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過去の自分は他人

過去の自分に悩んでいる人へ


過去というものは、過ぎ去った時間。
それに対して、今は本当に生きている時間だ。
それでも、人は、常に過去を振り返る。
振り返るだけなら良いけれど、過去に振り回されていることが多い。
時たま、過去のことを鮮明に覚えている人がいる。
そういう人は、多分記憶力が良くて優秀なんだろう。
古事記を覚えていた稗田阿礼は、大変な記憶力を持っていたようだ。
物語を記憶するのは良いけれど、過去の嫌なことを記憶に残す能力に長けていたら悲惨だ。
記憶力と言うものは、考えものである。

過去の自分は、本当の自分なのだろうか

自分という人間は、世界に一人だけと嘘を言う人がいる。
こういう嘘を平気で言うから、ちょっと困ったことが起きる。
実は、自分は、ひとりじゃない。
過去の自分は、よく考えなくても、今の自分とはかなり違う。
洟垂れで甘えん坊の自分が、年老いた自分と同じはずがない。
同じと思いこんでいるから、同じに見えるだけ。
でも、過去の自分は本当は他人だ。
手の届かないから、他人なのだ。
しかし、人は、過去の自分を自分自身だと思い込む。
今は、どこにも存在しない人は、自分には遠い存在なのだ。
死んだ人が過去の人であるように、過去の自分も死んだ人と同じだ。

人は、毎日生き変わる

映画で、昨日のことを忘れてしまう女性の話があった。
まったく昨日のことを忘れてしまうのは、大変だけれど、
年寄りが昨日のことを忘れるのは、日常茶飯事だ。
だからと言って、特に困ることはない。
なぜなら、人は、過去に生きているわけではない、
今を、今を生きているからだ。
眼の前の出来事が理解できれば、それで事が足りる。
それで、十分なのだ。
眼の前の生活だけで十分なのだ。
人は、毎日生き変わるのは、老人も若者も変わりはない。
身体も日々変化している。
過去を引きずることは、前に進んでいないことだし、生き変われない自分の姿があるだけだ。

新しい自分に出会うのが日々の暮らし

新しい自分に出会うには、過去を捨てなければならない。
気持ちを刷新するには、過去と決別することだ。
過去の自分は、部屋の中にたまったゴミのようなもの。
そんなゴミをたくさん溜めたところで何になるのだろうか。
人は、つまらないものにしがみついて生きる。
それが間違えのもとなのだ。
ゴミはゴミとして、その時々に捨て去ることが一番良い。
一度、過去の自分を振り返って、その自分が赤の他人だと気がついて欲しい。
そうすれば、きっと新しい自分に出会えるはずだ。

旗じいの面倒な話を最後まで聞いてくれてありがとう。

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