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トルストイおすすめ作品7選~ロシアの巨人の圧倒的なスケールを体感!

今回の記事ではこれまで当ブログで紹介してきた作品の中から特におすすめの作品7作をご紹介します。

おすすめ作品選から漏れてしまった作品もトルストイを知る上ではどれも外せない作品です。トルストイは意外と作品が多く、当ブログで紹介していない作品もたくさんあります。ですので基本的には当ブログで紹介した作品は本当はすべておすすめ作品という位置づけなのですが、その中でも特にということで7選を選ばせて頂きました。

では早速始めていきたいと思います。それぞれのリンク先ではより詳しい解説もお話ししていますのでぜひそちらもご覧下さい。

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『幼年時代』(1852年)

この作品はトルストイのデビュー作です。1852年、トルストイ24歳の年です。

24歳にしてすでに「自伝的小説」を書き発表したというのはすでに大物感が出ていますよね。この小説はトルストイ自身の実体験とフィクションが巧みに融合された作品となっています。

そしてこの作品が発表されるとロシア文壇は「この新人は何者か」と騒然となったそうです。

この作品はトルストイ文学の原点であり、トルストイの文学的手法は後の作品にも貫かれています。

分量的にも文庫本で200ページ弱と、かなりコンパクトな作品です。文豪トルストイというと難解なイメージがあるかもしれませんが、この作品の語り口はとても読みやすいものになっています。

トルストイの特徴がどこにあるのかを知るにはこの作品は格好の入り口になります。

ぜひぜひおすすめしたい作品です。

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『襲撃(侵入)』(1852年)

この作品は1851年にカフカースに向けて出発し、従軍経験をした若きトルストイによる実体験をもとにした小説になります。

カフカースはロシア語読みで、コーカサスという英語読みの方が私たちには馴染み深いかもしれません。


Wikipediaより

トルストイは雄大なカフカースを訪れ、従軍することになります。

ロシア軍はカフカースに生きる人々の村を襲い征服していきます。そしてそれはロシアの国土を攻撃してくる「山人」をやっつけるためだと言います。つまり「我々こそ正義だ」と言い、村々を侵攻していくのです。

ですがカフカースに住む人からすれば、いきなり攻めてきて村を焼き払い、多くの人を殺し、略奪をほしいままにするロシア人をどう思うでしょうか。

抵抗しなければ殺される。そうした状況に置かれたカフカースの人々は必死で抵抗します。

それに対しロシアの士官たちはどんな理由があって戦いに来たのかとトルストイはこの作品で痛烈に問いかけます。

トルストイはこの時のカフカース体験に大きな影響を受けています。彼は晩年になると特に強く戦争反対、非暴力を主張します。

それはこの時に感じた戦争への疑問が残り続けていたからかもしれません。

トルストイにおけるカフカースの意味を考える上で、この作品は大きな意味を持っているのではないかと私は感じています。

私自身、この時のトルストイのことを考えるために2022年にカフカースを訪れました。以下の記事でその時の体験を記していますので興味のある方はぜひご覧ください。

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『戦争と平和』(1865-1869年)

『戦争と平和』はとにかくスケールの大きな作品です。

この作品はできるだけ若いうちにまず読んだ方がよいです。特に学生のうちにこそ読むべき作品です。

まず読むのに時間がかかり過ぎます。社会人になってからだととてつもない覚悟が必要になります。

さらに言えば、若くて頭が柔軟なうちにトルストイ大先生の説教をがつんと受けておいた方がいいということです。

この作品では「人生とは何か。人間としてどうあるべきなのか」という教訓が山ほど出てきます。

これは年を取ってある程度自分が固まってしまってから聞くより、できるだけ早い方が絶対にその後につながっていきます。トルストイ大先生の説教に頷くか反発するかは自由です。どちらでもいいのです。ですが、こうした圧倒的なスケールで語られる物語や人生の教えをがつんとぶつけられる体験、これはかけがえのないものだと私は思います。

私は31歳にして初めて『戦争と平和』を読みました。やはり学生の時に読めてたらなとも感じましたが、ドストエフスキーを研究して様々な文学や歴史を知った上で読んだ今のタイミングも悪くなかったなと思っています。

ちなみに私はトルストイ大先生の説教に圧倒はされたものの、反発を感じた派であります。これはきっとドストエフスキー的な思考を持っているとこうなりやすいのではないかと感じております。

ドストエフスキーが小さな暗い部屋で何人かが集まりやんややんやと奇怪な言葉のやりとりを繰り返す物語を書くとすれば、トルストイはロシアやカフカースの広大な世界や華やかな貴族の大広間のイメージです。

ドストエフスキーが人間の内面の奥深く奥深くの深淵に潜っていく感じだとすれば、トルストイは空高く、はるか彼方まで広がっていくような空間の広がりを感じます。

深く深く潜っていくドストエフスキーと高く広く世界を掴もうとするトルストイ。

二人の違いがものすごく感じられたのが『戦争と平和』という作品でした。

万人におすすめできる作品ではありませんが、凄まじい作品であることに間違いはありません。一度読んだら忘れられない圧倒的なスケールです。巨人トルストイを感じるならこの作品です。

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『アンナ・カレーニナ』(1875-1878年)

あのドストエフスキーが「文学作品として完璧なものであり、現代ヨーロッパ文学のなかに比肩するものを見ない」と激賞した作品がこの『アンナ・カレーニナ』になります。

『戦争と平和』に引き続き『アンナ・カレーニナ』を読んだ私ですが、圧倒的なスケールの『戦争と平和』に脳天直撃のガツンとした一撃を受け、今度は『アンナ・カレーニナ』の完璧すぎる芸術描写に、私はもうひれ伏すしかありませんでした。ただただひれ伏すしかない。それだけです。もう完敗です。こんな完璧な作品を見せられて、自分の卑小さをまざまざと感じさせられました。何でこんなに完璧な文章を書けるのかと頭を抱えたくなります!それほど圧倒的な作品です。

何がそんなにすごいのか。

うまく言い表すことは難しいのですが、まず情景描写があまりに巧みで、しかもそれが自然なのです。物語の展開や登場人物たちの動きや心情に絶妙な効果を与えながらも主張しすぎないバランス感。流れるように読めてしまいます。これは読めばわかります。トルストイの大作といえば難しいイメージがあるかもしれませんが、驚くほどすらすら読めてしまいます。私もこれには驚きました。

そして微妙な心の動きも見逃さないトルストイの人間分析力。『戦争と平和』も恐るべき人間洞察、真理探究が行われていましたがこの作品でもそんなトルストイの手腕が遺憾なく発揮されています。

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『人はなんで生きるか』(1881年)

トルストイはこの作品で「人はなんで生きるか」を探究していきます。

そしてその大きな柱となるのが「愛」です。

この作品は民話を題材にしていることもあり、非常に素朴です。ですがこれがとにかく味わい深い!

上の本紹介でも出てきましたが、この作品は「民衆自身の言葉で、民衆自身の表現で、単純に、簡素に、わかり易くをモットーに努力した」というトルストイの渾身の一作です。まさにその通りの作品となっています。

そして文庫本で50ページほどのコンパクトな作品ですので肩肘張らずに手に取ることができます。

トルストイというと難解で長大なイメージがありますが、この作品は決してそんなことはありません。

読むと温かな気持ちになれます。ぜひおすすめしたい作品です。

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『人にはどれほどの土地がいるか』(1886年)

この作品は「ある村の百姓が、より大きな土地をもらえるという儲け話に乗っかり、次々と欲望を増大させていき、最後にはその欲望のゆえに命を落とす」という、筋書きとしてはかなりシンプルな物語です。

ですがそこは最強の芸術家トルストイ。彼の手にかかればそうしたシンプルなストーリーがとてつもなく劇的で奥深いものになります。

この物語のポイントは人間の欲望が徐々に徐々に拡大し、後戻りできない様をこの上なく絶妙に描き出している点にあります。最初はちょっとの儲け話だったのです。何もいきなりとてつもない大儲けができるというわけではないのです。ですがその「徐々に徐々に」が実に厄介で、これが元で人生が破滅するというのは私達にもよくわかりますよね。

トルストイはそんな「徐々に徐々に」後戻りできない欲望の悲劇を民話に託して語ります。

タイトルの『人にはどれだけの土地がいるか』というのはまさに絶妙なネーミングとなっています。

「もっと、もっと!」とより大きな土地を求めて、主人公の百姓は歩き回ります。自分が歩いただけの土地をもらえるという取引のために彼は必死で歩き回るのです。ですがその結末は・・・

いやぁ実に見事。この物語が世界でトルストイの代表作として今も愛されている理由がよくわかりました。

トルストイ民話の中で一番好きな作品はどれかと言われましたら私はこの作品を選びます。

ぜひぜひおすすめしたい作品です。

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『イワン・イリッチの死』(1886年)

この作品ではトルストイにとっての根本問題のひとつ、「死の問題」について語られることになります。

この作品は読んでいてとにかく苦しくなる作品です。心理描写の鬼、トルストイによるイワン・イリッチの苦しみの描写は恐るべきものがあります。

そしてトルストイらしい思索の渦。

幸せだと思っていた人生があっという間にがらがらと崩れていく悲惨な現実に「平凡な男」イワン・イリッチは何を思うのか。その葛藤や苦しみをトルストイ流の圧倒的な芸術描写で展開していきます。

そして、私はこの作品を読んでいて、「あること」を連想せずにはいられませんでした。

それがチェーホフの存在です。

チェーホフは1860年生まれのロシアの作家です。トルストイからはなんと32歳も年下です。

そんなチェーホフは若い頃トルストイに傾倒していた時期がありました。

チェーホフとトルストイを比較するという点でも『イワン・イリッチの死』という作品は非常に興味深いように私には思えました。

文庫本で100ページ少々という、トルストイ作品の中でも手に取りやすい分量となっていますのでぜひぜひおすすめしたい作品です。

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以上、トルストイのおすすめ小説7作品をご紹介しました。

今回の記事は以前当ブログで紹介した以下の記事を再構成したものになります。

こちらの記事はおすすめ作品10選ということでさらにマニアックなおすすめ作品や解説書も多数紹介しています。トルストイ作品を読むにあたりお役に立てる記事となっていますのでぜひご覧ください。

さて、最後にもう一言。

2022年トルストイ作品を一気に読みこむことになりましたが、正直かなり苦しい読書となりました。

というのも、文学界隈でよく言われることに「ドストエフスキーかトルストイか」という問題があります。

どちらかを好きになってしまったら、両方を好きになることはありえないということがこの問題に込められているのですが、まさにその通りであることを強く実感しました。

ドストエフスキーとトルストイではその思想も人生への考え方もまるで正反対です。

私はドストエフスキーのものの考え方や人生観にとても惹かれました。しかしそうなるとトルストイの人生観にはどうしても生理的についていけなくなってしまうのです。これは読んでびっくりでした。本当に無理なんです。

「両者のいいところをバランスよく取り込めばいいではないか」という折衷案すら許さない厳然たる溝があるのです。

私はトルストイを読み込んでいた時、特に宗教的著作に取り組んでいた時期にあまりに辛くて胸の辺りが痛くなってしまいました。おそらくストレスです。体調もかなり悪くなってしまいました。

トルストイは恐ろしいほど厳密にものごとを考えていくので、その圧にやられてしまったのだと思います。それにやはり、怒涛のように説教を繰り返すトルストイに耐えられず、身体がSOSを出していたのではないかと想像しています。トルストイの言うことを受け入れられない自分にはやはりきついものがありました。

まさに「ドストエフスキーかトルストイか」という問題を身体で体感したトルストイ体験になりました。

他にもトルストイに関して思うことは山ほどあるのですが、そのことについてはいつか機会があればお話しするかもしれません。

巨人トルストイはやはり巨人でした。いや、大巨人です。いや、怪物です。いや、・・・・

とにかくすさまじいスケールの人物としか言いようがありません。何もかも規格外。私生活も思想も作品も並のものさしで測れるような人物ではありません。こうした大人物と本を通して対話できたのは本当にありがたい経験となりました。身体に少なからぬダメージはありましたが悔いはありません。

トルストイはやはり苦手なことがわかりましたが、その分ドストエフスキーへの思いが深まったように感じます。やはり比べてみることは大事ですね。改めてそれぞれの特徴が見えてくるような日々でした。

私自身、こうした読書をしたからこそトルストイの原点となったカフカースを訪れたいという思いを強くしました。トルストイが実際に見たであろう景色を私も見てみたいと思ったのです。そしてその体験を基に書いたのが『秋に記す夏の印象 パリ・ジョージアの旅』になります。ぜひこちらもおすすめしたい連載記事となっています。



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