生霊が憑いているよ
会社で私の顔を見てこう言ってきた人が居た。(以下、Aさん)
死霊の対義、生霊。
いきりょう、しょうりょう、せいれい、いきすだま、などと言う。
人の顔を見ていきなりこんなことを言ってくるのもどうかと思うが、
要するに傍から見ても憔悴して見えていたってことだろう。
思い当たることはあった。
職場の人間関係、プライベートの人間関係、つまるところ「人間関係」に
疲れ切っていたのだ。
生霊でも死霊でもなんでもいいが、いっぺん気持ちを清々しく「聖なる光」で満たしたいとふと思った。
四緑木星と天王星人と干支
続けてAさんはこう言ってきた。
A:ネリケシさん、四緑木星でしょ?お不動さんだね、行ったほうがいいよ。
さて、フォロワーさんの月子さんのところでこんな投稿がありました。
題名を見た時、月子さんもいよいよB級映画に手を出したか・・・なんて勘違いしたんだけど、これは、「六星占術」で見た?自分。
月子さんが木星人なら私は天王星人。
ネリ:しろくもくせい?あぁ、違う違う、俺は天王星人だ。木星人ではないぞ。
月子さんの投稿を読んで自分は天王星人だとわかったのでAさんに自信を持って言ったのだった。
Aさんは、なに?この生き物?と憐れんだ目で私を見つめて色々説明してくれたんだが、「四緑木星」と言うのは「九星気学」で見た自分だそうだ。
ふぅむ(笑)
GoogleのGeminiってAIに聞いてみた。画伯(MicrosoftのBing)を信用していない訳ではない(笑)
六星占術と九星気学の違いを教えて
なるほど、分類が違うってことは理解した😅
私は、四緑木星でもあり、天王星人でもある、と。
さて、Aさんが私に言った「お不動さん」とは不動明王様のことだ。
そこで私の記憶が蘇った。子どもの頃、父親は確かに「高島易断」の本を見ながら私の守り本尊は「不動明王」様だ、と言っていたことを。
ややこしいのだけど、守り本尊は干支で決まるようだ。
果たしてAさんは何故私の干支を知っていたのかという疑問は残ったが、そこは軽くスルーして、早速、関東近郊のお不動様のお寺を探したのだった。
不動ヶ岡不動尊 總願寺 に行ってきました
埼玉県加須市にある「總願寺」に行ってきました。
お寺の由来は、写真の通り境内に書いてありますが、Wikiにもう少し詳しく書いてあったのでざっくりとまとめてみます。
第58代光孝天皇が智証大師(円珍)に刻ませた御尊像。平安京の内裏の中にあった紫宸殿に安置されていたのだが、役人が明王の宝剣を盗み出そうとしたため、堂守(寺などの番をする者)がひそかに御尊像を背負って逃げ出したと。大丈夫なのか?これは・・・。(どうやら夢枕にお不動様が立って、そうお告げがあったようです)
その堂守の逃げた先、生まれ故郷の「吉見領」で仮堂を建てて安置。
この「吉見領」は、現在の埼玉県比企郡吉見町である。
ところが、長暦3年(1039年)に荒川が氾濫し吉見領一帯も洪水に見舞われてしまいます。その際に、不動明王像は流出してしまいました。
不動明王像は、武州羽生領岡古井村で見つかりますが村人が拾い上げた瞬間
地震が起こり、立て続けの天変地異を「勝手に不動明王像を拾い上げた」怒りだと思った村人は川へ流してしまいます。
流してしまいます?そんなことする?と要らぬツッコミはやめておこう。
そして、武州羽生領岡村の利根川の中州で見つかりお堂を建立して安置しました。ここから不動尊信仰がこの地で始まり、岡村という地名を不動ヶ岡と改名して今日に至る、とのこと。
このルートだと中山道でしょうかね。
最初の堂守さんは、不動明王像を背負って400km以上の道のりを故郷まで歩いて行ったことになります。
私がここ「總願寺」を訪れようと思ったのは、九星気学で自分の守り本尊が「不動明王」様だと言うことと、このお寺は成田山新勝寺、高幡不動尊と並んで関東三大不動の一つに数えられることもある古刹だからである。
そして、成田山も高幡不動も知っていたので、これまで知らなかった「總願寺」を訪れたいと思ったのが一番の理由。
節分会には毎年有名人が招かれて豆まきをするそうで、今年の節分には、
立浪親方、明生関、デヴィ夫人、里見浩太朗、長州力、岡崎二朗、名高達男、大沢樹生、鼠先輩、ビートきよし、竹原慎二、笠井信輔 茅原ますみ夫妻
等が夜の部で招かれていたそうだ。
お参りの仕方については、Aさんから事前にレクチャーを受けていて、
真言を覚えられない場合は、その旨をお不動様にお伝えお詫びしてメモを取らせて頂くと。
さて、どうかなぁと「真言」を見てみたがまったく覚えられず・・・。
すっかり老いてしまい記憶力が弱ってます、大変申し訳ないのですがメモを取らせて頂けますか?
とお詫びをしつつ、スマホでメモをしました。
のうまく さまんだ ばさらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
初見でこの真言を覚えられる方はいらっしゃるだろうか?
しっかり覚えたぞ、とメモを見ずに書いてみたら1箇所間違えてて直しました😅
これはサンスクリット語で書かれているということで、次のような区切りが正しい?のかなぁ。
Wikiによるとこういう意味だそうだ。音の繋がりから恐らくこの区切りが上の真言と対応していると思う。
真言の末尾のカン・マン(ハーン・マーン)とは、種子(しゅじ)と言うもので、密教において仏様を象徴する一音節の呪文だそうです。
不動明王様の種子が「カン・マン」と言うことですね。
「ウン・タラタ(フーン・トラット)」が、どうしてもわからなかったのですが、こちらに詳しく書かれていました。
言葉の順で考えると、「忿怒したまえ」と言う意味かと思います。
ふんぬ、ふんど。つまり、つかみかからんばかりの恐ろしい形相で、激しく怒ること。
不動明王様は、もう見た感じ、怒ってます。
なぜ怒っているかと言うと、怒りを以って、力技ででも正しい道へ導き、救済をするため、なのだそうです。
当日、つぶやきに投稿したおみくじがこちら
青鬼ではないですよ~、お不動様です。
おみくじは滅多に引かないんですよ、悪いの出ると嫌なんで。
おみくじって、どれを引くかは偶然ですよね。
偶然に委ねるのは、自分で考えても答えが出ないから。
だからお参りした後に、偶然に委ねるということは、これこそ神意である、と私は考えます。
この日は大吉。
大吉を引かせるってことは、神様・仏様が「歓迎」してくれているってことなんだそうですよ!
大吉を引くと誰でも嬉しいですよね。
悪いのを引かないだろうかとドキドキしながら引いて、開けてみて、大吉!
テンションもあがります。
ふぇ~や、やった!大吉だ!!
こんな風にオヤジが喜んでいる姿を神様・仏様が見てくれているそうです。
そんなオヤジに「歓迎の印」として大吉がプレゼントされた、そう考えるみたいですよ。
おみくじの内容
私がこの日、参詣に出かけた理由は人間関係に息苦しさを感じていたから。
まず、最初の和歌にはこんなことが書かれていました。
この和歌の解釈にはこう書かれています
手放しで大喜びする大吉ではないでしょ?(笑)
でも、この和歌と解釈、私には身に染みるほど理解できるのでした。
常日頃、何事にもバランス感覚が大事だと思っているのにも関わらず、
どうしても仕事やプライベートで、どちからに重りが傾いてしまいがちな自分。
驕らず。
はい、おっしゃるとおりでございます。
すーっと乾いた喉に水が染み込むように、素直に読み解くことが出来ました。
そのほかの細かい所は、今は、これか!って思えるところがそれほどなかったんだけど、今すぐにではなく暫くして気がつくこともあるそうです。
時々このおみくじを読み返してこれから過ごしていこうと思います。
参詣をしてみて
さて、当日は猛暑も去った午前中。
気温は30℃を下回り、日差しもぎらついていませんでした。
なのに私はお参り後から境内を散策している間、ちょっと尋常じゃない位の汗が出てきまして、着ていたTシャツが今年上位に入るくらいに汗で濡れてしまいました。
無理矢理に不思議現象に話を持っていこうとしているわけじゃないですよ😁
チラホラと訪れていた参詣客の方たちは、皆、どちらかというと涼しい顔をされてます。
お不動様は、人間界の煩悩や欲望を炎で焼き尽くす・・・って書いてあったな。そうかもしかしたらこの汗は・・・。
やべぇ、私だけ汗だくってことは、人一倍、煩悩やら欲望やら見えちゃってる感じ?
そんなことを思いながら散策を続けたのでした。
すっかり燃やし尽くして頂けていたらありがたいことです。
あっ・・・生霊も。
帰ってその晩。
元嫁2から、もう15年以上も前に録画した義母の病床の動画を探してるけど、持ってる?とLINEが入りました。
もしかしたら?ともう使って居なかった外付けHDDを引っ張り出して見てみたら、そこに動画ファイルが入ってて。
そこからめんどくさいやり取りが始まったんだけど(笑)
タイミング的に不思議な感じはしました。
それと、さらにもう何年も連絡すら取っていなかった昔の同僚からLINEが。
生きてるか?wwwww
生きてるぞwwwww
よしwwww
という生存確認の短いやりとり(笑)
たまーにこうして生存確認のやり取りをするだけの仲なんだけど、一番気心の知れた信頼できる男。
実は私が書いた小説の中に唯一実名で出てくる人物なのである😁
今、波が上向きなのは実感してわかってた。
けど、この波が来年には終わってしまうことも既にわかっている。
そこに向けて入念に色々と進めていかなければいけないことも
わかっているはずなのに、日々の忙しさにかまけてずるずるとこんな時期まできてしまった。
驕らず。
おっしゃるとおり。
心を入れ替える、いい機会に恵まれました。
2週間後にようやく書けました、この投稿😄