした。実家から近いとある市中病院で研修したかったからだ。そこで研修するには、今の医局への入局が義務付けられていた。

この選択は、後の後悔にもつながるが、致し方ないとも思う。

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