ベヰジュ 1章「完成版」
Δεν εξετάστηκαν με μικροσκόπιο.
圭悟はブログを開いた。
僕は椎名さんという方のサークルに参加していた。今のところは、45人が参加している。今夜も彼は、サークル用の記事を投稿する。彼はいつも19時50分頃に現れる。圭悟は時々、プロフィール欄の、椎名 Shiinaという表示の左にあるアイコンを見る度に、夏の冷たさ冬の熱さというものを感じていた。何処にも疑わしいものなど無い、そのような感覚。そして、そういう言葉の、ある種の文学的なビブラートを心地良く思ってもいた。蕭条とした部屋に淡くデスクライトが灯され、網戸の方からは虫の音が聞こえてくる。圭悟は暑く涼しいあるいは熱く冷たい日々が好きだった。
サークルでは椎名さんがSNSで投稿した内容の詳細が明かされる。今日は何についてだろうか。その時まであともう少し。椎名さんは著名な文学者だった。僕は、彼の著書「ノスタルジア」を何度も読み返した事がある。この本は多くの評論家に酷評されたものでもある。死者への冒涜だと。実際この本は、椎名さんの友人であった、宮倉薫という小説家の作品だった。彼は、それを引き継いだのだ。批判の多くは所謂、原作者至上主義である。批評家ともあろう方々が、と、高校生らしく生意気な態度をとったこともあった。宮倉さんは、1992年11月18日の朝、ニューヨークで殺害された。銃殺だった。ネットには事件当時の椎名さんのインタビュー映像がある。
『寒い朝だった。街の一角に破裂音のようなものが響いた。音と共に僕は立ち止まった。そうしたら、隣で無抵抗な鈍い音がした。それは、僕の友人である宮倉が倒れた音だった。ブレーキの甲高い音と共に、安物のセダンが際立って覗えた。ついさっきまで僕等が居たBarの店主が表に出て来て、警察に通報してくれた。宮倉の意識は、まだ辛うじてあった。僕は上着を脱ぎ、右腹部の傷口に当て止血を試み、店主と共に彼に声を掛け続けた。宮倉を撃ったであろう連中の乗るセダンは、焦ったせいか、直ぐ近くで事故を起こしていた。暫くしてパトカーと救急車が、駆けつけた。宮倉の意識は薄くなっていた。彼は病院に搬送されたが、2時間後に容態が悪化し、息を引き取った。』
─ 頭の中で何度もその文章を思い浮かべた、欠落しか感じないレンジの効いた文章。その小賢しさに当時のぼくの精神状態は耐えられなかった。此畜生めと思ったね。その畜生めという言葉はぼくの裡で、音割れして騒々しくて、恥ずかしかった。そうやってホテルに戻って自嘲し続けていた。ベットから出ようと思い立っても無理だった。仕方がないから苦すぎるコーヒーを飲んだ。ベットに入る前に彼の妻の実彩子さんに電話をした。これから何がなんだか、よく分からぬまま、色々こなさなくちゃならなくなるだろうから、それぞれ言葉を交わした。彼女も無論、眠れずにいたのだ。その声が風のようになる女性は、泣いた跡を隠すのがどこか上手だ。それを想うと途轍もない無力感に捕らえられた。ふと、彼の子供のことが気にかかった。宮倉の子はその時たしか三歳だったと思う。むざんやな兜の下のきりぎりす。お前はあのBarで、その言葉に於いてどこか感慨していたな。ぼくの焦り癖がなければ、お前の酔いに時間をかけてあげられれば良かったのかな。明日は取材だ、もう寝よう。ぼくは久々に寝酒した、詰まらぬことだと思ったよ。─
君たちは知らんだろうが、芭蕉の平家に対しての句を想ったよ。もう疲れている、休ませてくれないか。
椎名さんはそれだけ述べると取材者たちをよけ、カメラから離れていった…。日本語字幕をつけていたから分からなかったが、風邪をひいている様子だった。彼の横顔には喪失とは別個の惑いが表れていた。しかしそれは彼にとって惑いなのだろうか。インタビューを見たぼくは、暫く、考え事をした。そのあと小林秀雄の平家物語についてのエッセイを読むことにした。近頃、アニメもつくられたらしい。小林の文庫本は制服のポケットに入れている事が多いので劣化している。そのため、時々、テープで補強している。
20時だ、ブログは更新されない。その日は幾ら待っても更新されなかった。翌朝も矢張り駄目だった。午前9時をまわる頃、椎名さんのSNSが更新された。
「東京。ホテルで事務。」
「明後日、カフェ・アトスで行われる、SF作家、井坂利哉さんのサイン会に出ます。皆さん、是非来て下さいね!」
これは行かねば!
圭悟は積ん読していた井坂さんの新作、「カリフォルニア・カントリー・ソング」を読むことにした。読み進めていくと、何処かイギリス人コメディアンが監督したドラマのような感じがした。なんとかライフ、確かそんな名前のやつだ。小説の中ではタイトルと同名の音楽が時々登場する。ニュージーランドのジャズピアニスト、マイク・ノックの曲らしかった。良い音楽だ。
良い音楽だと思っていると、机に置いたマグカップの中身は消えていた。もう飲んでしまったのか、と思ったが、その日は一日、水分を摂っていなかった。圭悟は小説の世界から帰還し、ほろ苦い聖杯を汲に階段を降りた。食器用洗剤の柑橘系のにおい。冷たい水、熱が逃げていく。作っておいた氷を入れ、コーヒーを淹れた。溶けていく。ぎゅーっという感じ。この感じが好きだ。好きなのか?
冷やされたリビング。団扇を持つだけの父。僕はベランダに出て星を眺めた。そしてまた、絵を描きたくなった。それでも描けないのだ。星を見ると彼等の死を想像してしまう癖がある。星が死ぬ、Ⅰa型超新星爆発。僕はビートルズが好きだけど、暫く聴くのを止めている。僕は爆発しない、そう決めている。独りだからなのか、そんなことを考えていた。テレビの音が微かに聞こえる。ガハガハ笑っている。笑ってんじゃねえ馬鹿野郎、と思った。僕は、深呼吸の音で掻き消した。鼻に残る感覚が少し気に障る。千葉から見える星は少ない。まあでも、綺麗だ。綺麗だよ、とても。それにしても疲れた。疲れが消えるまでは、こうしていよう。こうしていることが、今の僕にとって最適な呼吸法だ。
部屋に戻りスマートフォンの通知を見ることにした。ぼくに文学の才能が無いことは承知している。親友の川端浩紀は、ショート・ショートという形式で拵えた作品をぼくにメールで送ってきた。彼は文学とロックンロールを心底愛する奴だった。
曇の日に晴れた日の事を思い出している。庭にはかりんの木があって、十一月も終わる頃だ。中盤フィルムで撮った様な青空に撓わに雲が流れる。色をいよいよ伴った実は、少し枯れた実から遠かった。陽の光りが実の茶色にあたる。しわしわになっている。土竜がこしらえた山を、僕の右足は崩した。先週、ビクトル・エリセ監督のマルメロの陽光を観た為か、彼の作品の音楽が止まない。少し萎れたかりんの実を見ていると、マルメロの陽光が聴こえる。パスカル・ゲニュの音楽。別段、思い入れもないそれ。思い入れがあるものというのは、どこか自分に馴染んでいる。そうでない、例えばあの曲の様なものは、腰を上げて試みる。人はわざわざ、そうするのだ。だからはっきりと聴こえて来るのかも知れない。まあ実際にそうだ、とは思わない。思わないでおく。 口に氷を入れた。勿論、想像だけれども。顔に陽が当たり熱かった。 僕のスノッブ的側面は秋の日和とともに、光沢を帯びている。まだ。いつか、色など分からなくなる。空を見ると雲は増えていた。君もまた優しさのために、性格を壊すのではないか。 それも悪くない。悪くない。秋といえば中原中也だ。部屋に這入るとき、すたれた網戸に葉が引っ掛かっているのが見えた。中原だ、そう思った。実は夏も好きだ。机に向かう。闇が煩くなり窓がガタリコと揺れる。風がおもてで呼んでいる。応答はしなかった。其れが僕等の掟だ。
読み辛さもあるが、悪くはない。まあ、ぼくが読み慣れていないだけなのだが。しかしそうゆう事は言えないので、良いんじゃないか、と返した。暫くして彼からは、良いわけないだろ、と返ってきた。
「まるで教師の板書する文章だ。それでもって型とかいうんだ、甘ったるい。」
確かに彼は、甘ったるいことが嫌いだった。ぼくは、申し訳ない気持ちがした。
しかしぼくにも対抗する意はあったので、何処が甘ったるいのか、どのようにとは言わなくても良い、言える筈がないからだ。お前なりに思ったことを言ってくれ、と返した。
「俺にも分からない、反射的にそう思わなければいかんと思っただけだよ。」
彼は理系寄りの人間だったが、文章を書くことが好きだった。だが何故か英語に対しては意識的になのか無関心だったため、試験の際にはいつも赤点スレスレを彷徨っていた。
「なあ、こんどベケットのマーフィーを注文したんだけど、お前読むか?」
ぼくは三部作を読んだ後にする、と応えた。
「俺、いま翻訳しようとしているんだよ。てか、もう始めてるけど」
「何を?」
「名付けられないもの、を…」
彼には、そういう捻くれたところがあった。多分、フジファブリックを聴き過ぎたのだと思う。捻くれているが、ポップなところもあるから、仕方ないなと受け入れられる。そういう処がある。彼はその自負心から、実験とポップの玉手箱を開ける、というフレーズを度々口にする。まあ、それが自虐だと思えなくもないのだが。ぼくは、成る程な、としか思えなかったが、いずれそれで良いと思った。
僕は電車に揺られていた。もう二十分以上経つ。千葉駅まで来ると、外は街になった。後は新木場駅までこのままだ。僕はポケットに入れていたウォーク・マンで、音楽を聴くことにした。最近のノーマルポジションのカセットテープは、中音域が強調されている。海外製ならまた違うのだろうけど、少し値がはる。Spotifyで聴いても良いのだけれど、僕は時間が欲しかったから、アナログにした。でも、カセットテープで音楽を聴くことが恥ずかしくもあった。エモーショナルだという捉え方をされる、と言うより、若者だ、カセットなんかで聴いちゃって、という視線が嫌だった。まあ、僕の自意識が過ぎているのだろうけど。ノイズの上をシンセサイザーの音が埋めて行く。曲が終わり、深緑の服を着て、という言葉が浮かんだ。深緑の服なんて持っていたか、と思い下を向くと、今、着ている服がそれであった。
大崎駅に着いた。
僕は、少し速く歩いた。地面を感じる、硬く感じる。
曲は、変わった。安いイヤホンが震える。風が震える、震えて欲しい。後は、カフェまでソニー通りを歩くだけだ、と僕は、電車から降りる前に一寸となえた。駅のホームには、たんけろくん、という五反田駅のマスコットが描かれた看板がある。「駅キャラ戦国時代」だそうだ。同級生の鉄道オタクは、駅キャラには興味がないらしいが、自分で地元のバスキャラだか駅キャラだかを創作して、SNSでの匿名性確保のためにお面として使っている。
都市の道路だ、そう思った。人工物の堅強さと脆さが並存している。この茫漠感を日常だと思う人生があるのか、とブツブツ独り言を言っていた。体温を欲する人間たち。なるほどな、と僕は、無責任で底の浅い悟りに至った。暫く歩くと飲食店が見える。窓ガラスには、カフェ・アトスと書いてあるから直ぐ分かる。このビルだ、思想の場。一階にはラーメン屋があった。少し食べたいなと思った。塩ラーメン!
誰もいないかな、とエレベーターの扉が開く毎にぼくはドップラー効果を起こした。時の流れがおかしくなるのだ。そして、気付いたら乗り込んでいた。鏡に自分を映す。十七歳とは思えない白髪の量だ。散髪すれば良かった。まあ、ファッションだと思うことにする。同じ事を自宅の洗面所でもしていた気がする。前髪を直す暇もなく、扉は開いた。
あまりしつこすぎないコーヒーの香り。オフィスというものを、すれすれの処で回避している。
フラッシュバック。時々起こる事だ。
僕は遅すぎた機転を働かせ、扉の前から離れた。振り返ったが、誰も居なかった。
サイン会のために何時も並べられていた椅子が片されていた。サイン会の様子はネットで配信される。例しに配信開始時間を確認してみた。十八時からだ。
十六時半。冷房の効いた会場の窓から夕日が見える。この時間になっても会場に居る高校生は、僕くらいらしかった。うん、という一言が二、三度、僕の頭の中で響いた。
心残りのあそびを止めて
火を焚きなさい
そう、僕の中で繰り返される。山尾三省の火を焚きなさい、その断片。火を焚きなさいは、びろう葉帽子の下で、という詩集に収められている。まあ、ネットでも公開されているのだが。一昨年の九月、屋久島に残されている彼の仕事場、愚角庵を訪れたときだ。三畳ほどの書斎そして囲炉裏。窓からは雨に濡らされている青々とした葉が見える。そう、雨だった。僕は、淡い光りの下で詩集を読んでいた。
僕はペットボトルのコーヒーを飲んだ。ベースの音が聞こえる。振り返ると女性がノートをとりながらベースを弾いていた。彼女のノートのとりかたは面白い。手で覆い隠すように書くのだ。面白いと言っても僕もそうすことが多い。その感覚は制御しずらい。多分、時間がかかるものだ。人からは、隠すなと言われる。まあ僕は、だけど…。でも時々、ブルーになる、隠れたくなる。何かを隠されてしまうから。頭が真っ白になる。熱すぎる、寒すぎる。
サイン会が始まった。井坂さんは機械のように動いた。しかし、一人ひとりに一分ほど話をしてもいる。
「先生まだですか?始まってますよ。」
突然、後ろで声がした。ベースを弾いていた女性だ。彼女の他にも3人の男性が居て、顔をしかめていた。しかし、僕はいつサインを貰いに行こうか。まだ行かなくても良いなと思い、井坂さんのする話を聞いていた。十八時半になり、井坂さんの隣には米文学者の河上洋子さんが座った。川端が来ていたら、さぞ喜んだのだろうと思った。彼女は、会社の代表だ。暫くしてファンからワインの差し入れがあった。それは白ワインだが、ぼくは呑めない。ただ香っている。
椎名さんの姿はまだない。SNSの更新もなかった。僕はスマホを膝に置き天井を見上げた、自分は、今、息をしたな、と思った。