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[小説]流れる水のように

 桜がひらりと舞って落ちる。水が低きに流れるように。
 ほんの一瞬、刹那の生を燃え尽くすように咲いて散る。その様はこの上なく美しかった。
 桜の華やかさ儚さは、どう考えても装飾過多なのに、ただ自然で嫌味が全く無い。だから、何も気負うことなく、その美しさに身を委ねることができる。
 桜は、私がこの世で無条件に肯定できるもの一つだ。
 この時期になると、いつも桜に酔うように夢中になってしまう。

 十六歳の四月。平日の日差しに目を細める。
 ただ、海のように存在している時間を、どうにかつぶしたくて、あてもなく無為に歩く。何かを保留にするように。
 春の陽気はポカポカと暖かい。でも、彼女の額の方がずっと熱く。握った手はもっと温かった。
 それを思い出した途端にベンチが目についた。さっきまで感じなかった疲労が足に押し寄せる。
 思わずにベンチに座ってしまった。
 喉も渇いたけど、手元に飲み物はなく、自販機を探すのも面倒くさい。
 座り込んだ私の前には、一際大きい桜の木がずっしりと立っていた。花は三割ほど散っていて、少し疲れているように見えた。
 ぼんやりと、今も散り続ける桜を見ていると、彼女の控えめで上品な笑顔が頭に浮ぶ。
 それを私は長らく直接見てないけど。
 ほんと、人の縁とはなんて希薄なものだろうと思う。ただ所属する組織が違うだけなのに、彼女との親密度が下がった気がする。
 中学の時は、あんなに並んで歩いたのに、高校生になってから、急激に私の心の中から、彼女が溶け出していっていくように感じる。
 それは、たぶん彼女も一緒だ。
 未来という時間は、膨大にあるように感じて億劫なのに、過去の短さには嘆いてしまう。たぶんそこには数値的な違いは存在しないのに。でも、私はどうしようなく、そう思ってしまう。
 目の前の散り始めた桜は、そこら辺のことをしっかりとわかってるように見えた。
 風が桜の枝を揺らし花を降らす。ひらりとスカートが少し揺れる。手でスカートを抑えたとき、仄かな罪悪感が胸を刺した。
 何から目を逸らすように、また歩き出した。

 正午過ぎの太陽が傾いて、午後の穏やかな光が知らない街を落ち着いた雰囲気で包む。
 そんな春の午後に身を委ねるように、目的もなく歩く。どこに目をやっても知っている景色はない。だけども住宅街なんてどこも似たような景色だと思う。
 でも、私の住んでいる新興住宅地みたないとこより雑多で面白い街だと思った。路地は入り込んでいて、高低差が複雑に細かく存在していて、古い家、新しい家、アパート、よくわからない古い小売店、などの統一感のない街並みが広がっている。
 今、この街に住んでいる人たちにとっては、なんでもない景色なんだと思うけど、特になんの意識も意図もない、ただ生活を積み上げていっただけのような、わざとらしさのかけらもない雑多な空気にすごく魅せられる。
 また少し歩くと、平地の街を分断するかのような大きな川にでた。
 川の流れは静かだけど、そこに秘められているエネルギーはたぶんとてつもなく大きい。
 整備されている広い河川敷に、車も通れるような大きな土手道。
 水の輪廻の最終地点付近。
 午睡に誘われるような、穏やかで気怠い雰囲気に包まれた河川敷には色々な人がいる。
 犬散歩をしている御婦人。
 ぼうっと土手の階段に腰掛けている老人。
 ランニングしているおじさん。 
 駆け回っている子供たち。
 土手の芝に寝転がっている若者。
 その生活感に満ちているけど、絵にもなるような風景が、なぜだか子供の頃から好きだった。
 そういえば、彼女も川沿いを歩くのが好きだった。そんな小さな好みも合う稀有な人だった。
 だから、よく放課後に学校の近くの川沿いを二人で歩いた。親密さを確かめるように手をつないで。
 街でも学校でもつながないのに、川沿いを歩く時だけは特別だった。
 たぶん、彼女も私と同じことを思ったのだろう。
 彼女は、水循環に焦がれていた。そこにある永続性に惹きつけられていた。
 雨が好きって言っていたし、視覚的に変化する自然の水の流れが好きだと言っていた。
 その感覚を、私は理解し共感することは出来なかった。でも、彼女も私の言う生活感や、わざとらしさに対する忌避を理解し共感することはなかった。
 それでも、川沿いが好きということだけでも共有できただけで、互いに十分だった。
 川がゆるりと流れていく様をぼうっと眺める。傾いた太陽に水面が照らされて、白く強くきらめく。後ろを歩く人達の楽しそうな会話にザラリとしたものを感じる。
 平日の午後はなんだか虚しくて、意味のない感傷に浸ってしまう。
 それでも、彼女ことを思い出すと、急に一人でいる事に対しての寂しさが、心の内に洪水のように押し寄せて、やりきれぬ諦観が顔を覗かせる。
 でも、私は彼女に連絡することはしない。彼女のアイコンをタップするたび、ひどく間違ったことをしたような気分になるからだ。
 今頃、彼女は何をしているのだろうか。友達はいると思う。だって彼女は不思議な魅力を持った人だった。
 でも、そんな当たり前な事実に目を向けるたび、私はひどく狼狽して、心がザラザラとした何かで削られていく。
 それでも、この感情が明確に形になるのを恐れて、直視することも向き合うこともできないまま保留にして逃げ続けた。
 それから遠ざかりたくて、土手道を歩く。 
 どんなに、歩いて、走って、目を逸らして、忘れようとしても、悲しみはそこにあって、心は私の意に沿うことはない。
 自分とは一番近い他人だと思う。
 でなければ、だれもがもっと楽しく生きられるし、私もこんなに憂鬱にならない。
 橋が見えた。これ幸いに対岸に渡って川から離れる。
 振り返らずに。

 斜陽に街が照らされて、視界の全てが朱色に染まる。そろそろ家に帰らないとまずい時間だったけど、全然帰る気分にならなかった。
 とりあえず、携帯を出して親に夕飯をいらないことを連絡する。
 それから、近くのコンビニを調べて夕飯を買いに行く。
 黄昏時の淡い青紫色の空とコンビニの明りは、いい絵になるとなんとなく思った。
 夕飯に、おにぎり2つと菓子パン一つを買った。
 どこで食べようかと記憶をたどるけど、知らない街だから、当然何も出てこない。
 携帯のマップを開いて探してみる。
 近くの小山に公園があるらしい。
 私はそこで食べることにした。
 マップどおりに歩いていくと、山門と石段が見えてきた。山門の前には、大きな枝垂れ桜が門番のように並びに立って咲いていた。
 その公園には、元々寺があったらしい。今は山の麓に移したらしいが。
 山門を潜る。もう夕方だから人の気配すらしない。
 静けさに耳元が騒がしくなる。。
 木々はまだ若い青葉を生やしつつあるだけで、まだ冬の残滓が残っている。
 上を見上げれば、木々のトンネルはスカスカで、地面には雑草があまり生えていない。 それは清潔というより寒々しい印象を感じた。
 石段を一段ずつ登っていく。傾斜自体は緩く、段差も小さいから、特に苦労せずに上ることができる。
 五分くらいで石段を登りきった。振り返ると、この街の中心のビル群を見下ろせるくらい高いところだった。先の方には薄っすらと水平線が見える。
 広大に広がる海を想像して、心が動く。
 宵の口の空と水平線が混ざって曖昧になった視界の果てが、ただ、ただ、綺麗で、思わず足を止めて見入ってしまう。
 そして、この景色はなぜだか彼女を彷彿とさせる。
 あまり綺麗すぎて、わざとらしさが全く無いからだろうか。
 彼女も全く同じで、背伸びせず、上品で、素朴な、流れる水のような美しさを持った人だった。
 ああ、そうか
 私は、彼女に憧れていたのか。
 彼女が水循環に焦がれるように、私も彼女の自然な美しさに焦がれていたのか。
 だから、彼女と額を合わせた時、あんだけ胸が騒いだのか。
 なんで気づかなかったんだろう。私が彼女に対してこんな感情を持っていることに。
 いや、ちがう。
 気づかなかったじゃなくて、見ないふりをしたんだ。
 未知の感情に振り回されて、疲弊して、目を逸らしたんだ。
 だから、私達の距離は開いてしまったんだ。今更、連絡することに後ろめたさを感じるのも。
 だいぶ、気づくのが遅れたけど、なんだか億劫で、モヤがかかったような心情が明瞭になって軽くなる。
 石段を少し下って腰掛ける。
 コンビニの袋からおにぎりをだす。水平線の先を夢想しながら、おにぎりをちびちびと食べ始める。
 水平線の先には、私と彼女が昼食を食べている絵が浮かんだ。
 互いに幸せそうな顔していた。
 もったいないことをしたと後悔しながら、おにぎりを食べる。
 鮭の塩味が心に染みる。
 二度と彼女とは一緒にご飯を食べることがないだろうと思うと、心がぐしょぐしょに濡れる。
 ささやかな夕食を食べ終わって、ゴミを袋にしまう。
 もうここに用はないと、石段を下る。
 もう空は暗く、水平線なんて見えやしない。
 その頃には、もう心は乾いていて、なんでもないように帰路についた。
 家についたら、真っ先に明日のアラームを掛けることにした。
 明日は、ちゃんと学校に行こうと思ったから。


◯ps
 久しぶりに小説を書きました。
 1回くらい書いてみたかった、登場人物一人だけで、内容は主人公の独白と情景描写だけの小説。いざ、書き始めてみると、自分の描写力の無さに絶望感を覚えたけど、意外と言いたいことを書けたからまあよし。 
 テーマは憂鬱のほぐし方です。根本的には解決しない対処療法だけど、それを繰り返していくしか、憂鬱を治す方法は無いかなと、日頃思っています。