私小説 ー堕落ー

※この小説はうつの時に書いたので、クオリティーは低いです。

※私小説なのであくまで架空の小説です。

場面緘黙症が自分の中ではもっともな言い訳である。

全てのことがうまくいかなくなったきっかけでもある。

周りと反対の考えというのは、人と喋り関り、努力をすることが人間関係というものだと思う。

自分はそれができず、甘えと思われてしまったのだろう。

ただ僕はその論と全く違う考えを持ち、このことに怒りしかない。

なぜならそれはずっと懸隔を感じ、真逆の思考だと思っていたことだから。

喋ることで何かがなせて、人間関係にストレスを感じるのではなく、

喋れないことで何もなせずに、人間関係にあこがれを持つ人生だった。

これは自分の中で感じていた周りとの相違の一部で、でも根本は間違っていないと思う。

小中の三年間は、LINEで話す子はいても、実際に友達とまで呼べるまでの関係はできなかった。

自分はとにかく学校で、喋らないことで周りに迷惑をかけないようにと生きてきた。

それでいて、周りに自分の感情を少しでも表に出せたらと思い、小中ではとにかくいつでも笑うようにこころがけていた。

それは、喋らないでただ笑っていたことや優等生だったことも相まって、周りからは少し気持ち悪く見えていたのかもしれない。

ただ場面緘黙は行動が制限されることがあり、自分の中で思った動きができないこともあった。

印象的なのが、同じクラスの人に、自分の中でグッドサインをしようと手を動かしたが、手が動かなくなってしまった。

実際に部活をしていた時も、何らかの動作に制限感を感じていた。

この制限感は鬱の時に家の中で、発生する行動の制限感と似ていた。

自分は迷惑をかけないようにと必死でいて、それでいて喋らないでとにかく笑っていて、優等生ぶり、行動が制限されていた。

周りは積極的に自分に話しかけることはなく、一定の距離を置いて接せられていたと思う。

学校生活で、このような人間関係が構築できなかったのは非常に残念だし、それは向こう側も間違いでは無い対応だったのだと思う。

人間関係では、周りから否定から入られ、

自分も否定の気持ちを持つこともあった。

ただ言いたいのは、誰が好き好んで自ら青春を拒んだと思うのか。

人生のモラトリアムとして伝えたいことだと思った。

このことが自分の中では辛い経験になった居た。

まるで自分の人生は理不尽にあふれかえっているような気持ちで過ごしてきた。

この世界には理不尽であふれかえっているのではないかと思って生きてきた。

自分も間違った存在ではない、なにも間違ったことはしていないと伝えるために文章を書き続けたいと思う。

自分は一生このうつと恨みを抱えて生きていくのだろう。

お読みいただきありがとうございました!

ブログやメンバーシップで他のうつ小説や私小説を書くので見ていって下さい。


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