サラエボのトンネル博物館でボスニア紛争を学ぶ
この日の目的地、トンネル博物館はサラエボ空港のすぐそば。
私が宿泊している旧市街のエリアからは少し距離があります。
サラエボ空港やトンネル博物館へ続く幹線道路は、紛争当時スナイパー通りと呼ばれていた最も危険な道の一つでした。。
その名の通り、紛争中はここを通る人間は女子供問わずスナイパーによって狙撃されたのです。
以前述べたようにサラエボの街は山に囲まれています。
遮蔽物のないこの通りは山に陣取るセルビア側のスナイパーからは絶好のポイントとして狙われてしまったのでした。
こちらがサラエボ空港近くにあるトンネル博物館です。
ここがセルビア勢力に完全に包囲されたサラエボ市において、文字通り市民の生命線となったトンネルが隠された場所だったのでした。
今回の記事ではそんなトンネル博物館とボスニア紛争についてお話ししていきます。
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詳しくはこちらの記事にて