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いい依存
さいきん、依存とか自立について話すことがあって、もやっとすることがあった。
哲学対話みたいなもので、「みんなもっと自立すれば、世界はよくなるのに」と言われたとき、
ちょっとイラ?ではないか…
なんでそんなこというの?かな…
かなしい!なのかな…
よくわからないけど、ひっかかった。
「でも、人はひとりじゃ生きていけないし、弱いものなのだから。いつ死ぬかもわからないし…」
そう、こどものわたしがつっかかっていた。
「どうしてそんなに、強くなることを求めるの…」
大人の意見として「居場所は複数あったほうがいい。居場所がひとつしかないと、そこに依存してしまって、失ったときにダメージが大きいから」
というのも、感覚としてはわかる。
でも、そもそも依存ってわるいことなのか?
phaさんのエッセイ本「できないことは、がんばらない」で、人はみな依存するものなのに、依存の対象が違うだけで罪悪感を植え付けられることには納得がいかない、というような話があった。
例えば仕事に依存しているとか、それが生産的な活動に繋がっていることはむしろよいものとされる。
そうでなくても、お酒への依存ならまだ受け入れられやすいのに…という。
社交の場に繋がる依存だから?
どうしてだろう。
じぶんは依存していないとでも言いたげだったその、「みんなもっと自立すれば、世界はよくなるのに」と言った人だって、人には比較的依存していないとしても、その他の何かには依存しているのではないか…
(というか、完全に依存してないってことは、ないと思う)
かくいう私は、にんぎょうに依存していると思うけど、仕事への依存はすくないほうみたい。
noteにわたしとしてはいいほうであろう記事も書いたのに(下)ドーナツ屋さんのアルバイト、3ヶ月程で辞めることになった。
そもそも、仕事を続けるということ、同じ場所に居続けるということ、人と長く関係を築いていくことがなかなかできなくて、それが怖かったりもする。
ある人からみたらわたしは、全然依存していない人にもみえるのかもしれない。
(こんなに依存しているのに)
* * *
先日、「うまのすけざむらい」というしりあいと、「大きな家」という映画をみた。
児童養護施設で暮らす子どもたちに密着したドキュメンタリーだった。
子どもが自立支援を受けていく過程の中で、自立について考えさせられる場面があって、みたあとに「うまのすけざむらい」が言っていた言葉が印象に残っている。
「自立というよりも、依存がダメというよりも、いい依存(がいい)」
いい依存…これは、自立よりも人間の弱さを認めている響きがある気がする。
でも、いい依存ってなんなのか。
これがなきゃダメだ!って依存できるほど好きになれるのって、のめり込めるのって、傷つく可能性があってもそれに命をかけられるのって、強さでもあったりするのかな…。
「強くないと生きられない社会」では、依存をわるいものとしすぎて、逆に人が弱くなってるのかも。
依存する強さだって、きっとある。
PS 自立は、自律もあるし、もしかしたらじりつの解釈がちがっていたのかもしれない、といまになっては思ったりもする。