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道のつくり方

私の日課である散歩のコースは山道になっていて、
頂上までの正規のルートが4本ある。
どのルートも誰もが歩きやすいように、
自治体によってきちんと整備されている。
しかし、よく観察してみると、
その正規ルートの脇から雑木林に向かって、
いくつもの道が延びていることに気づく。

ある日、好奇心に唆られて、
分かれ道を前に、行ってみようかどうしようかと逡巡していたところへ、
毎朝すれ違う、顔馴染みになった初老の男性がやってきた。
私が悩んでいることをすぐに察したようで、
「案内しようか?」
と提案してくれた。
私の好奇心はいよいよ頂点に達し、ありがたくその提案を受けることにした。
その男性は、山のことを熟知していて、
よくいろいろなことを教えてくれる。
そんなこともあって、私はその男性のことを心の中で密かに「師匠」と呼ばせていただいている。

師匠のあとについて、脇道に入った。
そこは辺り一面落ち葉の世界が広がっていて、
目を凝らすと辛うじて認識できる獣道のような道があった。
師匠は迷いなく、早足でどんどん歩みを進めていく。
途中、何箇所か木に赤いリボンが結んであった。
師匠が迷わないようにと目印に結んだものだそうだ。
しばらくすると、分かれ道に行き当たった。
すると突然、師匠が言った。
「右側が、僕のつくった道。」
!?
道をつくった!?
私は驚いて、どうやって道をつくったのかと訊ねた。
「簡単だよ。毎日歩いていれば道はできる。」
意外とシンプルな答えだった。
最初はなんだか、はぐらかされたような、肩透かしをくらったような気分だった。
師匠はただ、道のつくり方を簡潔な表現で教えてくれたのだろう。
けれどもこの言葉は、時間を追うごとに、日を追うごとに
私の心にじわじわと深く深く沁み込んできたのである。
「道を拓く」
今まで数えきれないほど耳にした言葉だけど、
この時生まれて初めて腑に落ちた気がした。

「毎日歩いていれば道はできる」

この言葉は、人生そのものだ。
人生とは、道なきところに道をつくる作業に他ならない。
道のつくり方、それは毎日そこを歩くこと。
ただただ歩き続けること。
難しい技術や立派な道具は要らない。
次の日、自分が少しでも歩きやすいように、
枝を払ったり足場を固めたりしておくことくらいだ。
毎日、ただひたすら歩き続けていれば、いつか道ができる。
歩いてきたところが、いずれ道となる。
人は皆、誰かが作ってくれた歩きやすい道を選びたくなる時がある。
でも、人には人の数だけ己の道があって、
それは自分で開拓するしかないのだ。
人の道の方が歩きやすそうで羨ましくなることもある。
自分のつくりかけている道がうまくできていないような気がして、
もっといい道がつくれるんじゃないかと、
いくつもつくりかけては放り投げ、
ふと振り返ると、獣道にすらなっていないものが無数にあったりする。
これじゃあいつまでたっても道はできない。

道のつくり方はとてもシンプルだ。
けれども、シンプルなことこそ、一番難しい。
シンプルだからこそ、いくつも迷いが生じる。
生きるということは、正解の道を探して歩くのではなく、
道なきところに自分の足で、分け入り歩んで道を拓くこと。
それこそが他でもない、自分の人生になるのだということを、師匠は教えてくれたのかもしれない。

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