田舎の姉に捧ぐ、メリークリスマス
私には姉が居る。妹も居る。ので女兄弟に挟まれて育ってきた。
姉は私より3つ上。
弟の私がいうのもなんだがなかなかの美人。
身長も私より少し低いくらいで高校生の頃は姉の方が高かった。
運動部に入っていて筋肉もついていて、喧嘩はしたことがないけど、きっと喧嘩をしたら負けていたと思う(笑)
中学校に入学した時、3年の不良の方々が”姉の弟”の私を見に教室まで来たことがある。
冷やかしとかではなく、「●●さんの弟さんですか?」という感じだったのでもしかしたら姉はちょっと怖い人だったのかもしれない(笑)
一家団欒って?
「子供の頃に親の愛情を充分に感じられなかった人は・・・」
と言う分析がよくあるけど、自分の子ども時代に親の愛情を感じられたかどうかなんて今考えても分からない。
ただ、一家団欒と言う文化?はうちにはなかった。
父親がテーブルにつくのを待って全員でモクモクとご飯を食べ、食べ終わったらそれぞれ自分の部屋に戻って行った。
まるで旅館の大広間で食事をして、食べ終わったら自分の宿泊部屋に帰っていくような感覚。
リビングに集まって皆でテレビを見たり談笑したりと言うことはなかった。年に一度くらい、正月にみんなでトランプをして遊んだことは記憶にあるけど、それくらい。
元嫁や元カノの家に行って相手の家族とコーヒーを飲んだりしながら「何か」を話す時間が私には苦痛以外の何物でもないのは子どもの頃の家庭環境が原因だとは思う。
でもこれが別に辛いとか悲しい経験だとは思っていない。
他の家庭がどうなのかを知らないからそういうものだと思っていた。
そんな環境だったし、兄と弟みたいな同性兄弟ではなかったので姉に悩みを相談したり、気楽に話をしたりすることはなかった。
当時の姉はクールな印象で近寄りがたかったし(笑)、ただ時々、姉の部屋から聴こえてくる大人びた洋楽にちょっと憧れていたのは覚えてる。
ある悲惨な出来事があってどん底の貧乏暮らしを余儀なくされた。
6畳のプレハブ小屋で家族5人、一冬を過ごした。
プライバシーも何もあったもんじゃない(笑)
でも不思議とその時は楽しかった記憶しかない。
ただ姉はそのおかげで大学を諦めて短大に入り、卒業後はすぐに就職をして自立した。
姉の夢なんて聞いたことがないけど、やりたいことはたくさんあったと思う。
でもついぞ姉から愚痴の一つも聞いたことがない。
やがて姉は結婚をし、兼業農家の大家族の家に嫁いだ。
ひいばあちゃんまで居る8人家族。
子どもには4人恵まれた。
女の子たちは姉に似て驚くほど美人だ。一人息子は旦那さんに似てなかなかのイケメン。
大家族の中で家事を仕切る姉の苦労は計り知れなかったと思うが、可愛い子供たちや素敵な旦那さんに恵まれてきっと幸せだったと思う。
まだ40代前半で、旦那さんが逝ってしまうまでは。
突然の訃報。
かけつけた私達に涙の一つも見せず、喪主として最後まで気丈に振る舞っていた姉。
姉と二人になった時に、姉ははじめて涙を・・・なんてこともなかった。
徹底して自分の境遇を嘆かなかった。いや、当然嘆いたかもしれないけど周りに見せることはなかった。
今、自分がメンヘラだぁとか元カノとあぁだこうだとか、そんなことを言っているのが情けなく姉に申し訳ない気持ちがわいてくる。
弱い所を一度も見せず、愚痴の一つも言わない姉。
いつからか私は、最も尊敬する人物は?と聞かれたら、姉を思い浮かべるようになっていた。
そんな姉を思いだし、家族LINEに「メリクリ~」と入れてみた。
「あれ?今年は独り?珍しいw」と妹・・・。(あの野郎w)
「寒くなってきたで風邪ひかんようにな」と母。
姉は・・・既読にもならん(笑)姉らしい・・・。
姉ちゃん、もう若くないんだから(お互い様か)あんまり無理せんように、
今日くらいは適当に総菜買ってきてもいいんだから、
娘たちももうすっかり成人なんだしなんか作ってもらってもいいんだから、ちゃんと息抜きしなよ。
恥ずかしくてこんなことは流石に言えないから、ここでこっそり書いとくわ。
メリークリスマス!
noteで知り合えた皆様方へ
振られたばかりの私が(ちょっと怪しい方向に進みだしているけど)こうしてクリスマスを平穏な気持ちで過ごすことが出来ているのは皆さま方のおかげでございます。
本当に感謝しています。これからもどうぞよろしくお願いします。
ステキなクリスマスイブを過ごせますように