#1より、すれ違う「ことば」と「お笑い」
はじめに
北海道ガラナのハイボール。コーラのような見た目で、ハーブ系の炭酸飲料。ルートビアやドクターペッパーのような味わいらしい。
酒を入れて深夜から朝7時まで喋り、眠気を抱えて過ごした金曜夜の「哲学っぽい」話
1.分かり合うことをあきらめない
1-1.自然言語の曖昧さ
自然言語は喋りにくい。特に、論理記号を含まないとき。論理記号には、数学の”集合”で使われる∨(または)や⋏(かつ)、必要十分条件におけるA⇒B(AならばB)がある。
例えば論理的に話すとき、論理記号をイメージしながら話していれば、ある程度過不足なく伝わる気がする。
しかし、日常的に使う言葉の多くは曖昧だ。お互いに曖昧な言葉遣い(自然言語)をしていると、話が進まない何てことはよくある話で、堂々巡りをしていることに気づかなかったりもする。
自然言語でも、辞書的に定義されたものを常に使うことができれば、問題は起こらないだろうけれど、それはとても難しい。
そもそもなぜ、自然言語はこんなにも曖昧なのだろうか。それは、各々が恣意的に、好き勝手に意味づけをできてしまうところにあると思う。
これは自然言語に特有の、良いところでもある。曖昧さを許容しているからこそ、個人が語彙をたくさん持っていなくても、連想することで未知のものを扱ったり、表現することができる。これによる弊害が、まさに お互いに違う意味で同じ言葉を使ってしまい、話が嚙み合わない というところだろう。本当は、言葉の意味は前提として示さなければならないけれど、そこを怠って自分の中だけで「そういうものだ」と思い込んで言葉を使ってしまうことによるすれ違いは、よくあることだと思う。
1-2.人工言語は揺るがない
人工言語はコンテクスト(背景、状況、場面、文脈)に依存しない。いつでもどこでも、誰にとっても同じ意味で扱われる。数学では、定義や前提に立ち戻ったり、同値変換をしたりなんてことをずっとやっている。
数学は、人間が決めた有限のルールがあるから見通しも立ちやすい。それに対し、物理のような具体物を扱う領域はより複雑だ。同じ条件でも、僅かな差で結果にバラつきが生じることがある。そのため、ある程度「諦める(許容する)」という事が出てくる。
人工言語に対しての自然言語を考えると、やはり自然言語は複雑で、物理と比べても、諦めなければいけないことはもっと多くなるだろう。
1-3.「論理的思考」のススメ
世界は無限に広がっているとしても、自分の手元にあるものは有限だ。人と人とが分かり合うためには、有限の中でも表現の可能性を持つことのできる自然言語の良さを享受しつつ、曖昧さという弱点にできるだけ対処していく必要がある。それは、諦めずに 論理的 であることを目指すという事だ。
実際に、自然言語のノイズを切り離して上手に伝えられる人というのはいる。それはどんな人か? もしかすると、人工言語を取り扱った事のある人達かもしれない。「矯正ギプス」を付けた経験のある人たちだ。
ごく限られた語彙の中で、かつそれらを正しく扱わないと受け入れてもらえない という環境の中で訓練するような、そんな経験がある人は、論理的に話すことはできるような気がする。
もし、自分が常に論理的に話せる人間でなかったとしても、論理的に話す癖がついた人たちが多くいる環境に身をおくと、話が飛躍するなど、自分が論理的でない言動をとったときに、周囲が「それって飛躍してない?」「事実に対して願望が入ってない?」なんてツッコミがはいる。そういう経験は、論理的思考を得ることにつながるかもしれない。
また、「思考コスト」を払うことに抵抗があるか否かというのも、大きく関わってくる気がする。自然言語で論理的に話そうとすると、よく考えなければならない。(このことを、「『思考コスト』がかかる」と表現するとする。)論理的に話すという事は、自然にできるものではない。できる人とできない人がいるというだけでなく、できる能力があったとしても やりたくない人はやらない という側面があるだろう。
2.「言葉」の限界
2-1.ツンデレを見逃さない!
一方的に、自然言語を文字通り、定義的に扱ったとしても、それで必ずしも本質を解釈できるかと言えば限界がある。言葉には文脈があり、コモンセンスを問われる。センター試験(共通テスト)国語のテストでは、問いに対して「間違いなくこれだ!」と答えを選択できることは少ないだろう。たいてい「これは正しくなさそう」「ここまでは言ってないかな」と消去法で選択肢をしぼっていき、最終的に残ったものに対しても「俺はそうは読んでないけどな」なんて思いながら、断言しがたくても「~の方が自然。」で選ぶしかない。そんな選び方って、めちゃくちゃ不安だし、そもそも誤解が生まれる文章なんか、わからないこっちより書いたやつが悪いじゃん! とも言いたくなる。
しかしながら、「別にアンタなんか好きじゃないんだからねっ!」という言葉があったら、これは「好きだ。」と読むべきだ。こんなの、論理的にはどう紐解いていったとしても導くことはできない。不安を抱きながらも妥当なものを選ぶということは、必要な能力ではある。
2-2.「笑う」メンタル
冗談や皮肉を理解することは、文脈を読むことが求められることの典型的な例だろう。一般常識といわれるものだけでなく、発言者の性格や、最近の趣味なんてのも影響してくるかもしれない。
面白さとは、「現象」と「状況」から成り立つ。どちらか一方だけでは、成立しない。笑えない。
例えば「叩きました」という現象があったとして、状況を見落として自分の中だけで解釈してしまうと、時に悲劇が起こる。「叩く」ことは暴力であって、いきなり叩くなんて論外だけど、「叩く」ことが許される場面も結構あって「気の置けない友人が、いつものごとく おかしなことを言ったので『なんでやねん』とツッコミで叩いた。」場合なんかがある。これを、友人がいきなり叩いてきた(いじめだ!)と解釈してしまうと大事故だ。こんなこと、もっと微妙なラインでたくさんあることだし、「そんなの教えてもらわないと分からないよ!」という人もたくさん居るとは思うけど、学校でも教えてくれることじゃない。
「現象」が笑いになるか否かの線引きとしての「状況」の一つに、「対等であること」があるだろうと思う。そう考えると、笑うためには 傷つかない ことも必要になる。
「いじめ」はよく、被害者がそう感じたなら「いじめ」と表現されることがある。もし仮に、イジリの発言をした奴が相手を「対等だ」と思っていて、全くもって見下してなんかいないからこそ「イジリ」を行ったとき、それを受け取った側がすごく卑屈な奴で「あいつは今オレを馬鹿にした」となったら、これは発言した奴が加害者の「いじめ」になるのだろうか? 極端に言えば、このとき「いじめ」を作っているのは、すごく卑屈な奴ではないのだろうかとも思う。
「笑い」を扱うコミュニケーションの中で、あらゆる事に配慮するのは難しい。発言者と受け取り手が対等になり、多少イジっても笑いになる関係性を目指していくことも必要かもしれない。
3.みんなで決める民主主義
3-1.「無難」でいると、生きづらくなる
近頃のネットの風潮は、もっぱら「弱者に寄り添う」ことのようだ。そうしていないと、炎上するからなのか。記録に残ったり、後からみられるリスクを考えると、「無難」な言論ばかりが強化されていく気がする。
しかし、そんなことを続けた先には ディストピア しかないように思う。なぜなら、これは言論の弾圧を自主的にやっているようなものだからだ。本心を誰にも言えないなんて、自分も苦しむことだ。
3-2.「ハズレ値」に付き合わない
弱者と言っても色々にいるけれど、どうやっても「ハズレ値」みたいな奴は湧く。独裁者の典型として有名なヒトラーも、その1人と言えるかもしれない。
そんな「ハズレ値」みたいな奴も、大衆によって適切に評価され、処理されれば問題にならない。”なぜか”チカラを持ってしまうことが問題だ。大衆が「無難」な事しか言えなくなり、そんな社会を盲目的に信じていると、そういう「ハズレ値」を処理できなくなるリスクは高まると思う。アイヒマンが象徴的な例かもしれない。
「変な奴」「おかしい奴」に対して、キチンと「おかしい」と言えること。そして、良い人が正しく良いと評価され、チカラを持てる社会であるためには、大衆がバカではいけない。大多数が、いわゆる良くない属性にいる状況は「多様性だね」なんて言ってられない。
あとがき
昨今の日本では「言語化」に焦点を当てた書籍、記事、動画での解説が増えているように感じる。背景にはやはり、時間的にも経済的にも余裕の少ない社会でより「合理的」な選択をしたい人々に対して、自らの思う細やかなニュアンスや「推し」の良さを他者へ伝える力量を同じく時間的経済的余裕のない人々が欲しているからなのだろう。どれだけ自分の中で良いと感じているものであっても、他者の心を動かす(合理性により心が動くのではないが、思考により非合理性は心の重しとなる)論理的で矛盾がなく納得のできる言語化を見せなければ仲間へ引き入れることができない、と前提立ててコミュニケーションに臨ませる圧力がある。
さりとて高度な論理性を以て寸分の隙もない文を構築したところで、やはり読者と同一の語義を共有していなければ文そのものの論理性が瓦解する。他者とのコンテクスト共有が土台として必要とされてしまう。語義そのもののみでの伝達を望むこと、つまりコンテクストについてドライにする取り組みですら、語義というコンテクストを共有することが第一歩となる。
本記事はポッドキャスト『金曜夜の詭弁と妄言』を元に作成されました。
土曜日20:00~22:00 Twitterスペースで生放送中
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