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なぜ本を読むのか


夢か現実か分かっていない寝ぼけた頭で時計を見ると電車の発車時刻の10分前だった。爆速で準備し光の速度で自転車を漕ぎながら1時間前にいつもの電車が出ていたことに気づく。とんだ阿呆である。
申し遅れました。一限寝坊した、自分に甘すぎる大学生。湯たんぽです。


僕は電車に揺られながらよく本を読んでいるのですが、消えていく街の光を見ながらふとどうして本を読んでるんだろうと考えてしまいました。なんで今回はそのことについて書いていこうかなと。


本を読むっていいですよね。ページをめくる音や古本屋の匂い。目当ての本を探してる時のワクワク感や読んだ後の満足感などいいところを言い出すとキリがないですね。

でもやっぱり、大きな魅力の一つは月並みの言葉ですが人を救うことができることだなって思うんです。


本って孤独の人の味方じゃないですか。理由なんてここで述べる必要がないほど本に救われた人はたくさんいると思います。たったの十数文字を人生の座右の銘にしたりnoteの自己紹介のとこに書いたりしている人は少なからずいるのではないでしょうか。

僕は本を読みながらこの文や表現好きだな、気持ちが軽くなったなと思ったら嬉しく思いメモしてます。そういう大事な言葉に出会ったことは皆さん必ずあると思うんです。

その時に僕は傷ついた身近な誰かに伝えたい、伝えれたらなと思います。人は何かを伝えるときにこれを伝えることでこう見られたいという欲求が少なからずあると思うんですがそういう気持ちはこの時だけはなくて、自分が救われたようにあなたの見してくれない苦痛が少しでも減ればなと願っています。ただそれだけなんです。


愛や優しさについて僕は一言でこれだと言えるほどできた人間ではないですし、人生経験もありません。でも大事な言葉に出会って、あなたに伝えたいなと思うあの瞬間だけは愛と呼んでもいいんではないかなと思います。人は負の解釈ばかりに妥当性を求めるのはなんででしょうかね。

中学時代、放送で流れてきた曲にこのバンド不倫したから嫌いなんだよね。と言っていた先生がいました。僕はそのバンドが好きでも嫌いでもなかったけれど少し寂しく思いました。不倫していたとしても薬をしていたとしても、その曲を書いているその瞬間だけはきっと祈りを込めていて、誰かが救われればなと思っていたはずで、そういう曲で実際救われている人も多くいるはずで、不倫したからと全てを否定するのは少し寂しすぎやしませんか。

本題と逸れてしまっている気もしますが

僕は自分が救われたい。そしてその時が来たらあなたも救いたい。

そんな感じで本をこれからも読んでいきます。
2限の授業行ってきます。またね。

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