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我が心のバタイユ

今日は生活の表面をなぞるのではなく、精神活動についてメモしておこう。

4年前、コロナ禍で外出もままならなかったとき、部屋を整理しながら本棚1つ分の蔵書を捨てた。
そのとき37年前に買った未読の本が出てきた。
「聖なる神」(バタイユ著)

20代の頃、バタイユ的な思想に傾倒していたのだが、それは仕事と両立できるようなものではなかったので、封印してきた。
4年前に未読の著書を見つけたときも、捨てはしなかったが読みもしなかった。
無職になったことだし、そろそろ読む頃合いかと思って、ついに読んだ。

約40年が過ぎ、自分の脳内の組成が変わっていることがわかった。
脳内だけでなく身体全体が変わってしまった。
それでも、バタイユ的な思想は今も痛いほどわかる。
もしもそれを全面的、継続的に20代から抱え続けていたら、たぶん私は死んでいた。
そうなる可能性はあったのだが、どういう因果かそうはならなかった。
私は仕事をする中で、生活にとって危うい思想をやり過ごす技術を身に付けてしまった。
つまり過剰なものを削ぎ落とす技術を。
そして世間が言うところの錯乱から自分を遠ざけて、せいぜい大酒を飲む程度で割と地道に生きてきた。
それで良かったのかどうかはわからない。
結論は死ぬ瞬間にしかわからないと思う。

「聖なる神」に書かれていることは、バタイユの魂の叫びだろう。
40年前なら私は全身でそれに呼応したはずだ。
今は冷静に文章に向き合っている。
(それでも相当きつい)

これで私の本棚からは未読の本が無くなった。
次はどっちに進めばいいのだろうか。
取りあえず書店に行ってひまわりみたいな明るい本を探してみようかと思った。
夏だし。

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