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あのフェルメールと同じ年に同じ町で生まれた偉人レーウェンフック!顕微鏡で微生物を発見した偉人について


はじめに

前回の記事でフェルメールの故郷についてご紹介しました。

そしてこの記事の中で紹介した旧教会にはフェルメールのお墓がありましたが、実はこの教会にはもうひとり、世界の歴史を変えた偉人が眠っています。

アントニ・ファン・レーウェンフック(1632-1723)Wikipediaより

それがこのレーウェンフックという人物です。

レーウェンフックの墓

レーウェンフックはこの町の役人でしたが、独学で顕微鏡を自作し、20年以上も改良をし続け観察を続けた結果、水中の微生物を発見したという人物です。

かつてのキリスト教世界ではすべてのものは神が創り、善悪の秩序もすべて神のものでした。すべては聖書に書いてある。すべては神の思し召しのままという世界でした。疫病の原因も目に見えない菌が原因だったなどとは想像すらできない世界です。

そんな世界においてレーウェンフックは肉眼で見えない世界を人々の前に開くことになりました。

そして彼の後を継いで研究を進めた科学者たちによって新発見がどんどんなされていきます。

これまで悪霊や災い、天罰としか考えられていなかった疫病の原因が「目に見えないが実際に存在する生物」でした。そういう発見が相次ぐとどうなるのか。当時の人々が次のように考えてしまってもおかしくありません。

「これまで教会が言ってたことは何だったのだ?全知全能の神が言ってたことは正しくなかったのか?」

科学の発展とキリスト教の教える世界。

この対立はルネサンス以降の永遠のテーマとなっていきます。

そうした意味でもレーウェンフックの顕微鏡と微生物の発見はとてつもない衝撃をキリスト教世界に与えたのではないでしょうか。

そして、なんと驚くべきことにフェルメールとこのレーウェンフックは同じ年に同じ町で生まれているのです!

1632年にデルフトで生まれた2人。

そして2人は生涯のほとんどをこの町で暮らし、それぞれ偉業を成し遂げています。

レーウェンフックは顕微鏡、フェルメールはカメラ・オブスクラで、この2人は「レンズ」を通して肉眼では見えぬ世界を探究しました。

フェルメールとレーウェンフックが直接交流したという証拠は残されていませんが、デルフトという小さな町でそれぞれが町の役職に就き、さらにはかなりご近所さんだったということから、この2人は生前つながりがあっただろうとローラ・J・スナイダー著『フェルメールと天才科学者』で述べられています。


この本によればフェルメールのあの『天文学者』と『地理学者』もこのレーウェンフックがモデルだった可能性もあるそうです。

「天文学者」
「地理学者」

では、これより本編に入っていきます。一番最初はデルフトにあるレーウェンフックの家です。

レーウェンフックの家

フェルメールもそうだったが、レーウェンフックもマルクト広場から徒歩数分の距離に住んでいた。ここから彼の職場であるマルクト広場の市庁舎に毎日出勤していたのである。下の写真がマルクト広場にある市庁舎だ。

マルクト広場はその名の通り、多くの市場が開かれていた。つまり住民たちの生活の場として大いに賑わっていた場所だ。フェルメールもレーウェンフックもまさにこの広場を歩いていたに違いない。

しかも驚くべきことに、フェルメールの家からレーウェンフックの家までなんと徒歩3分もかからぬ距離なのだ。実際に私も歩いてみたのだがその近さには驚くしかなかった。この近距離に住み、さらには二人ともが町の名士だとしたら互いに面識がなかったというのは非常に考えにくい。

現代よりもはるかに社会の結びつきが強い時代だ。見ず知らずの他人のままでいられるとは到底思えない。

やはりこの二人には接点があったのではないかと私は思う。

以下のツイートはフェルメールの家をスタートして新教会、マルクト広場、市庁舎、メーヘレン亭、フェルメールが理事を務めた画家ギルド跡(現フェルメール美術館)、空飛ぶキツネ亭、レーウェンフックの家と歩いた動画だ。デルフトの雰囲気や両者の家の距離感をぜひこの動画で感じてほしい。

レーウェンフックが作ったオリジナルの顕微鏡があるブールハーウェ科学博物館

レーウェンフックが作ったオリジナルの顕微鏡はデルフトからも近いライデンという街のブールハーウェ科学博物館にある。

私も彼の顕微鏡が見たいがためにこの博物館を訪れた。

オリジナルの顕微鏡を見た時に私は度肝を抜かれた。こんな小さな道具で微生物を見ていたのかと。パッと見ても使い方すらわからない。しかもレンズがあまりに小さすぎる。こんな小さなレンズを独学で当時の最高水準をはるかに超えるレベルで作っていたというのだからあまりに恐ろしい。なんという天才、怪物ぶりだろう。

こういう圧倒的な人物が生まれてくるからこそ時代は変わっていくのだろう。

そしてレーウェンフックやフェルメールをはじめとした光の研究者たち、彼らを生み出した土壌が当時のオランダにあったということ。そのことも非常に大きな意味があると思う。

17世紀半ばから活躍した二人。日本で言うならば江戸時代が始まった世紀だ。それと同時期に彼らは生きていたのだ。当時の日本とオランダ、ヨーロッパ諸国との関係はどうだったのか、ここでは長くなってしまうのでお話しできないがやはりこれは私にとっても非常に興味深い事柄だ。このことについてはこれまで当ブログでも様々な本を紹介したのでぜひそちらも手に取ってみて頂けたら幸いである。

また、レーウェンフックについてはポール・ド・クライフ著『微生物の狩人』という本もおすすめだ。この本で彼の偉業について知ることができる。


この記事は以前当ブログで公開した以下の記事を再構成したものになります。

こちらの元記事ではレーウェンフックだけでなく、フェルメールゆかりの地について詳しくお話ししているのでぜひこちらもご参照頂けましたら幸いです。

以上、「あのフェルメールと同じ年に同じ町で生まれた偉人レーウェンフック!顕微鏡で微生物を発見した偉人について」でした。

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