「ボーナスポイント」で内申点をあげた高校受験
当時、私の地元では
受験といえば高校受験から始まるのが一般的でした。
ほとんどの人が周辺の公立高校を志望校としました。
私も同様に、自宅から自転車通学できる高校を目標に
中学校生活を過ごしていました。
内申点が志望校合格への重要なポイントだということは
学年があがるにしたがって理解するようにりました。
定期テストの結果はもちろん、授業態度、提出物も
おろそかにしないように心掛けていました。
教科は国数理社英の主要5教科の他
音楽、美術、技術家庭、保健体育の合計9教科がありました。
内申点の計算方法は各10点満点です。
主要5教科は1.0倍になり
それ以外の4教科は内申点が1.1倍され
最高内申点は94点という仕組みでした。
音楽、美術、技術家庭、保健体育には
いわばボーナスポイントがついた形です。
私は、考えました
ボーナスポイントゲットだぜ! と
音楽は、大好きな科目でした
当時は吹奏楽部でフルート担当していましたし
家では、マッキー極太をマイクがわりにして陽気に歌う
父譲りの歌好きでした。
技術家庭は男子は技術、女子は家庭科という時代でした。
料理は班活動なので協力しあえば問題なし。
裁縫が大変かと思いきや、私はなぜかミシン使いが得意でした。
スモックやスカート、パジャマを制作し
平均点以上で仕立て上げることができました。
保健体育、体育は嫌いではなかったです。
跳び箱だけはどう頑張っても飛べませんでしたが
それ以外の、球技や陸上は何でも「中の上」レベルでした。
小中学校の間では、数回ですが校内の「マラソン大会」で上位入賞したり
「リレー選手」にも選出されたことがありました。
問題は「美術」です…
くせ者は「美術」なのです…
小学校の時から絵を描くことに苦手意識がありました。
そのキッカケとなった出来事を今でも覚えています。
小学校低学年の図工の時間
りんごの絵に色を塗っていた時の出来事です。
私は物心ついた時からぬり絵が大好きでした。
これまで同様に、りんごの色塗り作業を
ぬり絵を塗るように赤一色で塗り進めていた時
担任から注意を受けたのです。
「りんごをよーく見てごらん。いろいろな色があるでしょー」
「ぬり絵じゃないんだから、もっといろいろな色を使った方がいいよー」と
私は大好きなぬり絵をけなされたような気持ちになりました。
ですが、よーく見ると、確かに赤一色ではなく
黄色、茶色っぽいところ、白っぽいところなど
何色もが存在していました。
でも、私にはそれを表現することができませんでした。
なんてったって、ぬり絵で育ってきたから…
これまでは、好きなように塗ってきたから…
親に塗り方を注意されたことなんて一度もなかったから…
案の定、通知表を見ると他の教科に比べて成績が悪かったのです。
中学生になり図工が美術に変わっても
苦手意識を持ち続けたのでした。
話をもとに戻します。
そうです。問題は美術なのです…。
成果物で点数を稼げないことは明らかなので
ペーパーテストの点数を上げるしかないのです!
中間テストは主要5教科だけ、ペーパーテストがありました。
だから、決戦は期末テストの時と限定されました。
テストの10日くらい前から試験勉強を始めます。
決して主要5教科の勉強をおろそかにしてはいけません。
それも並行しながら
美術の教科書の暗記を始めます。
教科書に載っている作品名、作者名、出身国に始まり
〇〇派、〇〇技法など
とにかく暗記しまくりました。
何十年経った今でも覚えているのは
「レンブラント 光の魔術師」です。
そんな中身のない知識だけを詰め込んで
期末テストに臨んだのでした。
努力の甲斐あって
毎回、高得点を維持し続けることができました。
「これで絵の評価が悪くてもなんとかなりそうだ」と
心の中ではガッツポーズでした。
心置きなく、ぬり絵ができたのです。
美術以外にも、音楽、保健、家庭科のペーパーテストも
暗記しまくりました。
その結果、主要5教科よりそれ以外の方が
成績が良くなったのは言うまでもありません。
こんな方法でボーナスポイントを獲得した私の内申点は
実力以上の点数となったのです。
そして、晴れて志望校に合格したのでした。