嫌いな人を作らない生活
好きな人 嫌いな人
人には、好き嫌いがある。
あって当たり前なのが、好き嫌いだ。
だから、嫌いな人を作らない生活など、考えられないかもしれない。
社会一般からすると、それは正論だ。
ただ、老人という立場は、ちょっと社会一般からは逸脱している。
逸脱というより、少しずれているはずだ。
多くの老人は、家に住んでいて無職である。
無職でいられる状態は、社会一般からすると、普通ではない。
だから、社会一般的な考えに縛られているのは、逆から見ると変だ。
それで、本題に戻ろう。
会社なら、難しかった人間関係も、無職の老人にはあまり関係がない。
関係がないというより、自分から関わらないようにすれば、かなり他人に関わることはなくなる。
反対に、独居老人は、孤立化して他人との会話が少なくなる。
誰のために、嫌いな人を作らないようにするのか
最近は、物の整理が流行っている。
これは、老若男女を問わず、より良い生活を送るためには必要だと言われている。
そのために、床に物を置かない生活を理想に掲げたりしている。
それでも、子供が小さかったり、老齢になって動くのが面倒に感じられてくると、
部屋の床には、ダンボール箱や何が入っているのかわからないようなカゴが必ずある。
でも、こういう状態は仕方がないといえば仕方がない。
他人から見たら、乱雑に見える部屋でも、住人には住心地のいい空間なのだ。
物の整理は、無邪気である。
難しいのは、心の整理である。
精神的な整理と言って良いかもしれない。
大抵の人は、色々な悩みを抱えているのが普通だ。
その心の悩みというのは、心の中が整理整頓されていないのが原因ではないだろうか。
というのも、悩みにも、今すぐ悩む必要のない悩みと、喫緊の悩みもある。
また、すぐに解決の出来る悩みと、金輪際解決できそうにない悩みもある。
要するに、心の中は、悩みのるつぼになっているわけである。
「嫌いな人を作らない」というのは、悩みの整理の一つなのだ。
嫌いな人って、だあれ?
人間は、現実を生きていても、空想に振り回される。
空想がひどくなると、空想は妄想に変容する。
「あの人が嫌いだ。」
そう言っている相手のすべてを悪く捉えてしまうのが、嫌いな人への妄想である。
嫌いな人には、良いところは一つもないような断定である。
好きになるかどうかは、ちょっとした出来事で判断される。
興信所を使って、時間や手間をかけて相手を調べることはない。
ルナンというフランスの哲学者は、
「一人の人を知るには、人は一生をかけなければならない。」
と言った。
「走れメロス」のように都合の良い機会があって、相手の本質を知ることは出来ない。
好き嫌いは、そういう点からすると、客観的な見方の出来ない人ほど、激しいのではないか。
はっきり言うと、その人の思い込みである。
思い込みに振り回されているのである。
意外と、人生そんなものである。
現実に向かい合わずに、空想に生きている人の多いことか。
大体。社会生活を好き嫌いの観点で生きていくとしたら、息苦しい人生である。
残りの人生の目標
残りの人生の目標として、嫌いな人を一人また一人となくすのはどうだろうか。
そうやって、いつか嫌いな人がいなくなったら、どんなに自由な気持ちで世界を見ることが出来るだろうか。
人は、生まれたときから、人を好きになるように過ごしてきたはず。
人を好きになる数ほど、自分を好きになるはずだ。
「あの人が嫌い。」
と、口に出して言うのは、やめようではないか。
旗じいの話を最後まで飽きずに聞いてくれて、本当にありがとう。