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かつて多くの名画座があって、結果として通っていた

私にとって映画も小説と同じで、どちらかと言うと観たいから観るものではなくて、観ざるをえないから観るものだった。
(例外が小津作品とヤクザ映画だったが)

そんな年月を過ごしてきた先日、スマホの小さな画面で久しぶりに小津安二郎の「晩春」を観た。
この映画は名画座で結構な回数観ているのだが、久しぶりで観ると新鮮だ。

そう、かつて名画座というものがあった。
いや、今もあるのだろうが、その数は減少していることだろう。

今パッと思い出せるかつての名画座は、東京では銀座の並木座、池袋の文芸座、そして一番好きだったのが新宿の昭和館(ピンクじゃなくてヤクザ映画の方ね)。

昭和館を名画座のカテゴリーに入れていいのかわからないが、他にお客のいない昼間、2階席を独り占めして見るヤクザ映画は最高だった。

並木座でよく見た小津安二郎の作品には、飲みたくなるような場面が必ず出てきて、映画館を出た後はまず飲み屋に向かった。

そうやって過ごした時間はとても貴重だったのだと今更ながらに思う。

今、映画館にはまったく行かないし、そもそも映画自体を観ない。
何故だろうか。
たぶん、2時間程度とはいえ身体全体を拘束されるのが、とても苦痛だからだろう。

そして一番の理由は、他人の作った世界はもういいかなと考えているからだ。
映画に限った話ではないが、本当に全身で追い求めるべき世界は、日々の生活の中にしか存在していないと思う。

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