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Ⅰー40.文献篇(2)ラリー・エンジェルマン著『雨の前の涙 南ベトナム崩壊のオーラル・ヒストリー』(1990年)

ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー 文献篇(2)
ラリー・エンジェルマン著『雨の前の涙 南ベトナム崩壊のオーラル・ヒストリー』(1990年)。全387ページ。

Larry Engelmann, Tears Before The Rain:An Oral History Of The Fall Of South Vietnam,  New York : Oxford University Press, 1990. 

1990年版

(1)本書の概要
 
本書は、1975年4月の南ベトナム崩壊時の様子をアメリカ人とベトナム人(南北両方)の軍人、外交官、政治家、医師・看護師、客室乗務員、ジャーナリスト、一般民、当時の子どもなど、多角的にさまざま人に聞き取り調査した結果をまとめたものである。インタビューした人は合計で180人余りになり、その多くはアメリカ在住者(162人)であるが、ベトナム(13人)、香港(6人)、タイ(2人)、イギリス(1人)、オーストラリア(1人)のインタビュイーも存在する。これらの全員のインタビューが本書に収録されているわけではないが、ベトナム本国からの旧北ベトナム側の軍人などのインタビューも含まれるのが注目される。

 1973年1月にパリ和平協定が締結され、米軍は同年3月までにベトナムから撤退することになった。タンソニャット空軍基地にあった米軍のMACV(軍事援助司令部)はDAO(防衛駐在官室)に替わった。和平協定では、北ベトナムが南ベトナムに8万~16万人の兵力を維持することを認めた。1975年1月に解放軍がカンボジア国境地方のフオックロン(Phước Long)を制圧し、これに対しアメリカは軍事的再介入の動きを見せなかったことから、北ベトナムは南部に対する大攻勢を同年3月から仕掛け、新規に10万人の兵士をホーチミン・ルートに送り込んだ。3月14日、ティエウ南ベトナム大統領は中部からの兵力の撤退を決定した。これが南ベトナムの軍民に大きな混乱を招き敗北への引き金となった。ティエウ大統領は4月21日に辞任。後任のフオン大統領も4月28日に辞任し、ズオン・ヴァン・ミン将軍が就任した。解放軍は南ベトナムの首都サイゴンに迫っていた。アメリカ人らの脱出作戦である「フリークエント・ウィンド作戦(Operation Frequent Wind)」が4月29日朝から発動され、30時間でアメリカ人1373名、南ベトナム人5595名を脱出させた。翌4月30日、サイゴンは陥落し、ミン大統領は解放軍に無条件降伏した。同年末までに約13万人のベトナム難民がアメリカに渡った。本書はベトナム戦争終結時の緊迫した脱出劇や「ボートピープル」の難民の苦難などをつぶさに聞き取りしている。

 著者のラリー・エンジェルマンはカリフォルニア州サンホセ在住の著述家・大学教員で、中国の南京の大学やサンホセ州立大学で教鞭をとったことがある。
 

米空母に収容される南ベトナム人

 

(2)本書の構成

 本書の構成は以下のようになっている。

<目次>
序文

第1部:アメリカ人
 Ⅰ.ダナンからの最終フライト
  ・Jan Wollet(客室乗務員)「なぜ彼らは私たちを狙うのか?私たちは
   善良な人なのに」
  ・Joe Hrezo(フィリピンのクラーク空軍基地の航空会社スタッフ)「生
   きていてよかった」
  ・Mike Marriot(カメラマン)「どんづまり」
 Ⅱ.孤児たち
  ・Susan McDonald(看護師)「子どもたちの写真だけです」
 Ⅲ.議会代表団
  ・Pete McCloskey(下院議員)「やあ、私は君にすべての話をしよう」
 Ⅳ.米大使館
  ・Wolf Lehmann(米大使館員)「これはサイゴンの大使館からの最後の
   メッセージです」
  ・Lacy Wright(米外交官)「希望は永遠に湧き出る」
  ・Ambassador Graham Martin(大使)「籠の中で頭と一緒に歩き回る」
 Ⅴ.CIA
  ・Thomas Polgar(CIA要員)「我々は敗北した軍隊であった」
 Ⅵ.大使館付き武官の事務所
  ・Henry Hicks(駐在武官)「私は仕事するために行こうとしたが、彼ら
   は私を撃とうとした」
  ・Becky Martin(米国防省スタッフ)「トンネルの先の光は遮られた」
  ・Diane Gunsul(反戦運動家、兵站センター労働者)「シャンペンを飲
   み、戦争を見る」
 Ⅶ.合同軍事チーム
  ・Stuart Herrington(合同軍事チームの一員)「誰も見捨てない! 心
   配するな!」
 Ⅷ.軍事海上輸送司令部
  ・Harold J. Murphy(Greenville Victory 号乗組員)「我々は救助者だっ
   た」
  ・Clinton J. Harriman, Jr. (軍事海上輸送司令部スタッフ)「ねえ、あな
   た、少なくても私たちはみな一緒に死ぬのね」
 Ⅸ.海兵隊
  ・Major Jim Kean(少佐)「もっと良い方法があるはずだ」
  ・Sergeant Kevin Maloney(軍曹)「口いっぱいの灰」
 Ⅹ.捕虜
  ・Dennis Chambers(「ハノイ・ヒルトン」の捕虜)「我々は戦争に勝
   つのか? 本当のことを言ってくれ」
 Ⅺ.ワシントン D.C.
  ・Robert Hartmann(ジェラルド・フォード大統領顧問)「アメリカに
   関する限り、終わった戦争」
  ・Thomas Moorer(太平洋艦隊司令官)「頼むから、やめてくれ、やめ
   てくれ、やめてくれ」
 Ⅻ.メディア
  ・Ken Kashiwahara(ABCニュース)「バスは赤ん坊を轢いた」
  ・John Degler(米空母Midwayの米海軍・写真家)「君の言うことなど
   クソ食らえだ。今すぐ行く」
  ・Mike Marriot(CBSニュース)「アメリカ人の裏切り者」
  ・Ed Bradley(CBSニュース)「つまり、すべてはこれに尽きる」
  ・Fox Butterfield(New York Times)「トンネルの先の灯りを消せ」
  ・Keyes Beech(Chicago Daily News)「全能のキリストよ、なぜこんな
   ことができるのか」
  ・Brian Ellis(CBSニュース)「かれらは少年にすぎない」
  ・Chuck Neil(Armed Forces Radio)「私はホワイトクリスマスを夢見
   ている」
 ⅩⅢ.一般民
  ・John Walburg(ベトナム従軍後、ベトナム在住)「ああ、私はこの世
   に戻ってきた」
  ・Dr. Bruce Branson(Adventist病院医師)「テロリズムの計画されたプ
   ログラム」
  ・George Lumm(香港勤務。家族はベトナム在住)「なんてこった、み
   んな撃たれるぞ」
 ⅩⅣ.カリフォルニア州サンクレメンテ
  ・John H. Taylor(ニクソン大統領補佐官)「次の、最も気の滅入る日」

第2部:ベトナム人
 ⅩⅤ.軍人
  ・Colonel Le Khac Ly(サイゴン軍大佐)「私だけが君に話をするために
   残った」
  ・Nguyen Truong Toai(サイゴン軍少尉)「我々は死んだ」
  ・General Ly Tong Ba(サイゴン軍准将、第25師団司令官)「ある種の
   病気があった」
  ・Pham Van Xinh(サイゴン軍第2歩兵師団警備官)「私たちは頭のな
   いヘビのようだった」
  ・Nguyen Phuc Thieu(サイゴン軍空軍少尉)「引っ込め。戦争は終わ
   った」
  ・Hai Van Le(サイゴン軍空軍パイロット)「快晴の日だった。太陽が
   輝いていた。そして誰もが泣いていた」
  ・Captain Nguyen Quoc Dinh(サイゴン軍海軍大佐)「おい、私の船か
   ら出ろ」
 ⅩⅥ.一般民
  ・Nguyen Phuc Hau(南ベトナム・カインホア省政務執行評議会副議
   長)「はい、私たちは戦った」
  ・Nguyen Thi Lac(米人相手の店舗経営)「私たちはみんなここで死ぬ
   ことになる」
  ・Tran Minh Loi(弁護士)「彼らは動けないので、我々を撃つことはで
   きない」
  ・Nguyen Ngoc Bich(メコン大学総長代理)「間違いなく地獄」
  ・Hue Thu(英語教師)「彼は将軍で、彼はとどまっている」
  ・Dr. Nguyen Thi Thanh-Nguyet(医師)「なぜあなたは私の孫をここに
   連れてこなかったのか」
  ・Ho Quang Nhut(高校教師)「彼は私がベトナムで見た最後のアメリ
   カ人だった」

DA CAPO PRESSの1997年版

 ⅩⅦ.子どもたち
  ・Duong Quang Son(当時は16歳の生徒)「雨の前の涙」
  ・Nguyen Thi Hoa(当時16歳)「お母さん、私は出ていくわ。私はあな
   たを誇りに思うでしょう」
  ・Tram Tran(当時13歳)「彼らを見て。これらの人は天使だわ」
  ・Vu Thi Kim Vinh(当時14歳)「私たちはだめだと分かって泣いた」
  ・Tran Thi My Ngoc(リセのマリ・キュリー校の生徒)「彼らは私たち
   を囲むアリだ」
 ⅩⅧ.勝利者
  ・Colonel Bui Tin(人民軍隊大佐)「私は戦争をする人間になったが、
   それを望んでなどいなかった」
  ・Major General Tran Cong Man(人民軍隊少将)「すべては時間がかか
   る」
  ・Tran Bach Dang(共産党宣伝部門担当者、作家)「我々は許しと忘却
   を信じている」:フォード米大統領に軍事援助を求めた南ベトナム議
   会代表団の団長ディン・ヴァン・デ(Đinh Văn Đệ)、タイムズ誌記
   者ファン・スアン・アン(Phạm Xuân Ẩn)、ティエウ南ベトナム大
   統領の外交特別顧問フイン・ヴァン・チョン(Huỳnh Văn Trọng)ら
   が解放勢力側のスパイだったと証言。
  ・Nguyen Son(当時18歳のハノイ市民)「立ち上がる以外に選択肢は
   なかった」

第3部:その後
 ⅩⅨ.「人生の塵」(アメラシアンの子どもたち)
  ・Lily「私は人生であまりに沢山の悪い事を見てきた」
  ・My Linh「困難な人生だった」
  ・Nguyen Diep Doan Trang「ここは私にとって困難だった」
  ・Minh「混血児」
  ・Vo Thi Quan Yen「私は自分がアメリカ人だと知っている」
  ・Nguyen Ngoc Linh「人生はよりよくなるでしょう」
 ⅩⅩ.ベトナム人
  ・Ly Thuy Ngoc(1967年生まれ。1981年に渡米)「レイプされるってど
   んなことだと思う?」
  ・Melisa Pham(1975年、小学生で渡米)「その時、私は若かった」
  ・Thao Mong Nguyen(小学生で渡米)「私はいつもアブラハム・リン
   カーンが好き」
  ・Van Thuy Mac(1975年に7歳で渡米。父親はアメリカ人)「私はハー
   フ・アンド・ハーフ」
  ・Nguyen Thi Kim Anh(1979年に出国)「私たちは悪い事の大半を忘れ
   ようと努めた」
  ・Nguyen Son(中国系の北ベトナム人、1980年頃に出国)「私たちは
   去り、私たちは忘れる」 ※ⅩⅧ.で既出
  ・Vu Thi Kim Vinh(1979年に出国)「私たちが見ることができ、夢見る
   ことができた写真」 ※ⅩⅦ.で既出
  ・Tram Tranh「私は幸せになる」 ※ⅩⅦ.で既出
  ・Tran Thi My Ngoc(1979年末に出国)「陽の光のなかで私を死なせ
   て」 ※ⅩⅦ.で既出
  ・Duong Canh Son(兄弟を出国させた後、父も出国を試みるも船が沈
   没)「私の父」

あとがき
  トンネルの先の光明
  いかにして1975年のクリスマス前に13万人の難民がアメリカで新たな住
  処を見つけたのか

ベトナムの「ボートピープル」


(3)本書の特徴

◆本書は、ベトナム戦争終結時のアメリカ人および南ベトナム人の脱出劇という限定されたテーマ・時期に関するオーラル・ヒストリーである。焦点は「フリークエント・ウィンド作戦」の実施であるが、それに関わる各セクションの人々への聞き取りがなされている。また、救出の対象であったり、その後に自ら出国した一般人や子ども達(とりわけアメラシアンの子ども達)にも目配りされている。難民となった人々の人生行路にも関心が向けられており、アメリカへのベトナム難民移民史の証言ともなっている。

◆4人だけではあるが、北ベトナム側の人のインタビューも収録されている。そのうち3人は解放軍の高級幹部であり、攻略側・勝利者側からの視点の「サイゴン陥落」の様子が窺える。チャン・バック・ダンの証言からは、解放軍がいかにスパイ・工作員をサイゴン市内に張りめぐらしていたかが見て取れる。あと一人は中国系の北ベトナム人で、北爆下の北ベトナム住民の雰囲気を伝えている。彼は戦後に難民として出国し、渡米した。

◆本書は著者による「地の文」は序文とあとがきだけで、本編はインタビュー記事をつなげて構成されている。著者の主張や思索を強く打ち出すというよりは、証言そのものの記録性を重視した構成だといえる。
                             (了)


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