バランス感覚(ドラマ「素晴らしき哉、先生」を見て思うこと)
夏休みが終わり、学校が再開した。幾分かの疲れと、休みを満喫した充実さが入り混じった顔で、子ども達が集う。当の自分はと言うと、リズムを作るのに必死で、授業準備に追われる日々が再び始まったなぁ、という感覚が強い。夏休み中に蓄えた分がいくらかあるが、それも早々尽きるだろう。冬休みまで、生き残らねばならない。
「素晴らしき哉、先生」というドラマを見ている。元乃木坂の生田絵梨花が主演をしている、高校が舞台の連ドラである。先週、何の気なしに授業の準備をしながら見ていたところ、「担任を持つ教師の余力のなさ」「生徒指導、保護者対応」などなど、かなり攻めた内容で非常に興味をひかれた。主演の生田絵梨花がかわいいから見ていたわけではない。…と言い切れないのが切ない。演技上手いよね、あの人。美人だし。すごいわ。さすがドイツ生まれ。
乃木坂のファンでもないので、これ以上は詳しく知らない。ひとまず本筋に戻ると、本日放送している3話目の途中までの段階だが、あの作品はかなり頑張って、教員の働き方の実態を映像化しているように思う。生田絵梨花みたいな美人がそうそういるわけではないが、主人公として演じている役が抱えている悩みは、特に勤続年数が近い自分にとって非常に共感が持てる。校種が違うので、多少差異はあれど、概ね同じところに問題意識を持っている。
もちろんドラマなので、多少誇張しているところもある。保護者の様子や、生徒が抱えている問題等。実際はもう少し入り組んでいたり、さらに激しかったり。
そういったところに面と向かって、また子ども達と正面から向き合いながら、一日一日、少しずつすり減りながら生きている。
どの仕事でもそうだと思う。教員だから、特別きついってことではないのかもしれない、と思うようにしている。
日々の中で、何でも屋と呼んでも差支えないほど様々な仕事をしながら、本業の授業の研究に十分時間が割けているのかわからない中で、とりあえずの毎日を過ごしている。
こんな授業で申し訳ない、もう少し、面白みを感じられる授業をしたいのだが、と言い訳をしながら、それでも積極的に取り組む子どもに助けられて毎日を過ごしている。
現に、休日を授業の準備に使い、子どものことを考え、専門知識のインプットに費やす今のスタイルを振り返ると、これをいつまで続けられるのか心配になるときがある。この形でいいのか。むしろ、趣味などせず、より授業の研究に費やすべきとも思うのだが、その比重を増やしてしまえば、自分がどうなるのか想像がつかないほど、馬鹿ではない。
そのあたりのバランス感覚が非常に難しいのだ。
教員の採用者数が減る中で、離職者全体に占める定年以外の割合は増加傾向にある。
(参考:https://www.mext.go.jp/content/20240321-mxt_chousa01-000030586_1.pdf)
時代背景に根差した、ここまで赤裸々なドラマもなかなかないだろう。勤務実態としては、減らすことを知らない仕事量に、やりがいと身分保障(昨今の世論で、それも少し怪しいところがあるが)のみに縋って何とか食いつないでいるところである。それでも、「素晴らしき哉」と、現場が持ちこたえている間に、昭和的な価値観で麻痺したバランス感覚を治してほしいと切に思う。
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