🦍番外編🦍【そもそもゴリラ営業マン】とは?🔥🔥終わりゆく日本の救世主がゴリラだ!
こんにちは、毎日投稿をかろうじで続けていますが、そろそろクオリティが下がってきそうなことに不安を覚えています(笑)
ゴリラマネジメントを執筆していて気がついたことがあります。
ゴリラの定義を説明しておりませんでした。
申し訳ございません。私もゴリラ脳が故に大切なことが抜けてしまう傾向にあります。
私のいうゴリラとは、
一昔前のモーレツ社員を彷彿させる働き方を息をするようにできる子達です。
★休日の概念はなく、目標達成の為であればどんなスケジュールでもこなす。
★能動的であり、目標達成の為に自分で考え行動に落とすことができる。
★自責に立ち、何かのせい、人のせいにすることのない思考をもっている。
★持久力、パワー、思考力を兼ね備えている。
★お金を稼ぐという強い欲を持っている。
★人の為に自分の能力や時間知恵を使うことができる。
しかし、昨今の日本弱体化計画により、労働基準法が定めされ、雇用されている側の(楽をしたい)という主張が権利となり、今やわがままですら認められ、
そこに上司が意見すればパワハラとみなされる。
本当に企業にとって大切な人材が労働基準法と、ブラック企業という言葉を盾に自身の権利を主張する、生産性のないぶら下がり社員に追い出されてしまう。
そんな環境になってしまっていると思う今日この頃です。
今や「親ガチャ・上司ガチャ・配属ガチャ」等とのふざけた言葉までもが、我々の生きているこの日本社会にはびこり、それを糾弾すればパワハラや、昭和のじじい、頭が硬い、等と言われます。
私は、
生まれた時貧乏なのは自分のせいではない、しかし大人になってから貧乏(心も含め)なのは自分のせいである。
この言葉を全社会人に伝えたいと思っています。
しかしこの言葉を使うのであれば人の上に立つ、上司も決して部下が外れだ~なんて口が裂けてもいけません。
互いに自責に立たなくてはいけないのです。
私は思うことがあります。
人と同じ量、同じストレスでの仕事量、ライフワークバランスの両立。これでは絶対に人より突き抜けることはできませんし、企業競争にも勝てるはずがありません。
私は労働基準法や、ライフワークバランスに中指を立てている人間です。
自身のキャパを超えるハードワーク無くして絶対に成長は無いです。
私は、日本が再び立ち上がるには「逆働き方改革~昭和に戻ろう~」これに尽きると思っております。
その結果が今の日本です。
しかし、こんな話をしてもこの地獄行きの糞ぬるま湯に浸かってしまっている社員は、
いやいや、そんなに熱いこと言われてもwそんなに頑張りたいなら勝手にやってw俺たちは、基本給さえもらえれば生活はできるし、会社が倒産しても転職すればいいっしょwこんな程度なのです。
そう。一昔前は【仕事をバリバリ頑張る=かっこいい生きざま】
だったものが【仕事をバリバリ頑張る=ダサい生きざま】
こんな風に今の日本は、一部の労働者に映してしまっているのです。
そりゃそうです。。徹底的に愛国心をぶち壊すことをしてきた日本です。
なぜ日本人が学校で国家を歌ってはいけない。
なぜ日の丸を掲げると非難される。
日本に対しての愛国心を壊すことは、自分のコミュニティへの愛を壊すこと、最後には自信に対して抱く誇りまでぶち壊され続けました。
その癖に自尊心ばかり肥大化し、自分が世界で一番かわいいという新人類が誕生してしまったのです。
愛社精神なんて生まれるわけありません。
この時代に愛社精神なんて言葉がパワハラになりそうです。
私はゴリラマネジメントパート④にて
【人間からゴリラに進化する】と記載しておりますが、これはあながち間違いではないのです。
自尊心の膨れ上がった、自分の権利を主張し続け、他人がどう思うかではなく、自分がどう思うかこれで行動する人間は、進化する必要があります。
我々は他責という新人類の思考を捨て、究極の自責に立ちゴリラとして一人一人が愛国心をもって日本の誇りを守りながら世界とビジネスで戦う必要があるのです。それが未来の子供達を守る唯一の手段なのではないでしょうか。
しかし、ルールは守らなくてはいけない。
私は既存の労働基準法に中指を立てているとはいえ、
ルールを守らなければ、自ら弱者の群れに食われてしまう。
その為、ゴリラとは社員としての関係ではなくあくまで個人事業主としての関係を結ばないと、このゴリラマネジメントはできなくなります。
※note中では社員と表現しておりますがそこはご了承ください。
こんなゴリラに育て上げるまで、そしてこんなゴリラをマネジメントするには、また日々の気づきを文字に残しております。
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