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こんな風に過ぎて行くのなら

「PERFECT DAYS」と言う映画を見ました。
アマプラで観られたので。

以下、ネタバレ含みます。
あと、いいこと書いてませんので好きな方はそーっと閉じて読まないでください。



白鬚橋から。


浅草付近に長年勤めていたことのある私にとって、銀座線浅草駅の地下街の、昼間から薄暗くていまだにVHSビデオを店頭で売っているような、あの商店街が懐かしすぎた。
あの退廃的な商店街、この映画の影響で変に盛り上がっちゃってなければいいんだけど。

「都会の中で生きる高齢者の潔さ」とか「貧乏なのに日々の生活に幸せを探して」とか、

平山(主人公・役所広司)のような生活にあこがれる

そんな感想が多いこの映画。

平山の妹が平山にこう言います。

「本当にトイレ掃除をしているの?」

なに?「本当に」って。

映画の感想を書いている人の中にも、

「トイレ清掃という底辺の仕事を一生懸命やりながら」とか、 

あなたはどんな仕事をされているんでしょう?と聞きたくなるようなことを書いている方がたくさんいらっしゃる。
逆に聞きたい。頂点の仕事ってなんですか?

映画の中で平山の相棒?のタカシの口癖。
「10点中、○○点」
底辺の0点に暮らさない人から見たら、一度「体験」してみたい暮らし方なんだろか。

探偵?本当にそんな人のあら捜しをするような仕事してんの?
タクシー運転手?世の中の他の仕事が出来ない人種が行き着く仕事じゃん(笑)

私は底辺とは自分ではまったく思ってないけど、他人から見たら底辺に見られるらしい仕事をしてきたからか、平山の生活を特段珍しいものとは思えず、むしろなんだか俺と似たような普通のオヤジの暮らしじゃないの、と思っただけ。

この映画のそもそもの発端がとかそういう背景は一旦置いといて、平山が掃除をする「公衆便所」はどれも私が見た事のない奇抜さと豪華さを兼ね備えた最先端の「公衆便所」ばかり。

文京区のまだキレイな方の公衆便所

それこそ平山の地元の押上や浅草付近、特に「山谷」と呼ばれる泪橋界隈の日雇い労働者の街の公衆便所なんて、あんなオシャレなものは一つもない。
男子トイレの小便器の中に大便がしてあるようなトイレばかりだ。

トイレ清掃の仕事の需要で言ったら渋谷のオサレ最先端トイレよりも、平山の暮らす地元の公衆便所のほうがよほど高い。

あの謎のおかしなダンスをしているホームレスもまったく意図がわからない。
「山谷」にはあんなホームレスのオヤジは居ないぞ。

いや、新宿中央公園にも居ない。あんなオヤジ。

ユリコの足元には段ボールハウス


大ガードの下の植え込みの中で、真夏に真っ裸でバケツの水をかぶるようなホームレスがリアルな姿だ。

歌舞伎町のネオンが届かない新宿もある


もっと言うなら、映画のトイレ舞台の「渋谷」の、今はなんだかとてつもなく様変わりした宮下公園だって昔はホームレスのネグラだった。

あのホームレスたちを一掃して、キレイで最先端でJKが「チッ」と舌打ちしてトイレ清掃員の平山を追い出すような「公衆便所」が建てられたんじゃないか。

追い出されたホームレスたちは、木漏れ日の中でダンスをしてスピリチュアルな雰囲気を醸し出してる場合じゃない…。

昔の写真に当時の自分の想いを見いだす


だいたいパーフェクト・デイズ。いったい何がどうパーフェクトなんだろか。

365日ほぼ同じ朝飯を食べる独り暮らしのシニアなオヤジを地で行く私が考えて見た。

毎朝同じ時間に起きて同じ朝飯を作って・・・。

私はアパートから道路に出るまで東へ向かう。
そうすると樹々の間から太陽が除いてて、平山さんと同じような嬉しそうな顔になる。晴れていればね。

それから駅まで近所のオヤジと徒競走しながら向かい、いつもの面子の満員電車に乗り込んで、いつもの数名が降りる「主要駅」につくまでになんとかその「降りる面子」の前をキープする。

一日、オババとの攻防に疲弊して仕事を終え、運が悪けりゃ1時間以上立ったまま電車に揺られ、遠回りする気力もなく閉店間際のスーパーに駆け込んだところで何も残っていない日もある。

家に帰って365日シャワーで済ませ、お湯を沸かして一平ちゃん夜店の焼きそばを食べながらビールを一缶空けて、つい先日までは朝の一曲をYouTubeで探しまくって下書きをして、やばいやばいこんな時間だ・・・と急いで冷たい布団に潜り込み、足の裏が熱くてなかなか寝つけず、そうしてまた朝5時半に起床して同じ朝飯を作り・・・・・・。

なかなかしっかりしたルーティーンが確立されているけど、こんな生活したいっすか?(笑)

これ、ぱーふぇくとでいず?

朝の一曲を終えた私の「ルーティン」は今完全に乱れて試行錯誤中ですが、しばらくしたらまた新しい「ルーティン」が確立されることでしょう

私が共感できたのは、

正確な日々のルーティンは余計な思考を産み出さない

と言うことだった。

余計な思考とは、ここでは主に妬みや恨みつらみや後悔やそういった負の感情のこと。
淡々と日々のルーティンをこなすことで余計な事を考える隙を自分に与えない。

それが幸せを生み出す、探し出す唯一の秘訣かもしれない。

それでも生きている限り、イレギュラーは発生する。

相方が突然仕事を辞める。金を返さない。ガス欠になる。家出した姪が泊まりにくる。

そうそう、平山がミニマリストのような生活をしていると賛美する人たちは、姪が来ている間に平山が寝起きしてる納戸の大量のモノを見逃してんだろか。

平山は妹にハグをしたあと、見送りながら泣いていました。

何故泣いたんだろうか?

その自分の気持ちの、感情の揺らぎ。
あのあと、一人で家に入った平山は一晩どんな感情で過ごしたのだろうか?

それでもまた翌日には、身体に染み込んだルーティンで平穏を取り戻していく。

正確な日々のルーティンは余計な思考を産み出さない

こんどはこんど、今は今~🎵

言いたいことはわかるけど、子どもじみた歌を歌いながら自転車を漕ぐシーンは、少し嫌な「狙い」が見えた気がした。

わたしがこの映画のBGMに思い浮かべたのは、この曲。
あっ、このくだり、懐かしい(笑)

こんな風に過ぎて行くのなら - 浅川マキ

トップ画は、画伯じゃなくてすいません。

ある年の、ある場所の初日の出

PERFECT DAYS。
見終わってすぐにトイレをピカピカにした。

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